差異の政治? その1
「立ち上がれ日本」などという政党名らしからぬ、そして言語明瞭意味(目指すところが)不明瞭な党名、「反民主で非自民」という目標、党内の5人の主張さえまとまりそうに無いのに憲法改正を掲げるところなど、見ていてボードリヤールの「コードに支配された差異化/個性化の図式の論理」というのを思い出さずには居られなかった。もっともこれは他の新党についても同じことがいえるし、もっと言えば、現在の政治状況自体がいわば「差異の政治」といった様相を呈しているように私には思われる。

政治はパイ(pie)の配分に例えられる。パイとは様々な政治資源のことを指すが、一番分かりやすいのは予算を考えるといい。政治とは食欲旺盛な子供達(国民)にどうパイを切り分けて与えるかという問題である。
昔の自民党政権時代の政治をごく単純に説明すると次のようになる。
様々な業界団体、あるいは企業、そして関連する役所は自分達の利益を実現するために、それを理解してくれる政治家に資金や情報を提供するなどしてその政治家を育てる。また、あちこちの地域住民も「オラが村に高速道路を」作ってくれそうな政治家を何度も当選させて育てる。政治家はそのようにして得た資金力や知識、影響力を背景に国会内、あるいは自民党内での権力闘争を戦っていく。
自民党内では、議員達は派閥をつくり、一定の秩序ある競争と協力のダイナミクスを形作る。すなわち、自派閥のリーダーを首相にし、それによって自分を応援してくれるグループの利益を実現するだけでなく、首相が各派閥に配慮した組閣を行うことによって競争関係にあった派閥もまた協力し政権としての一体性を保つと共に、自分達の利益も政策に反映させることが出来る。
ここに表には出せない金の流れができたり、談合のような不正が生じたりすれば典型的な金権政治ということになるのだが、だからといってこれを一概に否定するわけにも行かない。政治家を通じて実現される利益は単に経済的な利益だけでなく、たとえば北朝鮮に拉致された家族を取り戻すというようなものも含まれる。民主主義は、市民が何か(経済的利益であろうが、崇高な理想であろうが)を実現するために政治に積極的に働きかけることを要求するものだし、その目標を具体的に形作り、その声を大きくするために圧力団体を形成するのも当然のことだ。
そしてこれがボードリヤール的に言えば生物的欲求を満たすための消費の段階である。それが今、差異の政治になっているということは、差異の消費における商品がその商品によって満たされるはずの欲求を追放し、ただ互いに異なる商品名を指し示しあうばかりであるのと同様、各政党、各政治家の掲げる政策も市民の欲求=利益から切り離されてただ互いの差異だけを指し示すものになっているということだ。

この変化に大きな影響を与えたのはおそらく小泉元首相であろう。まず、小泉元首相は派閥を無視した組閣を行うことで、内閣に各派閥が協力する仕組みを破壊した。次に外部の学者を登用しその学説を政策の基礎とし、また自分自身の絶大な人気によって国民の支持を集めることに成功した。それによって、党内の議員を通じて伝わってくる様々な団体の圧力は内閣に届かず、争点によっては抵抗勢力として排斥されることになった。
「変人」首相の場合それでも上手くいっていたが、安倍元首相以降の凡人首相にとって、ぶっ壊された自民党をコントロールし内閣を維持すること自体困難なこととなった。思えば、安倍元首相の掲げた「美しい国日本」という旅行会社のキャッチコピーのようなスローガンは示唆的である。地に足が着いていない政策とバラバラな内閣をどうすることも出来ず、次々と投げ出す羽目になった。
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by tyogonou | 2010-04-23 23:20 | 国内政治 | Trackback | Comments(0)
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