栃木県警が本部長名で謝罪、警察庁長官「遺憾」…足利事件
栃木県警が本部長名で謝罪、警察庁長官「遺憾」…足利事件
この事件についてもうひとつ触れておかなければならないことがあった。
それはもともとこの事件が単独の殺人事件ではなく、足利近辺、栃木群馬県境で続いていた連続幼女失踪、殺害事件のひとつという位置づけで捉えられていて、菅家さんも他の2件の容疑をかけられていたということである。他の二件の事件に関しては、両方とも自白があったにもかかわらず菅家さんにアリバイがあったために不起訴処分となった。

これは二つのことを意味する。

菅家さんに罪をきせたことで、時効を迎えた今真犯人を処罰することが不可能になってしまったという指摘があったが、警察の罪はそれよりずっと大きい。どんな犯罪であっても、逮捕した容疑者が真犯人か否かを身長に捜査することが重要なのはあたりまえであるが、この種の連続殺人事件で確実に真犯人をつきとめなければ、犠牲者がさらに増えることになる。
仮に警察が足利事件については菅家さんが犯人だと本当に信じていたのだとしたら、他の二件が菅家さんの起こした事件ではありえないという結論がでた時点で、その二件と足利事件の間の関連性の有無をきちんと検証しなければならなかったはずだ。その二件の犯人を突き止めないかぎり、さらに犠牲者が増える可能性が予測できたわけだから。足利事件と他の二件とに関連性がないということがはっきりしたなら、二件の犯人ではありえない菅家さんが足利事件の犯人でありうるわけだが、関連が否定できなければ菅家さんが足利事件の犯人であることも疑わしいということが分かったはずだ。
だが、支援者のHPなどによれば、警察はそこに全く矛盾を感じていないようであったし、真犯人を突き止めさらなる犠牲者を出さないようにしようという意志そのものが完全に欠落していたように思われる。野放しにされた真犯人によって幼い子どもが犠牲になっても構いはしない、それが警察の方針だったのかといわれてもしかたがない。これは本当に許されぬことだ。

もうひとつは、仮に他の二件についてしっかりとしたアリバイがなかったとしたらどういうことになっていただろうか、ということだ。当然、死刑の可能性があったわけで、恐ろしいことである。今回のDNA鑑定の結果を受けて、すでに死刑が執行された飯塚事件も再審請求されるという。当時の試料が残っていないため再鑑定は出来ないというが、無実の人間が日本の法律に則って殺害された可能性があり、またその真偽を確かめることすらできないとなれば恥かしいことだ。
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by tyogonou | 2009-06-12 01:01 | 社会 | Trackback | Comments(0)
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