説明責任を問うこと 続き?
公明幹部「事実上の小沢氏への起訴状だ」 西松事件公判
西松事件、異例のスピード終結へ 検察、被告側が利害一致
説明責任を問うことの続きを書かなければと思いつつ、放置してしまったが、嫌な形で続きを書かなければならなくなったようだ。
小沢事務所の仕切りで談合が行われていて、西松の献金がその見返りであるというなら、談合なり収賄なりの容疑で立件すべきだ。それを、別の事件の裁判において、正規の手続きを踏んで行われる場合に要求される責任を回避して事実上の起訴を行うというのはなにごとか。
まして、小沢氏を非難する基礎となっているのは検察と利害が一致している証人の証言であって、こういうのこそ「出来レース」というのだ。証人に偏見がないか、偏見によって不利益を被る相手に対する敵意があったり、検察などの歓心を買おうというような意図があったりしないか、尋問によって試され公平であると認められなければ証言の価値は低い(偽証であれば罪に問われるという意味では一応の意味はあるが)。
小沢氏ほどの有力政治家であれば普通の人より大きな責任を負っているのだろうし、言っちゃなんだが嫌われ者だから、あまり疑問の声も挙がっていないようだが、一般論としてこのようなやり方が正当なものと認められてしまってはたまったものではない。警察(検察)と警察に弱みを握られている小悪党のタッグで自分のあずかり知らぬところで罪をでっち上げられる。悪徳警官の出てくるハリウッド映画などではよくあるパターンで、まさに冤罪の王道である。

自民党には小沢氏の参考人招致を求める声も出ているようだが、先に検察幹部に公の場で特定の犯罪を犯したと非難しておきながら、機会があったにもかかわらずその犯罪について起訴はおろか捜査すらしていないことについて説明を求めるべきではないのか。四つの工事を特定し、それが小沢氏の事務所の仕切りによる談合によって決まったと明言している以上、検察はそれを立件する義務がある。検察は、西松による献金を「裏献金」と表現したが、検察の主張によればそれはむしろ賄賂とよぶべきもので、重大な犯罪だ。それなのになぜ検察は政治資金規正法などという小さな要素のみをとりあげるのか。最初から収賄罪なりなんなりを追求するなら国策捜査などと批判されることもなかっただろうに。
小沢氏の側から見れば、きちんと証拠が調べられ、さまざまな証言の信頼性も試されることなく、罪有りとされるのは、裁判を受ける権利を侵害されることでもある。また、犯罪の事実が「ある」ことを証明するのに比べて、「ない」ことを証明するのは難しいことでもある。したがって、(小沢氏が本当に潔白なら)民主党側から小沢氏を告発するというのもひとつの手段ではないかと思う。それによって、警察・検察はこの犯罪についてきちんと捜査し、起訴するか否か判断を示す公式の義務を負うことになる。潔白でも起訴されることはよくあることだ(ついでに有罪判決がでることもあることのようだが)が、もし検察に起訴できるほどの証拠が固められなければ検察によって公に潔白であることを宣言されることになるわけで、それ以上の説明はないといえるだろう。
もっともそんな提案をされれば小沢氏が激怒するのは目に見えていることだし、敢えて鈴をつけにいく人もいないだろうが。
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by tyogonou | 2009-06-21 23:44 | 社会 | Trackback | Comments(0)
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