Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 高市少子化担当相が靖国神社参拝
私は1人の日本人として国会議員として、現在は閣僚だが、折に触れてたった1つの大切な命を国家のためにささげられた方々に感謝の思いをささげたいし、その御霊が安らかであるようお祈りしたいと思っている
「たった1つの」は(失われる)「命」の枕詞としては良く使われるもので、大臣の発言もこれに倣ったに過ぎないわけだが、気に入らない。
命の価値は二つないことにあるのだろうか? 1つしかない盲腸は、2つある腎臓より尊い?

「ユニーク(唯一)」であるとはどういうことだろうか?
グレン・グールドという有名なピアニストがいる。奇行も多かったので「変な」という意味でもユニークな人と言えるがmバッハをはじめとする名演の数々は空前絶後、唯一という意味でもまさにユニークな演奏家といえる。ではそんなグールドの偉大さはどう表現されるのだろうか? 答えは簡単。彼より後、バッハのピアノ演奏のレコードを出した演奏家に「グールド以来の」という形容詞が付くようになったことだ。グールド本人にどんな美辞麗句を連ねてみてもその価値を表すことは出来ない。他者の評価の参照点となったことこそがグールドの唯一性をあらわしている。

「命」も同じことだ。その尊さを表現しようとどんな言葉を考えてみても、そういった言葉の存在が、非修飾語である命には説明されなければ分からない程度の価値しかないことを明らかにしてしまう。命は本来説明不要の価値を持つものだった。だからこそ「〇〇こそわが命」というようなことが言えたのだ。
この流れは沖縄の「ぬちどぅ宝」という言葉あたりから始まったのだろうか? 日本の国土で唯一戦場となった沖縄の言葉だけに私には残念なことではある。しかし、「健康のためなら命もいらない」というような冗談を成立させる命の無比の価値を、この表現は低めてしまっていることは否めない。命と健康のどちらが尊い宝なのか、どうやら真面目に秤にかける必要があるようだ。

高市大臣の発言にひっかかる理由はもうひとつある。
『プライベート・ライアン』という映画は、四人兄弟のうち三人までが戦死したため、残された母親のために唯一残った息子を救出する作戦を描いたものだった。母親をこれ以上悲しませないようにという心栄えは殊勝なことといえるかもしれない。しかし、逆に言えば、代わりの兄弟がいるなら心でもかまわないということになりかねない。
兵士の命に責任を負うべき立場にある人間が「命」の数を口にすることは、私には受け入れ難いことだ。たとえ一人の兵士にとって命はたった一つであることが分かっていたとしても、それが数として捉えられる限り、悲劇は容易に統計にすりかわる。兵士の、国民の命に自ら責任を負おうという指導者なら当然忌むべきところだが、大臣にはそういった問題意識があるのだろうか?
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by tyogonou | 2007-08-16 04:52 | 国内政治 | Trackback | Comments(1)
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Commented by kawazukiyoshi at 2007-08-16 15:08
同感!!
はじめ、恐る恐るこのブログに来て見たのですが、
おっしゃることにうなずきました。
もっと高い見識の大臣であってほしいものです。
今日もスマイル
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