ハト派の遺言
中国新聞 ハト派の伝言
 私が、子どもから学生、社会人へと成長した昭和初期は、灰色の時代だった。軍部が台頭して政党政治が機能しなくなり、自由が徐々に奪われていった。自由の意味を分かりやすく表現すれば、言論の自由。言いたいことが言えず、逆らうと憲兵に連れて行かれる、といったようなことが起こっていた。
 思い返しても、戦争中の苦労や、食べ物のないつらさはほとんど記憶にない。覚えているのは、自由が圧迫される時の苦しさ、つらさです。例えれば、空気がなくなっていく過程に似ているのではないでしょうか。いくらでもある時はありがたいとは思わないが、なくなると苦しくなる。気付いた時はもう遅い。すべてが失われ、死滅する。
言論の自由が保障されているはずの現在に生きる私に「空気がなくなっていく過程」が身近にリアリティーをもって感じられるのは恐ろしいことだ。言論が封殺されているような状況にあるわけでもないし、国家と国民の関係も私たちを取り巻く言論環境も当時とは異なっているにも関わらず、この苦しさの質の相似が気にかかる。
 もちろん「日本が悪い」という意見もあった。しかし、こちらが反論すると「それもそうだ」という声が返ってくる。これでは議論が日米対抗にならない。初めて言論の自由を肌で感じた瞬間だった。「えらい国に来てしまった。こんな連中を相手に戦争しても勝ち目はない」と思った。民主主義を理屈では分かっていたが、日本とはあまりにも違っていた。
自分と異なる意見をなぜ認めなければならないのか、いろいろな説明があるけれども、言論の自由の無いところから見れば、異論を認めることのできる人間とは「戦争しても勝ち目はない」と思わせるほどの強いのだ。そのことを肝に銘じておきたい。
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by tyogonou | 2007-06-29 04:45 | 国内政治 | Trackback | Comments(0)
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