へうげもの

へうげもの―TEA FOR UNIVERSE,TEA FOR LIFE (1服) (モーニングKC (1487))

山田 芳裕 / 講談社


画に少々クセがあるのと時におふざけがすぎるきらいがあるので、それほど好きではなかったが、まとめて読んでみたらなかなか面白かった。
堅苦しい茶の世界が、身近でくだけたものとして描かれているよさもある。主人公古田織部の感情と表情の多彩さもいい。
だが私が面白いと思ったのは、千利休や徳川家康といった登場人物が、古田織部を補助線としてみると、今までと異なる個性として浮かび上がってくるところだ。この漫画が何か普通と異なるキャラクターとして彼らを描いているわけではない。わびさびの美をストイックに求めつつ、それを世に広めるために非情なまでの実行力を発揮する利休、質実剛健で民百姓を思い遣る家康、私たちが通常抱く「偉人」としてのイメージからは遠くない。対する古田織部は軽薄な「へうげもの(ひょうきんもの)」で、現代の(ひょとしたら一昔前の)オタクにも通じた心性をもつ親しみやすいキャラクターで、どう見ても尊敬の対象ではない。利休も織部もともに茶の湯の美に強い執着心を持つが、利休のそれは「業」というにふさわしい重みを持つが、織部のは「煩悩」といったほうがいい俗な雰囲気を持っている。
そうなると、私たちの抱く印象は利休、家康>織部という図式になるはずなのだが、そうはならないのが面白いところだ。
もうひとつ面白いのは両者は時に対立もするが断絶はせず互いに理解しようとし続けるところだが、その交流を通じて明らかになってくるのは、私たちのありがたがる利休や家康の偉大さが必ずしも絶対ではないということである。それは単に反権威主義的な価値観ではない。利休や家康の価値が下がるというのとは違う。利休など、死ぬまで織部の一枚上をいっているのは間違いない。
だが一方で、優劣は別にして織部の軽さ「面白さ」は、彼らの偉大さにひけをとらない輝きを放っている。利休が家康を招き豊臣後を語った茶席の重暗さと比べて、禁教令を受けて棄教を勧めにいった織部と高山右近の茶席のなんとさわやかなことか。信長に仕えた黒人弥助を招き、理想の「黒」のわび茶が完成したと喜ぶ利休の厳かな世界も確かにすばらしいが、童子に下手な絵を描かせた茶碗を本阿弥光悦に見せて喜ぶ織部の拈華微笑の境地もまたすばらしい。
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by tyogonou | 2009-12-17 21:17 | Trackback | Comments(0)
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