周の徳は其れ至徳と謂うべきのみ
儒家の思想には、天下を滅亡させるほどの政見が四つある。(中略)また埋葬を手厚くし、長期間喪に服すべしとの主義を実行するに当たり、幾重にも外郭や内棺を作り、死者の衣服を数多く作り、死者のを送る行列の仰々しい様は、まるで家財を満載してよそに転居でもするようである。そして、三年の長きにわたって喪に服して泣き暮らし、(粗食と泣き疲れとで衰弱して)他人に助けられてやっと立ち上がり、杖にすがってようやく歩き、耳はおぼろに、眼はかすむといった始末である。これは天下を滅亡させるに充分な主張である。(『墨子』 浅野裕一 講談社学術文庫)
墨家の非難は故ないことではない。孔子自身も次のようなことを言っている。
予(宰我という弟子)の不仁なことよ。子どもは生まれると三年たってやっと父母の懐から離れる。あの三年の喪というのは(そこに由来し)世界中の誰もが行う喪である。予にしても、その父母から三年の愛を受けたであろうに。
一方で孔子が最も愛した弟子の顔回が死んだ時、弟子たちが立派な葬式を出そうと願い出たが許さず、それにもかかわらず立派な式をしたことで孔子が嘆いたという話もあるのだが、このあたりの事情や孔子の考え方は良く分からないところがある。弁護としては少々薄い。

西周の大陵墓 「殉葬の風習なし」研究責任者が講演
これはちょっと面白い。孔子自身は殉死については否定していない。
子路がいった、「桓公が公子の糾(きゅう)を殺した時、召忽(しょうこつ)は殉死しましたが管仲は死にませんでした。仁ではないでしょうね。」孔子は答えた。「桓公が諸侯を会合した時武力を用いなかったのは、管仲のおかげだ。(殉死をしなかったのは小さいことで)誰がその仁に及ぼうか。誰がその仁に及ぼうか。
この会話では殉死とは是非を問われるような問題としてあるのではなく、前提として無条件に受け入れられるものとしてある。殉死と殉葬は微妙に異なるのだが、今後の発掘によって周の徳は孔子が考えていたよりも先に至っていたということになるのかもしれない。
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by tyogonou | 2005-02-23 01:49 | | Trackback | Comments(0)
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