ミサイル迎撃論の現実性
<集団的自衛権>行使容認を提言へ 首相の安保法制懇 | エキサイトニュース
北朝鮮のミサイル攻撃が決して絵空事ではなくなってきた状況を受けての議論ではあるが、それでもなお、この議論は現実性を充分に吟味することなく、ただ憲法第九条の制約から政府や自衛隊の行動をより自由にすることだけを目指しているのではないかと思えてならない。

この記事を読む限り、想定されている事態は弾道ミサイルがアメリカに向けて発射される-それだけ-というもののようである。しかし、全てがそうとは限らないけれども、ある国が、弾道ミサイルによって他国を攻撃する場合、その国の戦争行動がそのミサイル発射のみで終わることは考えにくい。
戦争最初期に核ミサイルを相手国の上空で爆発させ電磁波によって通信網に損害を与えるシナリオなどが知られているが、弾道ミサイルは他の作戦の準備のための手段と捉えるべきである。湾岸戦争のときにもいわれていたことであるが、空爆だけでは戦争の決着はつけられない。ミサイルが飛んできた後には次の部隊が侵攻してくると想定しなければならない。
日本が同盟国に向けられた弾道ミサイルを迎撃するということは、日本が同盟国と敵国の間に位置する場合にのみ可能な選択肢であり、それは敵にとって日本列島がまず破壊すべき戦略的に重要な戦場となることを意味する。弾道ミサイルを無駄なく使いたいなら、迎撃システムを無力化してから使うのが当たり前だ。それに対して同盟国は、日本列島の戦略的価値ゆえに大規模な作戦行動をとるだろう。そうなってしまったら、自衛と攻撃の区別などという暢気なことを言ってられるのだろうか?
湾岸戦争の時にイラクがサウジやイスラエルに向けて発射したアル・フセインのような使用例ならそんな修羅場に陥ることなく限定的な集団的自衛権の行使としてそれを迎撃できるかもしれない。だが、それは攻め込まれて勝ち目のなくなった敵国の「悪あがき」でしかないかもしれず、そのような状況での迎撃=参加は憲法九条に抵触しないと言えるか疑問の余地がある。

北朝鮮に関する限り、北朝鮮が本気でアメリカと事を構え、その一部として弾道ミサイルを使用する可能性はほとんど無いと思われる。政情が不安定になり理性的でない決定によってミサイルが発射される可能性はそれよりは少し高いかもしれない。だが、そこで必要なのは憲法の解釈を変えて迎撃ミサイルを発射できるようにすることよりも、先の見通しの良くない金正日体制をそれがどんなものであれより理性的な次の体制へソフトランディングさせるための方策であるように思われる。
[PR]
by tyogonou | 2007-06-30 02:12 | 国内政治 | Trackback | Comments(1)
トラックバックURL : http://fukureki.exblog.jp/tb/7035698
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by 信天翁 at 2007-06-30 09:47 x
安倍政権の本領が段々出てきましたね。日本が段々おかしくなってゆく。でも、それが議会制民主主義政治の結果であるならば、それは「国民の意向」ということになる。いつの時代も人間のやる事はこんなもんです。全然成長しませんね。 寂しい生き物です。  という厭世論議はこれくらいにして。 「米国を攻撃するミサイルを迎撃する」とは、提案している人間はどこまでの範囲を考えているのか? 「米国が被害を受けると日本も甚大な被害を受けるから・・・」 となると、中近東にも自衛艦を送り
米国向けのミサイルを・・になる? 米国向けミサイルに向けて、日本の自衛隊は世界を走り回る事になる。 自衛隊でなくて米衛隊ですな。 おそらくこれを本当は考えている。 個人的には「日本領空を飛び交う未確認飛行物体は撃墜する」というのなら、解る。その適用の範囲が日本海であり、守る対象が「日本領空」と明確だから。 しかし「米国の為」となると、目的は「米国を守る」であり、その領域は「世界中」に広がる。何しろ「米国の敵は世界中に存在する」から。 これは完全な「米国の属国」化ですね。 素晴しい人達です。
<< 久間防衛相の信念 謝罪すること >>