消費社会 その8
交換価値だけのモノというものはソシュールの記号論ではありえないのだが、貨幣はまさにそういうものである。貨幣が消費社会において果たしてきた役割を考えれば、やはりボードリヤールは無視できない。

ボードリヤールは、経済成長を社会階級間のダイナミクス、すなわち上の階級に追いつこうという欲求と下に追いつかれまいという欲求によってもたらされるものと見た。しかし、私は使用価値だけの「もの」に交換価値が付与される②→③というプロセスこそが経済成長の本質だと思う。当たり前のようではあるが、②→③というプロセスは、ものの価格、貨幣との交換価値を上げる。それがもともと交換価値を全く持っていないものであったなら、それはあたかも深海から空中へと飛び出す潜水艦のように急激な上昇を見せる。日本のバブルはまさにそうだった。
バブル以前、日本人にとって土地とは、記号的な意味(「田園調布に家が建つ」)をもってはいたが、そうそう簡単に交換(取引)に出されるものではなく、先祖代々(あるいは自分が手に入れたら少なくとも自分の第一代は)そこに住んだりそこで商売したりして使い続けるものだった。それが、交換的価値をもつモノへと急激に変容し、時に全く使用されることのないまま次の交換に出され(転がされ)、まるでそれ自体が貨幣でもあるかのようでもあった。
しかし、土地は貨幣とは異なる。いつまでも更地で使用されることがない、さらに周囲の土地も同様、そんな転がされるだけで使用価値のない土地は、いうなれば「火星の土地」同様、大した交換価値をもってはいない。交換している側がそのことに気づいたとたん、土地はおそらくもとの②の状態にまで一気に値を下げた。バブルの崩壊とは即ち交換価値の消失である。
ボードリヤールの成長の見方ではバブルの成長は説明できてもその崩壊は説明できないが、彼のより一般的な消費の見方ではこのように説明が可能になる。
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by tyogonou | 2009-06-29 00:18 | 消費社会 | Trackback | Comments(0)
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