子罕言利與命與仁
論語は簡潔さはしばしば解釈を難しくする。
子罕言利與命與仁
子、罕(まれ)に利を言う、命と仁と。
子、罕(まれ)に利を言う。命と與(とも)にし、仁と與(とも)にす。
普通に読めば、孔子は利益と運命と仁についてはまれにしか言わなかったという意味なのだが、問題は、利益について言うことがまれだったというのはいいとしても、仁は論語の中でも主要なテーマであり、それをまれに言ったというのはおかしいということだ。そこで、「利益を言う時には運命や仁と関連付けて言った」という解釈が生まれてきた。だが、私は普通の読み方でいいのだと思う。孔子は自分の三人の弟子について評価を求められ、次のように答えたという。
孟武伯問う、子路、仁なりや。子曰わく、知らざるなり。又た問う。子の曰わく、由や、千乗の国、其の賦を治めしむべし、其の仁を知らざるなり。求や如何。子曰わく、求や、千室の邑、百乗の家、これが宰たらしむべし、其の仁を知らざるなり。赤や如何。子曰わく、赤や、束帯して朝に立ち、賓客と言わしむべし、其の仁を知らざるなり。
それぞれ、政治家、役人として有用な人物である。しかし皆仁であるかどうかは分からない、というのが大意だ。「まれに利を言う」とはこういうことだと思う。理想としての仁については言葉を尽くして語るが、周囲の人間やその行為を指して「仁である」とは軽々しく言わなかったということだ。そう考えれば利益と運命と仁を並列に扱うことも、それほどおかしなことではない。孔子は実生活上で、「金になる」かどうかを問題にすることや、「運命だ」といってあきらめたりすることや、「仁者だ」といって誰かを手放しでほめるようなことはめったになかった。私はそう解釈している。
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by tyogonou | 2005-01-04 23:31 | | Trackback | Comments(0)
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