ひとつのコインの表裏
日テレ「24時間テレビ」マラソンでネット大騒動
「お年寄り相手に公の場で怒鳴りつけることができる奴は、普通じゃない」
こんな年寄りを大切にする人々に満ちているなんて日本とはなんてすばらしい国だ・・・
そういったさわやかな気持ちにはなれないのはなぜだろう。

もし、このときこの女性のせいで走者が転倒して怪我、リタイアでもしていたら、「年寄りのしたことだから」許そう、というような論調になっただろうか。女性と、女性を阻止できなかったスタッフの両方に対して激しい攻撃の火の手が上がったに違いないと私には思われる。たとえばこの記事でも、女性の行動は好意的に表現(「しかし、声が聞こえなかったのか、女性は2人に軽くタッチし、激励の言葉をかける素振りをみせた。」)し、スタッフの行動は読者に嫌悪感を抱かせるような表現{「これに先ほど注意した伴走スタッフの男性が爆発。(中略)とどめを刺さんばかりに怒鳴り散らした」}をするなど、意図的にスタッフのひどさを際立たせようとしている。公平さの欠片もないこういった態度に、書き手は弱いものを叩けるなら、相手が見物の女性であろうが放送局のスタッフであろうが、あるいは相手の行為が批判されるべきかどうかさえどうでもいいのではないのかと疑いたくなる。

客観的に見て、見物人が走者に触ることは正当なことだろうか? 100キロという長距離を走る人を激励したいのなら、声援を送るなり目に付くところに垂れ幕でも作るなりし、無闇に触ったりして走行の邪魔になるようなことは他人に注意されるまでもなく慎むのが、判断力ある大人として当然のことではないのだろうか。まず最初に非があったのは女性の方であったように私には思われる。度を越えた怒られ方をしたのは少々気の毒だが、この女性の場合も自己責任の原則を外れるわけではない。
逆に、触ろうとするのを放送局側が放置していて同じように触ろうとする見物客が押し寄せて見物客の側にけが人でもでていたら、もっと大きな問題になっていたはずだ。100キロマラソンはタイムを競う競技ではないとは言え、アテネ五輪マラソンでの事件はまだ記憶に新しい。

問題はそれに対するスタッフの注意が「恫喝」と言われるほどに激しいものだったということだが、伴走するほど若く、24時間放送というイベントのハードなスケジュールの中で、3回も繰り返した注意を無視した相手に市民の模範ともなるべき紳士的な態度で接することのできる人材は、当節そんなにありふれているだろうか? むしろいまどきの若者としてはありがちなキレ方で、下っ端のスタッフにそれ以上のものを期待する方が難しいのではないかと思う。
もちろん、だからといってそういった態度が正しいということにはならないが、スタッフの注意の仕方に相手の年齢や悪意のなさ、実際の影響の少なさなどを考慮した「適切さ」を要求するなら、それに対する批判も同様に理性的で公平な視点に立った「適切な」ものでなければならない。「お年寄り相手に公の場で怒鳴りつけることができる奴は、普通じゃない」というようなことを言う人間は、このスタッフと同様の状況において道徳的にはるかに優れた対応をみせるだろうか。私は懐疑的だ。

個人的には、個人的な感情の問題であれ正義や倫理の問題であれ、怒りの表現が度を越えがちな風潮は大いに心配だ。(加藤紘一氏の自宅放火事件などもそのひとつの表れだ。)そしてこの恫喝事件では、当事者である放送局スタッフもその批判者もこの嫌な風潮という同じコインの表裏に過ぎないと私は思う。
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by tyogonou | 2006-09-01 02:05 | 社会 | Trackback | Comments(0)
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