差異の政治? その2
菅首相「草の根」アピール 「脱小沢」には言い回し慎重 :日本経済新聞
鳩山政権が誕生した時、私が注目していたのは、民主党が国民の様々な声や利益を政策として形作るための非公式の、制度化されていない「政治的な」仕組みをどうつくっていくのか、ということだった。
特定の狭い問題領域に関わっているだけなら「草の根」のままでいいのだが、全ての問題について多様な意見や利益に目を配りつつ政策を実現していかなければならない政権党には、頑丈な「幹」がひつようだからだ。もちろん、「草の根」政治家を見下しているわけではない。大企業などに比べて動かせる政治的資源の少ない市民や、排除されがちなマイノリティーの声をしっかりくみ上げる役割を果たすといういみで、民主主義にとっては重要だと評価できるし、どんな地位についても「根」を忘れないというのは大切なことでもある。どれほど太い幹を持った大樹も根腐りしてしまっては立っていられないものだ。
前回の選挙の争点は、「政権交代」だったが、これは単に自民党から民主党へ政権が移るかどうかという問題だけではなく、政権交代がある程度の頻度で起こりうるような枠組みが出来るかどうかという問題でもあった。言い換えれば、獲得議席数で自民党のそのときの政権の信任の度合いを測る選挙から、複数の政党から政権党を選択する選挙に変わるのかという問題であった。
歴史的な勝利を得て与党の座についた民主党にとって、米軍基地や子ども手当てやその他もろもろの政策を実行することも重要だが、同時に自分達が(もっといえば自民党以外のどんな党でも)政権を担当できるような「仕組み」を作ることもそれらに劣らず重要なはずだ。
鳩山政権は政権担当「能力」の低さを激しく攻撃された。その批判は的外れではないが、少し浅薄ではないかと思う。安倍内閣以降の自民党もそうだったように、政権を支える仕組みが無かったり上手く機能しなかったりすれば、誰が首相になろうと困難な政権運営を強いられるのはあたりまえだ。たとえ優れた「能力」があれば乗り越えられるとしても、長らく政権を担ってきた自民党の議員意外にそれを求めるのは少々酷であるかもしれない。地方公共団体の長であるとか、必要な能力を磨く機会は野党議員にも全く無いわけではないかもしれないが、核密約をめぐる嘘が長いことまかり通ってきたような状況では、情報や機会の差は相当に大きい。だからといって政権は自民党に任せておけばいいというわけにも当然いかない。
これはマニフェストについてもいえることで、それほど情報が閉ざされた中で野党にマニフェストを要求すること自体がナンセンスだったと思う。だからといって、それに乗っかって気前よすぎるマニフェストを公表した責任を民主党が免れていいということにはならないが。
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by tyogonou | 2010-06-12 21:05 | Trackback | Comments(0)
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