日本人に愛される品格のある横綱
白鵬頼むぞ!海老沢委員長“品格のある横綱”訴える | エキサイトニュース
前委員長の石橋義夫委員にいたっては「(朝青龍を)横綱に推挙したことを、みんなが反省している」とした。
分からないでもないが、朝青龍の横綱になってからの成績を考れば横綱にしたことは決して間違いではないと思う。外野は他が弱いの情けないのと勝手なことを言うが、棋士とならんでプロとアマの差が最も大きいこの世界でずば抜けた成績を収めることはやはり大変なことだ。
 「日本人に愛される品格のある横綱として、攻めてよし、守ってよしの強い横綱として、相撲界の屋台骨を支えてほしい」
些細なことだが、不知火型を選択した白鵬に対しては攻めを強調しても良かったのではないかと思う。
ひっかかるのは「日本人に愛される」「品格のある」というところだ。
品格は日本だけの専売特許ではなく、品格のある横綱は国籍を問わず人々から尊敬を集めうるものだ。国技であるとはいっても、わざわざ日本人に限定する必要はない。それに、外国出身の力士にこういった注文をつけることは、取りようによっては母国を棄てろというようにも取れる。多くの「愛国心」教育の賛同者が言うように、自国を愛することが他国を尊重する態度の基礎となるなら、こういった限定のしかたは好ましいものではない。内館牧子と白鵬のやりとりもそういうお互いの尊重を語っているわけで、これを「白鵬には日本の伝統や礼儀作法を重視する姿勢があると評価」していると表現することはおかしい。

「日本人に愛される」ことと「品格のある」ということを無造作に並置しているのもどうかと思う。
少し前の四横綱時代を思い出してみるといい。
曙はそれこそ現在白鵬に求められている精神を全て体現した横綱だった。アメリカのバスケットボール選手という全く異なる世界から角界に飛び込みながら相撲とそれを取り巻く文化を深く理解しようと努力していたし、相撲という競技の技術面でも、すり足で脇をきっちり締め突き押しという基本に忠実な相撲をとっていた。
武蔵丸は、そこそこ安定感のある地味な横綱という程度の印象で精神面を称賛されることもなかったが、入門前から非常に大きな故障を抱えていたことを引退まで隠し続け周囲にも全く気づかれることがなかったのは高絶の品位といって差し支えあるまい。
この二人は品格という点ではまさに横綱に相応しいものをもっていたわけだが、どの程度日本人に愛されていたのだろうか。同時代に若貴兄弟という大変な人気者がいたことが不幸でもあったのだが、曙の場合は太すぎる胴に細長い手足の釣り合いの悪さ、武蔵丸の場合は西郷隆盛にも似て親しまれることはあったが少々暗めの印象から、人気力士であったとまでは言いがたい。
人気と品格とは必ずしも矛盾するものではないが、時に高い品格は大衆の人気を呼ばないこともある。少なくとも、品格を求めるなら周囲に理解されないことを恐れてはならない。

すこし細かいことを言い過ぎたかもしれない。
白鵬への激励を「ノーモア朝青龍」へと飛躍させる記事も気には障るがスポーツ紙の記事のひとつの型を踏襲しているに過ぎない。
海老沢委員長の言葉も、横綱昇進披露パーティーでの挨拶としては無難なものだ。

それでも・・・。
そろそろこの問題に関して、誰かが見識、品格の高い言葉を披露するのを聞きたくてしかたがない。
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by tyogonou | 2007-09-04 00:23 | スポーツ | Trackback | Comments(0)
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