消費社会 その11
このような差異の社会的論理を分析の根本的機軸として決定的に把握し、差別的なものとしての、記号としてのモノの開発(この水準だけが消費を独自的に定義する)がそれらの使用価値(およびそれと結びついた「欲求」)の追放の上に成り立っていることを理解しなければならない。(『消費社会の神話と構造』118頁)
ボードリヤールの主張は分からなくも無い。ブランド物の腕時計を考えてみれば、そこから時刻を知るという使用価値が追放されていて、それゆえにステータス・シンボルとなりうるのだといえる。私達との直感とも符合する。

しかし、ソシュール的な見方によればこれはちょっとおかしい。シニフィアンとシニフィエはそれぞれが他と潜在的な差異を内包していて、それが結びついてシーニュとなって初めて差異は確定したものとして現れるのだから、使用価値の追放は、論理的には差異の消失を導くはずだ。使用価値を失ったブランドものの腕時計は、他の腕時計との差異を失う。つまり、「腕時計」というモノが作り上げる記号の体系を編む力を失っていく。そして、そこにはただ、交換価値のみで存在しうる唯一の存在、即ち貨幣との差異=価格のみが残る。
使用価値を追放した「モノ」は記号の体系などつくれはしない。それはただ価格差の序列をつくるのみである。それは体系などといえるものではなく、消費社会の神話もまた消え去ってしまう。わたしにはそれが消費社会の後に来る社会であるように思われる。

モノの交換価値と使用価値という観点から社会の変遷を見ると、図Ⅴのようになるだろう。

前産業時代
① ものが記号化されていない時代
産業時代
② 企画によって実在的自己同一性を獲得したものと、それを指し示す商品名が結びつき、「モノ=記号」に
③ 「モノ」と「モノ」とが差異を生む
消費社会
④ 多くの「モノ」たちが互いの差異をもとに記号の体系を形作る。消費社会の神話の確立
⑤ 他の「モノ」との競争の中で、一部の「モノ」は交換価値を増大させ、使用価値を切り離しさえする。
ポスト消費社会
⑥ 使用価値が追放され、「モノ」は差異を失う
⑦ 単なるシニフィアンと化した「モノ」は「貨幣との交換価値=価格」によってのみ記述される。神話の消失。
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by tyogonou | 2009-07-03 23:59 | 消費社会 | Trackback | Comments(0)
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