ひとつの時代の終わり
「ミステリアス女優」岸田今日子さんが死去…76歳、脳腫瘍
 つぶらな瞳に厚い唇、低い声のゆったりとした語り口が印象的で、情念を漂わせた名演からユーモアに満ちた弾けた演技まで、幅広く演じられる数少ない個性派女優として名をはせた。
芸を表現するのがちょっと難しい人だったと思う。どんな役どころを演じても「岸田今日子」の存在感は際立っていたが、それでいてその名前が役を越えて浮いてしまうようなこともなかった。訃報によって初めてあのムーミンの声が岸田今日子であったと知って私は少し驚いたのだが、ナレーションや朗読では際立った存在感を見せた「岸田今日子らしさ」が実に自然にムーミンやミス・マープルに溶け込んでいて、配役を知って驚き、納得し、そして「さすが」と感心させられるのだった。
記事には「情念を漂わせた名演から~」とあるが、「砂の女」の時代より後のファンにしてみれば「八つ墓村」などで見せた怪演から~といった方がしっくりくるようでもある。そういった表現が流行るよりずっと前から「キモかわいい」独特な存在であった。それが、最近ありがちな(大木こだま・ひびきが記憶に新しい)爆発的だが一過性の人気を巻き起こさなかったのは、そんな両極端の特性をオブラートにくるみ、岸田今日子というひとつの個性にインテグレートさせる自然な品の良さのおかげだっただろうと思う。
この人ほど「~してらした」といった言い回しが自然であった人はいない。岸田今日子を聴くということはその敬語世界を聴くことであったように思う。それはあるいはその昔においてさえ必ずしも一般的ではないひとつの類型に過ぎなかったかもしれないが、彼女が亡くなった今、それが典型にまで高められていたことに気づかされる。彼女の死とともにたおやかだったひとつの時代が終わりをつげるようで寂しい。
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by tyogonou | 2006-12-22 01:35 | 社会 | Trackback | Comments(0)
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