余裕の無い反応
「三平中傷」に怒る…林家いっ平の本心は? | エキサイトニュース
父・三平の芸が軽いと一部で指摘されたことに対し、「僕は絶対に許しません!」と綴っているのだ
噺家の芸が重くてどうする、と一蹴しておけばよさそうなものだが、ずいぶん余裕の無い無粋な反応だ。正蔵もそうだったが、大名跡を継ぎ、また異例の大掛かりな襲名披露を行うなどしたがゆえの緊張でがちがちとなった雰囲気が、落語という芸にそぐわなくて、他人事ながら大丈夫か?と心配になる。そこを乗り越えると、ひょっとしたら芸が大きく飛躍するということになるのかもしれないが。
≪亡き名人上手らへの畏れをなくし、自己を律する節度の堰が切れてしまった、とも見える≫
二代目木久蔵やいっ平のようにオヤジが有名だと襲名披露もスムーズに進むが、私らのような雑草育ちの噺家には、なかなかチャンスが回ってこない。
それはともかくとして、この二つの批判はちょっとおかしい。
確かに、かつて名人と謳われた高名な噺家の名跡が長い間継がれずにいるのは、その芸に対する畏れもあるが、それ以前は数代にわたって滞ることなく受け継がれてきていたわけだし、また「小さん」など現在もそれが続いている例もないわけではない。落語を離れれば、歌舞伎の世界など、名跡はやはり滞りなく継承されている。これは、別に節度のなさを意味するわけではあるまい。
いっ平にしろ正蔵にしろ実力に疑問の声があるからこういったことを言われるという見方もできるが、六代目円生でさえ襲名時に先代の正蔵に六代目が務まる訳がないと批判されたこともあるくらいで、襲名時の実力をとやかくいっても仕方ない。それを割り引いても・・・という気持ちは私にもあるが、名跡は一門の中で受け継がれていくものだから、正蔵にしろ三平にしろそれを継ぐ正統性は彼らにあるわけで、あとは本人が精進すればよいことだ。
それから、三平や木久蔵のような「二代目」でしかない名跡をこれほどありがたがるのも妙な話だと思う。三平を襲名するというニュースを聞いたとき、一番先に頭に浮かんだのは、三平という名前は襲名するような類のものだったのか、ということだった。落語界で名跡の継承が滞った理由は、過去の名人への畏れだけでなく、芸さえしっかりしていれば歴史ある名前の格などにこだわらずともよいというような理由もあっただろうし、初代三平の場合、継ぐべき名前を貸していたとかいった事情もあったにせよ、前座名のまま真打になって落語人気を支えるほどの噺家となった三平はまさにその先駆けともいうべきであって、それを襲名するということが私にはピンと来ない。
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by tyogonou | 2007-11-10 00:47 | 社会 | Trackback | Comments(0)
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