自尊 独自
前文見直しを自民公が強調 衆院調査会、共社は否定
 自民党の福田康夫氏は前文の内容について「前半が戦争の反省に尽きており自虐的だ」と指摘し「日本の独自性などを記述して日本人としての誇りを持てるものでありたい」と強調した。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
私の未熟な読解力では、これは平和と国民主権とを謳ったものとしか読めず、自虐的であるとも、戦争の反省に尽きているとも結論付けることはできない。「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」というのは基本的には未来についての言明であるし、かつての大日本帝国政府が他国と比べて悪かったであるとかいったようには読みようがない。
福田氏の愛国心がこれだけでも損なわれてしまうほど薄弱なものなら、この一節だけ次のように書き換えてみたっていいだろう。「この半世紀にわたり平和を愛する諸国民に武力による苦しみを与えずにきた歴史を肯定し、これから先もこの伝統を誇りを持って守り続けることを再確認し」
憲法で日本の独自性を記述しようという理由も私には良く分からない。自分のオリジナリティーを言う自称芸術家はえてしてオリジナリティーなどないもんだ、と私などは思ってしまう。他の国々では一般的な事柄をもう一段高い道徳的価値を目指すために否定し、そのアンチテーゼを提出するという意味での独自性をいっているならそれは理解できる。例えば戦争の放棄を宣言するということはそういう意味できわめて高い独自性を表現しているといえる。実際問題、非核三原則を含め核や大量破壊兵器の否定を憲法に盛り込むのはいい考えだと思う。だが、日本には独自性があるんだ!などと叫ぶのはどうなのか。
 金日成同志は、永生不滅のチュチェ思想を創始し、その旗じるしのもとに抗日革命闘争を組織・領導して、栄えある革命伝統を築き、祖国光復の歴史的偉業を成し遂げ、政治、経済、文化、軍事分野において自主独立国家建設の強固な土台を整えたうえで朝鮮民主主義人民共和国を創建した。
こんな憲法序文を読むと、福田氏が心配しているのとは全く別の意味で恥かしくなってしまうし、わが祖国の憲法はこうであって欲しくないと思う。しかし、福田氏らがなぜ平壌に研究チームを派遣しないのか不思議ではある。環境問題への草の根の取り組みを追い求めるワンガリ・マータイ氏が日本に来て「もったいない」という言葉に出会って感動したように、あの国には主体、先軍思想を初めとして福田氏の理想を端的に表現してくれるようなタームがたくさん眠っているかもしれない。

もっとも福田氏には意中の文言があって、私などがとやかく言っても仕方ないのかもしれないが。
惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ以テ無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ国ヲ愛シ公ニ殉ヒ以テ此ノ光輝アル国史ノ成跡ヲ貽シタルナリ 朕我カ臣民ハ即チ祖宗ノ忠良ナル臣民ノ子孫ナルヲ回想シ其ノ朕カ意ヲ奉体シ朕カ事ヲ奨順シ相与ニ和衷協同シ益々我カ帝国ノ光栄ヲ中外ニ宣揚シ祖宗ノ遺業ヲ永久ニ鞏固ナラシムルノ希望ヲ同クシ此ノ負担ヲ分ツニ堪フルコトヲ疑ハサルナリ

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by tyogonou | 2005-02-25 02:04 | 憲法 | Trackback | Comments(1)
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Commented by fussyvet at 2005-02-25 08:05
一瞬、名字と内容からしてお父さんの方の福田さんが主張されていることかと思ったら、なんと前の官房長官である息子さんの方ですね。官房長官時代の態度は毅然としていて私は好きだったのですが、実は超右派なのでしょうか?少し彼のこと探ってみようと思いました。
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