BSE
[BSE]「全頭検査見直しの遅すぎた結論」
国際標準を持ち出すのは必ずしも悪いことではないが、このテの問題に関しては甘い基準を厳しくしようとする時にいうべきことであって、厳しい基準を緩和する時にはあくまでも安全度を主軸に議論を展開すべきではないかと思う。しかしこの社説に安全か否かという議論が無く「当然の結論」ということで済まされているのはどういうことか。
 BSE発症によるパニック的な牛肉離れを抑えるため、緊急避難として導入され、一定の効果はあげた。だが、全頭検査を続けても、若過ぎる牛については感染の確認が困難なことは、専門家の常識だ。騒ぎが鎮静化した後は、日本もすぐに全頭検査を解除すべきだった。
「感染の有無を確認できない」から検査せずに売れというロジックは私には理解できない。検査で安全を確認できないものは販売禁止というのが論理的には正しいと思うのだが。もっとも全頭検査とは消費者の不安から生産者を守るために行われるものであったようだから、病原体の有無などどうでもいいことなのかもしれないが。
BSEの脅威について理解する(仮訳)
「積極的監視体制をとっている国で数例のBSEが発見されたという報告のほうが、監視体制のない国で症例の報告がないという事実より安心を与える。」

これはまっとうな、そして科学的な態度だと思う。

 今回、検査対象の月齢が、20か月とされたのは、全頭検査で感染が確認された最も若い牛が21か月だったからだ。
 だが、家畜の国際的な安全基準を決める国際獣疫事務局(OIE)は、対象月齢を30か月以上としている。
 欧州では、この基準に基づいて検査を実施している国が大半だ。日本が新しく対象とする「20か月」でも、国際標準には依然、程遠いと言わざるを得ない。
21か月でBSE感染が確認された例があったという事実をわざわざ提示しておきながら、議論には全く取り込んでいないのも不思議なことだ。そういう例が確認されたということは全頭検査に意義があったということであり、30か月を対象月齢とする国際的な基準の方が安全から「遠い」というべきではないのか。
月齢確認については、肉質などで判断が可能、とする米側の提案を日本側が基本的に受け入れている。安全委で改めて議論するまでもあるまい。
これも順序が逆だ。だったら最初から安全委員会など設けなければいい。

とはいえ、こういう問題はリスクがあるからダメということでもない。リスクと利益を天秤にかけて国民が判断することである。「ふぐは食いたし命は惜しし」というのは昔からあることで、BSEも人から人への感染は輸血などを除いては無いようだし、承知の上で吉牛食べたいというなら、トレーサビリティが確保されるという条件が満足されるなら、輸入も仕方ないかとも思う。
ただし、責任の所在だけはあらかじめはっきりさせておくべきだ。反対意見を押し切ってまで決定を下した側はより大きな責任を負わなければならない。
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by tyogonou | 2005-03-31 02:26 | 社会 | Trackback | Comments(0)
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