ムラヴィンスキー そしてショスタコーヴィッチ


私が始めてムラヴィンスキーに接したのはNHKで「ムラヴィンスキー幻の記録」と題されて放送されたまさにこの映像だった。
あれから様々な音源を聴き、様々な映像を見た今になっても、この4楽章冒頭の映像を見ると胸を締め付けられるような気持ちになる。
聴き手をのけぞらせるフルトヴェングラーや心地よいドライブ感に浸らせてくれるカラヤンなどと違って、ムラヴィンスキーの加速感は聴く者を音楽の核へと引き込んでいくような力を持っている。透明感のあるサウンド、速度、強弱の爆発的な変化とその完全なコントロールなどムラヴィンスキーの凄さはいくつもあげられるだろうが、この晩年の崩した指揮ぶりを映像で見ていると、全体の構成というものを強く意識した音楽家だと改めて思う。草書になっても、楷書のポイントから決して離れることがない。

ムラヴィンスキーといえばショスタコーヴィチである。『ショスタコーヴィチの証言』でこき下ろされてからムラヴィンスキーはショスタコーヴィチを理解していないのではないかというような疑いの目で見られたり、『証言』の方の真偽が怪しくなったりしてなかなかこの二人の関係を語るのは難しい。
ただ、交響曲第13番第一楽章の金管の爆発や、第9番のめまぐるしく変わる曲想と癖の強いリズムは、ムラヴィンスキーの指揮でこそ活きる感じがして、彼のこういった曲の演奏を聴くことが出来ないのはまことに残念でならない。互いになくてはならない存在だったというのはリヒテルあたりの言葉だったと思うが、そのとおりだと思う。

ショスタコーヴィッチとムラヴィンスキーの関係は、常にスターリン、あるいは社会主義との距離で語られることが多いが、これには注意が必要だ。
若くしてソ連を代表する作曲家となったショスタコーヴィチはどうしてもイデオロギー的なメッセージの発信者として受け取られがちだ。これはもちろん当初の御用作曲家というイメージだけでなく、後年のアンチ社会主義の作曲家というイメージも同じことだ。しかし、ショスタコーヴィッチは何よりもまず純粋な音の美しさを追求する「音楽家」であったと思う。(逆説的な意味で、そんな彼を「芸術家」にしたのは紛れもなくスターリンとその政府である。)芸術家というより音楽家というのはあまりよいイメージではないかもしれないが、そうではない。芥川也寸志氏がショスタコーヴィッチにインタビューしたとき、作曲するときにピアノを使うか訊かれて、前は使っていたが今は使っていない、その方が音楽を深く考えられる気がする、そんなことを言っていた。彼のシンプルかつ豊かな室内楽の数々を聴くと、彼が頭の中で深く追求した「音楽」というもの、思想や感情の表現などではない純粋な音の世界というものの価値は明らかである。

それから、スターリン=社会主義というのも必ずしも正しくはない。
ショスタコーヴィッチは、子供のころレーニンが亡命先から帰国するのをサンクトペテルブルクの駅で迎えた群衆の中にいたという。レーニンの到着は夜だったため、権威付けの嘘ではないかという話もあったようだが、彼の学校の同級生の親たちにはヴォルシェヴィキのメンバーが少なからずいたから(ショスタコーヴィッチ自身の祖父の兄弟もヴォルシェヴィキだったはずだ)、友達皆で連れ立って見に行ったのは本当だという。そういった世代に属するショスタコーヴィッチが、仲のよかったトハチェフスキーらを粛清したスターリンを、レーニンの社会主義を裏切ったというニュアンスで憎んだ可能性はあると思う。彼が反スターリンであった可能性は少なくないが、それが即反社会主義と一致するとは限らない。
そういう目で見ると、旧ソ連系の指揮者の遅いテンポで演奏される5番のフィナーレは、「強制された歓喜」というよりも、歓喜あふれる革命の未来を信じて死んでいった人々の慟哭のようにも聞こえる。

ムラヴィンスキーについてはひとつの客観的事実を指摘しておきたい。それは彼が熱心なロシア正教徒であったということだ。(『証言』のなかでも「狂信者」と表現されているのは興味深い。)
これは、実は結構重い意味を持っている。旧ソ連では信教の自由は認められも否定されもしなかったが、「宗教破壊活動の自由」がスターリンの制定した憲法に明記されていた。また、レニングラード近郊の大きな教会も破壊され、エリツィン政権になるまで再建されなかったが、これもスターリンのしたことだ。そんなスターリンを熱心なロシア正教徒がどう見ていたかは想像に難くない。もともと慎重で政治とは(俗世とも?)距離を置いていた人だから、アンチ・スターリンの感情をもって指揮台に立ったという訳でもないと思うが。

最後にムラヴィンスキーの名盤について
私にとってのベストは、おそらく今入手は不可能だろうから挙げるのは気が引けるが、83年のショスタコーヴィッチの6番だ。これはムラヴィンスキーらしさを100%備えた完璧な演奏だ。ほかのディスクに物足りなさや欠点があるというわけではないが、たとえば有名な「ルスランとリュドミラ」などラストがムラヴィンスキーにしてはちょっとゆったりめだったりする。意図して設定したテンポだからだれているような印象はないが、ここを突進したらどんな演奏になったのかと少し想像してしまうこともある。この6番はそういったところがまったくない。よく使われる表現で、オーケストラをピアノのように弾きこなしているというのがあるが、まさにそれが当てはまる名演だ。
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by tyogonou | 2009-11-23 17:08 | Trackback | Comments(0)
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