靖国問題が保守分断 「中国利する」と麻生外相
憲法上、宗教法人に対して(宗教法人格をはずすように)政治介入はできない。靖国神社という宗教法人側からの話でない限りは(できない)」と述べた。靖国神社の宗教法人格見直しについてこの見解は正しい、と私も思う。もっとも、靖国神社からの要請があったからといって、戦没者と神道を結びつけたまま靖国を国へ取り込むようなことはすべきではないが。 新しい施設ができても、亡くなった方は『靖国で会おう』と言って亡くなったから靖国問題はなくならない。こういう意見もよく見かけるが、私にはこれは疑問だ。 靖国に祀られることを信じて死んでいった人たちへの裏切りだと言う。ならば問いたい。「一億玉砕」を信じて自ら死んでいった民間人の信頼に応えなくてよいのか、と。たとえ応召兵であっても、兵士には死の危険はつきものであり、それは靖国があろうとなかろうと受け入れなければならない。だが、戦争において民間人は守られなければならない存在であり、本当なら永らえるはずだった命を自ら絶つことを強制する根拠となったのは、自分だけでなく、日本国民は皆敵に屈することなく死を選ぶという約束だったのではないか? それは兵士が戦死するということとは異なり、異常な、特別なことであって、彼らを裏切ることは兵士を裏切ることよりはるかに重いことではないのか? 人間としての品位を欠く考え方ではあるが、一億玉砕したあかつきには靖国神社も存在しえず、英霊を祀ろうという人間は自決して居なくなっていたはずで、兵士達もそのことを了解済みだったはずだ、ということもいえなくもない。 だが、戦時中に国の指導的立場にあって一億玉砕を唱えながら、A級戦犯として生きたまま捕らえられ、自決することなく処刑された人々の彼ら民間人に対するこの非常に大きな責任を麻生氏はどう捉えているのか。そして、麻生氏は、戦死も自決もしなかった父祖に代わってやらなければならないことをやるつもりでもあるのだろうか?
by tyogonou
| 2006-05-21 02:35
| 国内政治
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