消費社会 その10
図Ⅱ-③というような交換価値のみをもつモノの存在状態をボードリヤールが仮定したのは理由のないことではない。モノが使用価値を解き放たれない、使われないまま破壊され廃棄される、すなわち「浪費」されるとき、たしかにモノはそういった存在でありうる。バブルについていえば、それが崩壊したのは土地が破壊、廃棄の不可能なものであるからだといえるだろう。それが、たまごっちやスニーカーのような浪費可能なものであれば、バブル崩壊という急激な景気の悪化はもたらさなかっただろう。しかし、逆に言えば、本来浪費できないものが、浪費可能であるかのような幻想をもたれたからこそ価値の爆発的な急上昇が起こりえたのだが。
さらに、人間がそのような存在となった場合にも同じことがいえることを忘れてはならない。人間のシニフィアン化の先には、自己破壊が待っているのだということを。
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by tyogonou | 2009-07-03 00:03 | 消費社会 | Trackback | Comments(0)
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