ペリー・メイスン・シリーズより
「質問に答えることが、自分を罪におとしいれると考えた場合にはね、ミス・ベビンズ、あなたはただ、”憲法に定められた権利に基づき、私を罪におとしいれるおそれのある質問に答えることを拒否します”とそういえばよろしい。いったん、あなたがそういったからには、地上のいかなる権力といえども、あなたに答弁さすことはできません」
(中略)
「このような質問が、なにゆえに証人を罪におとしいれることになるのでしょうか?」バーガーはウィンターズ判事に助けを求めた。
メイスンは肩をすくめた。
「もし、わたくしの法解釈にして誤りがなければ、それは証人自身が判断することでありましょう。説明することは、かえって質問に答える以上に、証人を罪におとしいれることになりかねません」
『義眼殺人事件』

アール・スタンリー・ガードナーは興味深い作家だ。
作品は、謎解きの巧緻さ、面白さという点では三流、人間性への深い洞察を提供するという文学的な価値という意味でも三流だと私は思う。しかし、真実へ到達しようとする手続きの面白さという点では、他に比肩するものがない。
代表作の主人公弁護士のペリー・メイスンは、時に実際に罪を犯した(かもしれない)被告を法廷での駆け引きによって無罪にしたりするあたり、橋下弁護士に言わせたらとんでもない不良弁護士ということになるのだろうが、メイスンはニヒルでダークなヒーローなどではなく、弁護という特殊な形式ではあるが、どちらかと言えば単純な正義を体現する典型的なヒーローだ。
「わたしの反対尋問の方法が、いささか風変わりだったことは、わたしもみとめます。が、どこが間違ってるんです? わたしはガートルード・レイドに起立してくれと頼んだ。で、彼女は立った。わたしはサールに、この若いご婦人があのレストランの隣のテーブルにすわっているのを見かけたかどうかたずねた。もしあの男に後ろ暗いところがなければ、「ノー」と答えればいいんです―――そんなところに行った覚えはなく、したがってそんな女を見かけたはずはない。それだけのことじゃありませんか」
「だが、きみはあの女に、そこにいたと証言させたじゃないか」とキターリングは抗議した。
「そんなことするもんかね」と、メイスンは興奮した主席検事を軽蔑しきったような目つきで見やりながら言った。「第一に、あの子は宣誓していなかった。第二に、あの子はただ、「そのひとだわ」と言っただけだよ。事実そうじゃないか。あの男は、あの男以外のなにものでもありやしない。たとえば、ぼくがノックス判事を指差して、「そいつだ!」とわめいたとしても、嘘をついたことにはならない。きみはきみ、ぼくはぼく、判事さんは判事さんさ」
(中略)
「ぼくは、法廷にいる誰だろうとつかまえて起立してくれと頼み、そのひとを知らないか、証人にたずねる権利をもっているはずだ。そうしてはいけないと定めてある法律があったらお目にかかるよ」
『ころがるダイス』
「あなただって、いつか、本当の犯罪人を弁護するはめに陥ることがあるかもしれませんよ」
メイスンは椅子から起ちあがった。かれはまっすぐ判事の目をみて、微笑をむくいた。「法廷で証明されないかぎり―――」とかれは言った。「ひとは、罪ありとされることはありません」
『ころがるダイス』

ガードナー自身は自分の作品を肩のこらない気晴らしの読み物と位置づけていたようで、推定無罪の原則をめぐるやり取りなども特にひねりが効いているわけでもない。だが、ガードナーが一筋縄ではいかないのは、「真実はひとつ」、道端に転がっている石ころのように客観的に疑いようもなく実在してるものではなく、裁判という厳格なルールに縛られた手続きのなかで検察と弁護人という対立する立場の人間がそれぞれの職務を全力で果たすことによって「証明」されるものとしての「真実」を具体的に表現してみせるところにある。ルールを厳格に適用すること―禁止されていることをしないだけでなく、禁止されていないことを勝手に自己規制もしない―こそが重要となる。それこそが到達した結論の真実性を担保するからだ。

「その証拠は排除するわけにはいきません。証人は明瞭に、事件当夜聞いたのは目覚しだと証言を行っている。そうした証言をするに至った径路は別として、一旦、陳述を了えた以上は、証言として有効に成立しているのであります。
 ただし、ルーカス君。裁判所としては、一言ここに述べておきたいことがあります。と云うのは、君のいまの言葉のように、裁判所としてもまた、時計に細工が施されはせぬかという懸念を持っておったのです。そこでその際、君にもそれを防止する機会を与えておいた。弁護人がネジを巻き、針を動かそうとした時、君は判事席に登って、弁護人の行動を監視するように勧告したはずです。
 然るにその際の、君の態度はどうであったか? まるで子供がすねたときのように、検事席から動こうともせず、裁判所から与えられた機会を、みずから抛棄してしまったではないですか。
 ああ、ルーカス君、だいぶこの非難に御不満の様子じゃな。しかし、裁判所が陪審員の面前で敢えてこの非難を行うのも、最前君が、陪審員の面前で、被告弁護人の非難を行っているからだと了承願いたい。
 なお、陪審員諸君にも御注意申しておきます。ただいまの証言の証拠価値については、検事の発言に捉われず、完全に自由な判断で裁量されんことを希望します。証人が証言をするに至った径路は、すべて当裁判所の責任ある訴訟指揮に基づくものであるとお考えあってよろしい」
『奇妙な花嫁』

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by tyogonou | 2007-09-07 23:30 | 社会 | Trackback | Comments(0)
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