人種差別
<横綱審議委>朝青龍に注文 けいこに対する姿勢など
 これに対し内館牧子委員(脚本家)は「けいこしないで優勝できるところを見せたら、横綱へのエールもなくなるし、負ける日本人が情けないと思われる」と話し、師匠の高砂親方に「なぜたびたびモンゴルに帰すのを許すのか」とただした。これに対し高砂親方は「母国での取材依頼や所用があるようだが、これからきちんと話をする」と指導する意向を示した。
負ける日本人が情けないと思われる、ではない。稽古が不十分な力士を優勝させてしまう他の全ての力士が情けないのだ。ふんどし一丁で土俵に上がれば、そこは自分の心技体と日ごろの稽古だけがものを言う世界であって、国籍など入る余地があろうはずはない。(相撲とはそもそも体重差さえ全く問題にしない稀有の格闘技だ。)それに情けないかどうかは各自が判断すればよいことで、他者(この文脈では日本人以外の目を想定しているようだが)の判断など気にする必要も無い。
プロ野球界もそういう傾向があるが、評論家など一定の地位にある人たちが、いわゆる「ガイジン」選手の活躍を喜ぶことのできない器量の狭いところをみせたりすることのほうが情けない。たしか、貴乃花親方の改革案なるものがメディアに取り上げられ、相撲界の活性化について議論がなされた頃にも、日本人横綱の必要を言う声があった。そんなことは相撲界から外国人を締め出せば簡単に達成できることだ。日本の国威発揚の為に、日本人が外国人を打ち負かす絵が欲しいのであれば、相撲中継の代わりに力道山対シャウプ兄弟の映像をエンドレスで何度も流せばよい。
だがそれで望むような結果になるだろうか? 高見山以来の外国人力士が存在しなかったら相撲界は今よりもっと盛り上がっていただろうか? あるいは、そういった方途によって健全な誇りが得られるであろうか?
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by tyogonou | 2005-09-27 13:28 | スポーツ | Trackback | Comments(0)
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