出来ちゃった婚
杉浦&辻ちゃん会見で“でき婚”否定
アイドル辻希美は“でき婚”で一巻の終わりか
「できちゃった婚、許さねぇぞ!」 和田アキ子、辻ちゃん問題で吼えまくる
会見では取材陣から「避妊は考えなかったのか?」などと率直な質問が飛んだ。
避妊は真面目な問題だから訊くなとはいわないが、ファンの子ども達も見るであろう会見の場では慎みのある表現をする配慮があっても良かったのではないかと思う。

プロ意識の欠如をいう批判は基本的には正しい。(ただし「加護ちゃんが喫煙で(所属事務所をクビになり)、この子(辻ちゃん)一人で頑張らなければならない時に」云々というのはちょっと違う。喫煙問題よりも妊娠の方が先立ったわけで。)その影響の大きさを考えればどんなエクスキューズも批判に抗しえない。

だが・・・


私がきっぱりとこのカップルを断罪できないのは、私自身が「罪なき者」ではないからというだけではない。
大きな疑問は、この世に新しい生命が生まれ出でることは不祥事なのか、ということだ。不祥事であるのは、自分達の行為がともに仕事をする多くの人たちに迷惑をかけ、あるいは自分達の売っている夢やイメージを損なうことを考えなかった無分別だということはもちろん分かっている。しかし、それは命の誕生という慶事を打ち消してしまうほどのものだろうか?
あるいはそうなのかもしれない。
仕事と命、二つの価値のどちらを優先すべきかは人により社会による。
私個人としては、後者を優先したいし、生まれ出でる命が歓喜と祝福によって迎えられて欲しいと思う。冷笑、怒り、憤り、哀しみ、恨みを背負った不祥の子として生まれてほしくないと思う。禅家に「新婦、驢(ろ=ロバ)に騎(の)れば阿家(あこ=姑)牽(ひ)く」という公案があって、社会的常識と真逆でありながら喜びと平和に満ちた仏の境地の例えとされている。結婚妊娠の順序が逆であろうと、あるいはそれによって周囲の人々のスケジュールが狂おうと、すべてを包み込んで「おめでとう」と言える長者がこの社会にもいて欲しいと私は思う。
だが、成人前の喫煙問題と同等であるかのような扱い方をみていると、この社会において子どもを生むことや性交渉をもつことは、ある種の悪癖か、良くて他人様に迷惑をかけない範囲で楽しむ趣味に過ぎないように思われる。


もうひとつ疑問がある。
これとは全く逆にスケジュールをきっちり調整して計画的に出産し仕事にもスムーズに復帰するようなやりかた(実際にそうして高い評価を受けている有名人夫妻もいる)は、非人間的といえないだろうか、ということだ。
このカップルは動物的な欲求(単なる性欲から高貴な愛情に至るまでを含めた自らの内から湧き出でるもの)にしたがって行動し結果として「できちゃった」わけだが、それに対して批判者が要求しているのは、そういった動物性を排除し、外部からのorderによってコントロールされる機械であれということではないか。すべきでない状況下で妊娠したタレントへの非難は、子ども(あるいは特定の性別の子ども)を生まない女性に対する非難と同様、生殖を生産管理の問題と見る考えが背後にあるように思われる。
望まない妊娠や病気などから身を守ることに自覚的であることは大切なことだ。そしてもちろん、自分の行動が周囲の人々に及ぼす影響について自覚的であることもまた重要なことだ。しかし、生殖行動の根本にある自然の大きな力を排除することを強いるような安易な非難は私には受け入れ難い。
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by tyogonou | 2007-05-15 23:30 | 社会 | Trackback | Comments(0)
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