小沢幹事長が鳩山首相を「激しい言葉で罵倒」 天皇陛下の"政治利用"問題
小沢幹事長が鳩山首相を「激しい言葉で罵倒」 天皇陛下の"政治利用"問題
ある意味では、天皇を政治利用しているのは批判しているほうだと思う。
鳩山政権は、今回が特例であることをわざわざ喧伝しているわけではない。宮内庁長官が批判しなければ、一部の事情通を除いては、そんな内規が存在していたことすら知らない国民は皆いつもどおりの会見としか見なかっただろう。内閣は会見に特別の意味を付与したわけではない。むしろ、そんな意味が生じすることに築かない浅はかさと独善的なところが問題だとは思う。
宮内庁に対する杓子定規という非難は明らかに不当なものだ。あえて通例に反する指示をだす充分な理由を説明したのにも関わらず、内規を立てにダメの一点張りだったのなら杓子定規ともいえるだろう。しかし、中国が重要だからというのは理由としては弱い。むしろ、公になった時に他の国々に与える悪印象を考えたら理由としてはむしろ不適切だ。しかも、それに対して宮内庁側は、どのような国にたいしても平等に対したいというもっともな理由を挙げて反論している。対する再反論が、役人は黙って言うことを聞けだの、やめろだとか言う恫喝では、政府の側にまともな理由がないことを白状しているようなものだ。
どんな国に対しても、たっての希望とあれば、調整しないこともないが準備等の都合上一ヶ月前を期限として引き続きお願いしていく、もちろん中国政府にもその旨理解していただく、そんな答え方をしていたら、中国だけを特別扱いするわけではないことを確認することになり、こんなごちゃごちゃすることもなかっただろう。
それにしても民主党の悪いところがもろに出てきてしまっている。
「最終的には私が決める」が口癖の最高責任者は自分の下したこの決定の意義を説明しようともせず、自民党の元首相から要請があったなどと責任感のないことを言う閣僚もいれば、党の幹事長が内閣を飛び越して官僚に辞任まで迫る。
公開裁判だなどと批判されながらも事業仕分けが国民に評価されたのは、ここの判定はどうあれ、国民の目の届かないところでひそかに決められていたことが、公開の場で明示的にそして論理的に行った(行おうとした)ところにあるだろうが、民主党内から出てくる重要な政策などの決定過程はしばしば不透明で論理の見えないものだ。
特にいけないのが小沢幹事長だ。永住外国人の地方参政権の問題にしてもそうだが、政策内容を議論しようとする考えが全く無いようだ。理性に基づく議論と、その結果としての民意こそ民主主義の基本だ。最終的に合意に至らないときは、多数派の意見を政策とし、内閣の決定に役人が従い、党の決定に当初族議員が従わなければならないとしても、その過程を見ている国民の理解を得るためにも、論理に訴え説得に努めるのが民主主義社会の政治家のあるべき姿ではないか。
小沢幹事長には選挙対策の職人としての面と、政治制度の理論家としての面とがあって、それぞれにおいて優秀であっても、それらを包含する「政治家(statesman)」という存在にはなっていないといえるのかもしれない。自分は正解を知っていて、そしてそれ以外に正解は存在しない、異論のある奴は馬鹿か敵だ。幹事長の「剛椀」は、人をたらしこむ技術のなさだけでなく、他者を容認できない狭量さにも由来しているのだろう。
橋下大阪府知事が小沢幹事長を絶賛したというのも分かる気がする。
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by tyogonou | 2009-12-17 21:39 | 国内政治 | Trackback | Comments(0)
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