貴乃花親方の「改革」
<日本相撲協会>貴乃花親方に厳重注意
相撲協会もケツの穴の小さいことだと思う。
連日のテレビ出演で世間が騒然となるにつれ、親方の間では「年寄になって3年目ぐらいで物が言える立場なのか」「弟子をきちんと育ててから言え」「(施行細則94条の)除名も検討すべきだ」など厳しい声が上がっていた。中には「除名しろ」などの強硬意見もあったほどだ。
「弟子をきちんと育ててから言え」というような相殺法は個人的には好きではないが、まぁそういわれても仕方のないくらい貴乃花は親方としては下っ端な訳で、だったらそんな若輩者の言うことに目くじらをたてることもあるまいとも思う。むしろ、今回のような処分を場所中に行ったということで、貴乃花親方の発言力がそれ相応に大きいものであることを認めてしまったようなものだ。
そもそも貴乃花親方の発言は、故二子山親方の正統な後継者が相撲を辞めた兄ではなく自分であることをアピールするために、自分が如何に相撲のことを考えているか、相撲界にとって自分が如何に重要であるかを印象付けるための方便であって、現在の協会に対して批判する意図などなかったと見るのが妥当ではないかと思う。相手はあくまで花田勝氏なのだから。ただし、それを協会批判の方へと煽り立てていったマスコミなどもあったようで、そのあたり火種となりそうな言動を看過できなかったという事情も協会の側にはあったのかもしれないが。

それはそれとして問題は貴乃花親方の「改革」である。



私は貴乃花親方は大相撲を改革したいというよりも自分が大相撲の「改革者」になりたいだけなのではないかと思う。端的に言えば、親方には切実な問題意識というものが欠けている。
例えば非難の的になっている自宅通勤を考えてみよう。自宅通勤を非難する側の論拠というのは必ずしも確かなものではないように思われるが、決定的に問題なのは貴乃花親方の方に、部屋に親方が住むことが優れた弟子を育成するにあたっていかなる弊害をもたらすのかということに一言の説明もないことだ。まして親方は藤島(二子山)親方の家族として幼少期を相撲部屋で過ごし、そのなかで相撲人としての自己形成を行ってきた人間である。部屋に親方がいることの利点も問題点も最もよく知悉する人間のひとりである。加えて故親方への思慕と相撲の後継者としての自負を語ってきたのであれば、この伝統にも人一倍の愛着を持っていたはずであり、それをあえて変えたということはよくよくの事情があってのことだったのではないかと問いたい。
おそらくそんなものはないのだろう、と思う。自分の時間、労力といったものが他人に奪われるのがいやなだけなのではないか、と思う。
もともと、現役時代から貴乃花にはそういった自分勝手な面があった。おそらく少なからぬ人間の記憶に残っているシーンではないのかと思うが、貴乃花は控えにいるとき、腕組みをして目をつぶっているようなことがあった。それを自分の相撲に対するすばらしい集中力として褒める向きもあったようだが、これはとんでもない話だ。よく知られていることだが、行事の判定に問題があった場合、土俵の四方にいる勝負審判が物言いをつける。問題は、控え力士にも物言いをつける権利があるということだ。それは言い換えれば、おかしな判定が出ときに物言いをつけることができるよう、きちんと土俵を見守っていなければならないということだ。これは横綱としてではなく、力士として当然の義務である。それを拒否してただ自分自身の取り組みのことだけを考えているというのはかなりの問題行動といってよい。もっとも、強力な集客力を持つ貴乃花に周囲がきちんと言わなかったということも問題なのだが。
激やせで話題になったまわし姿にしてもそうだ。あれは一年ぶりのまわし姿ということだが、その一年間親方はどのようにして弟子に稽古をつけていたのだろうか? 考慮すべき理由は確かにある。親方自身太りすぎで健康上問題が起きる可能性があったこと、親方だから必ず胸を出さなければならないというものでもないこと(体重があっても年齢上無理だったり)などを考えれば、胸を出すことなく指導することは非難するには当たらない。だが、その能力を著しく欠くような体になった今になって再開しなければならない理由はなんなのだろうか? それもまた「弟子を熱心に指導する貴乃花親方」というイメージが欲しかっただけではないのだろうか
。弟子達にとって貴乃花親方が胸を出すことが本当に重要であるなら、そして親方が本当に弟子達のことを考えているなら、自分の健康状態と指導に耐えられるだけの体力とのバランスに苦心しながら原料と稽古とを両立させてきたはずだ。それでもあれだけ体重を落とさなければならないほど健康状態が深刻であったなら、稽古は基本的に口頭で技術的なものについて指導することに徹し、体を張ることはきっぱりあきらめるべきだ。健康に悪いので減量します。その間まわしを締めて指導することはしません。二子山親方の死にともなって自分の親方としての努力を見せるためにまたまわしを締めることにします。体力はだいぶ落ちてしまっていて、まるで入門したてのころのように胸も真っ赤になってしまいました。こういったちぐはぐな態度は指導者としていかがなものかと思わずにはいられない。
たしか小錦だったか、引退を表明した後、その日の土俵には上がって有終の美を飾るつもりだったが、もはや勝敗の意味がなくなった力士が土俵にたつことは許されないということで、それが叶わなかったということがあったと記憶している。相撲の世界とは厳しい勝負の世界であって、弟子が全力でぶつかることを躊躇してしまいかねないような位やせ細った親方が土俵に降りて胸出しするというのも、かなり不真面目な行いであるように思える。一体親方はそれで何を教えようというのか。

長くなるので今日はここまで。
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by tyogonou | 2005-07-20 02:12 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(0)
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