知らしむべからず
子曰、民可使由之、不可使知之。
子曰わく、民はこれによ由(よ)らしむべし。これを知らしむべからず。
論語の中で最も批判される、あるいは悪用される一文といっていいだろう。一般的な解釈は、市民は政府の政策に黙って従わせればいいのであって、その政策についていろいろ知らせたりしてはならないのだ、というものだろう。もちろん、これは民主主義社会には受け入れがたい考え方だし、時代を考慮に入れるとしても聖人君子たる孔子の発言としてはあまりにも傲慢な考え方であるとも言える。そこで現れたのが、「可、不可」を可能の意味に捉える解釈で、大衆を政策に従わせることはできるがその理由などを理解させることは難しい、というものだ。大衆社会というものを考えるとこれはそれなりに意味のある発言といえるかもしれない。もうひとつ、伊藤仁斎の読み方で、「不可」は通例通り禁止と読むが、「由、知」のニュアンスを異なったものとしてとらえるものもある。「政府は民にとって頼りになるものでなければならない、しかし、民に政府の功績を知らせてはならない、民に恩を着せてはいけない」ということだ。孔子は別のところで次のようなことも言っているので、こういう解釈も充分ありうると思う。
泰伯は其れ至徳と謂うべきのみ。三たび天下を以って譲る。民得て称することなし。
泰伯は至徳と言っていい。三度天下を譲ったが、いずれも人知れないやり方だったために民は称賛することができなかった。
いろいろな解釈ができるということだが、これで孔子を弁護しきれるわけでもないかもしれない。いずれにしろ、人々の知性を軽んじ、政府の説明責任を免除するという点では私たちにとってはやはり受け入れがたいからだ。
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by tyogonou | 2005-01-18 02:19 | | Trackback | Comments(0)
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