天安門事件 謎の「戦車に立ち向かう男」
かつてロシアにアレクサンドル・イグナトヴィッチという人がいた。
日本仏教の研究に生涯をささげ、赤貧と劣悪な健康状態の中で薬代さえ惜しんで研究を続けたという。こういう人間が出てくるからロシアという国は侮れないと思う。どんな社会であれ、不遇にあっても自分の信念を枉げない人間のいる社会というのは文化の深い社会といっていい。
残念ながらアメリカという社会にはそういうイメージはない。ビル・ゲイツ、スティーブン・スピルバーグなどのように、自分の熱中するものをうまくビジネスにして大儲けするような人間がアメリカ的な人物像として思い浮かんでくる。opportunityを掴んで成功することなど考えもしないでただひたすら自分の世界を極めようとする人間などアメリカ的ではない。だが、それをもってアメリカが劣っているかのように考えるのは間違っている。才能があり価値あることを成し遂げた人間が、経済的に全く報いられることなく極貧のうちに亡くなるようなことがあるとしたら、それは社会制度に不備があるかうまく機能していないかである、そういった反論がくるのだろうと思う。
千葉真一氏が映画制作についての日米の違いについて、日本では現場であれこれアイデアを出すと撮影のスケジュールが狂うので嫌がられるが、アメリカでは歓迎されるとどこかで言っていた。重要なのはただ歓迎されるというだけではない。「アイデアはどんどん出してくれ。いいアイデアなら金を出すから」というところだ。何かの目的を達するために金を上手に使う―利用する―というのは、アメリカ文化に特有の美点であると思う。

上は、まだ世界の景気がよかったころ、青色LEDの発明の対価に関して書きかけたブログ記事の一部だ。アメリカ発の不況の中で浮かび上がってくるのは、金をインセンティブとして上手く使いこなすアメリカか、あるいは金などに目も向けずなにごとかを突き詰めようとする人物のいる国か、興味のあるところだ。

天安門事件 謎の「戦車に立ち向かう男」
 中国の民主化運動の象徴として、98年に米タイム誌に「20世紀で最も影響力のあった人物100人」に選ばれたこの男性は、天安門事件までに中国の民主化活動にかかわった形跡はなく、当時の大学生リーダーや知識人の中で彼を知る人はいなかった。その場にたまたま居合わせた普通の中国人若者の1人ではないかと推測されている。
「その場にたまたま居合わせた普通の若者」の中にこういう人物がいたということ、そして彼がその後名乗り出ることもせず、二十年の調査にも確かな情報も出てこないということには、やはり中国もまた侮ることの出来ない文化の深い国であることを思い知らされる。
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by tyogonou | 2009-06-04 23:28 | 国際 | Trackback | Comments(0)
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