新法王
<新ローマ法王>南アのツツ元大主教、HIV問題で失望表明
南アフリカのノーベル平和賞受賞者デスモンド・ツツ元大主教(英国国教会)は20日、南アのラジオ番組で「コンドーム使用などを巡る世界の最新情勢について、もっと開明的な人物が選ばれることを望んでいた」と失望感を表明した。
新しいローマ法王が決まった。
保守的な人選に失望の声もあるようだが、現状では悪くない選択だったのではないかと思う。
私自身はカトリック教会の保守的な見解には同意できないのだが、教会内部に保守的な路線への反対派ではなく、より積極的な開明派とも呼ばれるべき勢力が育ち、それを代表しうるような人物が出てきていないのであれば、保守的だが理論派の人物が法王になるのはひとつの選択だと思う。なまじ物分りのよい人物よりもオルタナティブの試金石となるような人物のほうが、改革には貢献できるのではないかと思う。
もっとも、性に関する問題について教会がより開明的な教義を示すということは相当に難しいことではないかとも思う。宗教とはもともと理想主義的(ときには原理主義的)なものであり、現実が教義にかけ離れているから教義の方を変えろという訳にはいかないものだ。言い方をかえれば、人間の事情で神様の意志を変えてくれいう訳にもいかないものだし、神の意志を人々に伝え実現する役割をもつ教会がその役割を放棄して現実にどっぷりとつかった対応を見せたらその権威は揺らいでしまうだろうということだ。財政問題を解決するために発行された免罪符の例を思い起こしてみると良い。
お前は私が定めたことを否定し、自分を無罪とするために、私を有罪とさえするのか。
お前は神に劣らぬ腕を持ち、神のような声を持って雷鳴をとどろかせるのか。(ヨブ記第40章第8~9節)
現在のアフリカの人々の置かれている状況は「神の思し召し」であり、その状況がどれほど苦痛に満ちたものであっても神の目に正しくあるならば、いつか(遅くとも最後の審判の日には)救われるはずである。もちろん神こそがその唯一の救い主であり、人間がでしゃばっていい領分ではない。教会としては彼らの苦しみに直接責任を負うことはできず、神の言葉を伝え、信仰に導くことによって間接的にその責任を果たすしかない。そういうこともできる。
だがそういう態度をとった場合、ホロコーストへの教会の関与についての前法王の謝罪などは意味を失ってしまうのではないかと思う。ホロコーストとHIVの蔓延にはたしかに違いはあるけれども、教会の活動によって左右されうることであり、その責任についての自覚が要求されるという点に関しては同様に考えていいと思う。かつてユダヤ人たちの苦しみに対する責任を放棄したことが間違いであったと本当に考えるなら、現在の保守的な教義解釈によって苦しみから救われずにいる人々に対する責任も負うべきではないかと思う。
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by tyogonou | 2005-04-25 02:49 | 国際 | Trackback | Comments(0)
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