自民起草委憲法案のいじましさ
<憲法>国民の義務明文化 自民起草委が前文で中間集約
「日本国民は自らの意思により何者にも強いられることなくこの憲法を制定する」
なんといじましいことだ。現行憲法に「日本国民はアメリカの恩恵によってこの憲法を頂く」とでもいうような文言があるのであれば、自らの意志云々を再確認する意味はあると思うが・・・。「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」という文言を読み損ねたのであろうか。

私が現行憲法を好ましく思うのは、そこに普遍的なものへの意志があるからだ。小泉首相が引用した一節などは、この憲法を充たす進取の気風の代表例といってよい。ただし、この一節は嘘の証拠をでっち上げて他国へ武力を行使するような国に対してまず向けられるべきであるが。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
こういった矜持をかなぐり捨て、「自国の歴史、伝統、文化」の内にひきこもらなければならないのはなぜなのか。
もっとももうじき米寿を迎えようとする老爺が長を務める委員会に覇気を求めるのが無理であるのかもしれない。疑問を禁じえないのだが、自主憲法を求めるというのにこの人選はどういうことなのだろうか。新しい憲法が発効するのがいつになるのか分からないし、中曽根氏がこの先何年生きるつもりでいるのかも知らないが、五十年百年と生くべき憲法の生命力を考えたら、中曽根氏はどう考えたって埒外の人物である。新憲法がどのようなものになろうと影響を受けることの無い人間は憲法制定に伴う責任を負えるのだろうか。(だからといって小渕優子を委員長にしろといっているわけでもない、一応念のため)

 また、「基本的人権の享有」とともに「国民は公共の義務を進んで果たす」ことの明確化も盛り込んだ。
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
現行憲法では公共の福祉が基本的人権の延長上に置かれているわけだが、自民起草委は公共の義務と基本的人権が無関係であるか、あるいは対立するものだという枠組みへの転換を目指しているかのように思える。基本的人権の充足が公共の福祉への方途とはなりえないというなら、そこのところをきちんと説明して欲しいものだし、基本的人権との比較においての優先順位は明確にしておくべきだと思う。このことは「圧制と暴力に直面する諸国民が自由に生存する権利の実現のためには力を惜しまない」という文案と関連しても重要である。「人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によって人権保護することが肝要であるので」世界人権宣言はこう謳っている。自民起草委案が上記のような理屈で武力行使を正当化するというのであれば、その憲法は基本的人権を他の全てに優越させるのでなければならない。人権より優先されるものを規定したり、人権を価値あるもののなかの一つとしてしか認めないのであれば、最終手段としての武力行使の基礎とはなりえない。

「目指すべき国家像」というのも気に入らない。第一に、国家とは目指すべき理想を実現するための手段であってそれ自体が目的ではない。これはアメリカ独立宣言の影響「これらの権利を確実なものとするために,人は政府という機関をもつ.」を多分に受けた考えで、自前ではないと非難されるのかもしれないが、それなら国家こそが目的であって他は国家に従属すべきだということを正当化してみせればよい。余談だが中曽根氏に知的水準が低いと蔑まれたアメリカの子どもたちはこの独立宣言を暗唱させられる。新しい憲法は「義務教育の段階で暗記し親しむことができるものにすべき」というがその知的水準はどのあたりに設定されるのだろうか。
第二に現行憲法では日本がどういう「国家」である(べきな)のかという規定は無い。「国家」という単語自体、前文の「いずれの国家も~」「日本国民は国家の名誉にかけ~」のふたつだけ、他国(家)との識別としてしか使われていない。「国家」を内在的には規定していない、というのは憲法としては妙であるような気もするが実は違う。現行憲法では「国家」ではなく「国会(立法)」「内閣(行政)」「司法」を規定しているのだ。なぜなら、三者は互いに独立した権力であるからだ。「目指すべき国家像」というのが気に食わない理由は、そこに三者間のチェック&バランスなどという枠組みが存在していないことだ。
「表現の自由」制限を検討=自民権利義務小委というもうひとつの動きを考え合わせると、自民党が望んでいるのは三権と第四の権力たるメディアの統一であり、「国の独立」とはすなわちこの四身一体を神聖にして犯すべからざるものとすることを意味しているのではないかと勘ぐりたくなる。

国民の安全確保?冗談言わはったら困ります。自己責任の、迷惑かけられたの言うてはったのはどちらさんどすえ?(美しい日本語とはこういうことどすか?)
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by tyogonou | 2005-03-02 02:51 | 憲法 | Trackback | Comments(0)
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