まずい言い訳
ローマ法王、イスラム教に関する発言で「深い遺憾」表明
教皇自身が謝罪したということは大きなことであるかもしれないが、これでは収まらないだろう。
法王は「私の発言に対する一部の国での反応について大変遺憾に思う。発言は引用であり、個人的な考えを反映するものではない。これで私の真意が明らかになり、率直な対話につながればよいと思う」と語った。
例えそれが自分の言葉でなくても、それを持ち出した責任が教皇にはある。教皇がどのような文脈で引用を行ったのか、詳しいことが分からないのでなんともいえない部分もあるが、少なくともこの遺憾表明においてさえ、問題となっているビザンチン帝国皇帝の言葉に対して批判を加えていない。それでは自分の意見を補強するための引用だととられてもしかたがない、というよりそのようにとるのが普通だ。
教皇の対応の問題はもうひとつある。「邪悪と残酷さ」という表現がイスラム教徒の気持ちを害したという前提で対応しているようだが、重要なのは「ジハード(聖戦)は神に反する」という発言のほうだ(そしてこれは紛れもなく教皇自身の言葉だ)。もちろん前者も重大な侮辱ではあるが、精神的に未熟で教養のない非イスラム教徒の人間がいったとしても特に驚くようなことでもなく、教皇がこのような発言をすることは、カトリック教会最高位の聖職者の知性を貶めることでしかないともいえる。
とはいえ、こういった無知からくる偏見がどれほど危険で邪悪なものを呼び覚ますかということを、元ヒトラー・ユーゲントであるヨーゼフ・ラッツィンガー氏は理解していなければならならないはずで、無邪気な引用と無邪気な言い訳は決して許されるものではないと思う。
それはともかく、ニューヨークタイムズが指摘しているように
「多くのイスラム教徒にとって聖戦とは精神的な戦いであり、暴力への呼びかけではない。法王は、深く、説得力のある謝罪をする必要がある」
ジハードは異教徒を殺すことを意味するのではない。禁忌を犯さないように自らを律するのはイスラムの教えを守るための大きなジハードである。それはイスラム教の信仰の五つの柱にプラスされることもある重要な行いであって、「ジハードは神に反する」などという発言は正統なイスラム教徒にとっては許しがたいものであろう。それはまた、アルカーイダのような組織が行うテロ攻撃に対して、民間人の命を奪うような行為はジハードとは認められない、といったかたちで非難してきた穏健なイスラム教学者達に対してあまりにも無礼な発言である。真に「率直な対話」を望むなら、まずこの点について熟考したうえで「説得力ある謝罪」をしなければならない。
法王発言に報復テロ予告、アル・カーイダ系武装勢力
こういった動きも当然予見できたはずで、ヴァチカンを巻き込もうとする武装勢力の試みが、民衆の支持を得るという意味においてどの程度成功を収めるかは疑問の余地があるが、教皇庁の対応によっては決して小さくはない影響を及ぼしかねないと不安ではある。
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by tyogonou | 2006-09-19 02:34 | 国際 | Trackback | Comments(0)
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