いまさらながら荒川の舞について
何度見ても感心せざるをえない。

まず何より構成がすばらしい。
難しいコンビネーション群で盛り上げたあと、長めのバランス技で魅せ、プッチーニ自身が指定していたかのようなジャンプで「誰も寝てはならぬ」の名旋律にアクセントをつけ、イナバウアーから三連続ジャンプ、スピン群でひとつの頂点を形作る。その後、比較的地味なステップワークへとつながるのだが、それまで抑制されていた腕がまるで溶け出したトゥーランドットの心のように豊かな表情を見せ始める。それは地味ながらメリハリのあるリズムを刻む体(そして左右の腕で色の異なる衣装)と相俟って見るものの心の奥底から清清しい喜びを沸き立たせる。我にかえってその沸き立つ喜びを表出させるような集中力の切れ間を作ることなく迎えられるラストのスピンで、観客は思わず立ち上がってしまうほど深いところからの感動に酔いしれてしまう。そこにはいかなる過剰もなく、さりとてなんの物足りなさを感じさせることもなく、美そのものが研ぎ澄まされていく過程を見るようだった。あのイナバウアーも要所で二回か三回使えばそのたびに盛り上がっただろうが、全体として(些細ではあるが)緩慢な印象を与えることになったかもしれない。急所で一回だけしか使わなかったことで演技を引き締まったものにしたし、イナバウアーという技にもまた鮮烈な印象を抱かせることに成功したのだと思う。
荒川自身の演技について言えば、解説者たちがこぞって称賛した重心の移動とエッジの使い



方のうまさがそれ自体ひとつのメロディーを形作っていたといえるほどに豊かな音楽を奏でていたと思う。またそういった高い技術のおかげで姿勢が常に安定していて、腕に余計な力が入らずよく伸び、そして指先まで神経が行き届いていた。Y字バランスでスケートから手を離したときやイナバウアーのときなどはまさにそれが良く現れていたが、ジャンプする直前などに姿勢を安定させるためのなにげない腕の動きに優雅さが漂っていたのはまさにこれゆえだったと思う。ジャンプ直後などに失速することも皆無で、この作品の一点の曇りもない清冽さを産み出していた。
人はこの演技を無心、無欲が生んだと言う。だが無心という言葉を使うとそこに無心であることを意識する心が残るようで私は好かない。得点を競い合うことへの執着(しゅうじゃく)から解放された「白鳥の歌」というのも(あまり演義のいい表現ではないかもしれないが)本質を捉えた言い方であるとも思う。だがそれよりも"musizieren" 「音楽する」というドイツ語、一般的には「演奏する」という意味だが日本のクラシックファンにはちょっと独特なニュアンスを持つ言葉こそまさにふさわしいのではないかと思う。ヴァイオリンによる演奏を使うというチョイスもまたセンスの光った点だが、開会式でキング・オブ・ハイCが有り余る声量で響かせたカンタービレとは全く逆に、耳に届く音響を超越したところにある音楽そのものの「イデア」に観客を導くような力を持った作品になったと思う。
アイススケートという競技の中で、こういった試技の枠では語りきれない演技といえば、サラエボオリンピックでイギリスのペアが演じた「ボレロ」を思い出す。あのボレロと比較するのは誉めすぎなような気も一方ではするが、しかし、より高度でシビアな技術的制約のなかで同様のことを成し遂げたことを考えれば身びいきゆえの偏った見方ではないのではないかとも思う。

ただ、残念というか気がかりなことがひとつある。荒川の演技のこのようなすばらしさは、彼女が金メダルを獲得するのに貢献した訳ではないと言うことだ。メダルは主にこの演技が難易度の高い技を多く含んでいて、それがミスなく行われたということでもたらされたものだ。金メダルをとったからこそ荒川の演技の美しさが賞賛されることになったわけだが(素直に認めれば私自身、金メダルの演技ということで大々的に取り上げられることがなければ全く見向きもしなかったかもしれない)、もし、他のプレイヤーにミスがなかったら、あるいはショートプログラムでの成績が悪く、この演技をもってしてもメダルに届かなかったとしたら、これだけの高い評価を受けただろうか? 私が恐れるのは、結果としてそれが吉と出たわけだが勝負の世界で生き残るためには本来否定されるべき無欲さ、高い点に結びつかないイナバウアーを主な理由としてプログラムを選ぶというような消極的な姿勢が、全種目でメダルゼロという状況であったら、批判をあびることになったのではないかということだ。新しい採点基準を熟知したコーチを採用するなど、メダルを取るために必要なポイントは抑えていたとは言うものの、そんな荒川がトリノで唯一のメダルを獲得したというのは皮肉ではある。今後フィギュアスケート界隈には荒川の演技が指し示したベクトルとより高い成績を求める競技というベクトルとの間で若干の齟齬が出てくるかもしれない。もっとも次に控えている大型新星にそんなものは吹き飛ばされてしまうのかもしれないが、スポーツには成績や苦労や人情話などを超えた世界があることを再確認させてくれた荒川の演技をわたしはずっと心に留めておこうと思う。
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by tyogonou | 2006-03-07 01:36 | スポーツ | Trackback | Comments(0)
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