亀田家 1
私の周囲にも本気で怒っている人がいて、直接何か言えばこちらにまで矛先が向かってきそうな勢いだが、どうも私はそんな感情を共有できそうにない。

亀田家の人々は皮肉でもなんでもなく大変な優等生であると思う。もちろんそれはスポーツ新聞にとってという意味で、わざわざこちらが苦労して盛り上げようとしなくても自らインパクトのある「絵」やコピーを提供してくれる亀田家は記者にとって本当にありがたい存在ではなかったかと思う。内藤選手も今回「国民の期待に応えます」とちょっとウィットを効かせてみたけれど、その効果のほどは「ゴキブリ」発言には遠く及ばず、試合の翌日にはもうどうでもよくなってしまう程度のつまらない駄作であったことは否定のしようがない。
以前、「しつけがなってない」などと非難されたときには、批判者が、興毅選手のかなりの程度計算づくでしているこういった(父親の史郎氏は地のように思えるが)パフォーマンスを真に受けているようなのが奇異に思えたものだった。ランダエタ選手にオムツを差し出されたときも、それを叩き落してメンチを切ったのだが、本当に怒っていれば史郎氏のように言葉が続くか、かつて調印式での写真撮影のときに挑戦者に挑発された時のユーリ・アルバチャコフのように手が出そうになるかのどちらかだが、まったくそういうこともなく距離を保ったまま表情を作る様は歌舞伎役者が見得を切るかのようで、観衆への意識がしっかりとした人なんだなと私は思った。

当時問題とされたファッションや言葉遣い、大毅選手のコスプレや歌も、私の趣味にはあわないけれど、非難されるようなものか疑問に思っていた。いまやハッスルに至っているプロレスの世界では、自分のキャラというかイメージを守ることは重要で、悪役や覆面レスラーがそこにしっかりとしたプロフェッショナリズムをもっているのも事実で、決してリスクが無くはない軽量前の記者会見でハンバーガーを食べてみせるといったようなパフォーマンスもそういったプロフェッショナリズムの現れと見ていい。悪ぶったファッションや言葉遣いも、そういったものが彼らの嗜好にあっているという面もあるだろうが、やはり亀田ブランドを売るための戦略と見るべきで、それを倫理的に非難するのはピントが外れているように思う。コスプレや歌も、ボクシングにはそぐわない気もするが、それを言うなら、コスプレという言葉も無かった時代に昔のやくざの紛争をしてリングに立った先輩や、調子に乗ってオリジナルのレコードを出した先輩をまず責めるべきであろうと思う。(後で述べる予定だが、この二つにはもっと別の意味合いもあるのかもしれない)
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by tyogonou | 2007-10-23 00:35 | スポーツ | Trackback | Comments(0)
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