なぜブッシュ政権はザルカウィを殺さなかったのか
米国防省はザルカウィの危険性を以前から認識していて、彼の潜むキャンプの攻撃計画まで立てていたにもかかわらず、テロリスト・グループの脅威を甘く見て、イラクのような「国家」の脅威を優先させたブッシュ政権がそれを拒否、おかげでザルカウィは今日まで野放しになっているのだという。下の記事を読むと、不作為というより、作為的にテロリストを放置したのではないかという気さえしてくる。なお記事中でザルカウィをジハード戦士(jihadist)と表現しているのはイスラム教徒にとっては心外かもしれないが、そのまま訳しておいた。

国家安全保障会議のディレクターをしていたダニエル・ベンジャミン氏のMSN Slate Magazineへの投稿
Holy Zarqawi Why Bush let Iraq's top terrorist walk.を訳す。



聖なるザルカウィ なぜブッシュはイラクのトップテロリストを野放しにしているのか。

なぜブッシュ政権は機会があったときにアブ・ムサブ・アル‐ザルカウィを殺さなかったのか?
ヨルダン生まれのジハード戦士を取り除く機会があったことは、コリン・パウエル国務長官が2003年2月の国連安全保障理事会でのスピーチで多くの時間を割いたときから明らかだった。クルド人自治区への侵攻に先立って、サダム・フセインの脅威を強調した一連の発言で、パウエルはクーマル(Khurmal)のテロリストキャンプについて長々と話した。それはアフガニスタンから逃れてきたジハード戦士とともに、ザルカウィとクルド過激派が訓練と、リシンと青酸カリの生産をおこなうためのキャンプだった。

クーマル・キャンプだけでなく、周辺のほかの地域もサダムの支配下にあったが、パウエルはザルカウィがバグダッドの政府と結びついていることを強く示唆する多くの証拠を挙げて見せた。彼の議論はそれから情報機関からの信頼を大きく失ってしまった。テロリズムに対抗するために働く私たちの多くが当時パウエルの批判に首をかしげたものだった。もし、私たちがジハードの指導者のキャンプがどこにあるか知っていて、彼らの信奉者が化学兵器などを作ろうとしていることを知っているのであれば、なぜ、私たちはそのキャンプを爆撃するか、特殊部隊を送るかしないのか―特にそれが比較的「許されうる」ような状況であるのだから。




ここ数ヶ月、ブッシュ政権が何もしなかったことについての疑問は大きくなるばかりだった。ニュースは(最近では今週のウォール・ストリート・ジャーナルなども含まれるが)軍の指導者とCIAは、ザルカウィは取り除くことができるし、取り除かなければならない脅威であると感じていたことを明らかにしている。2002年の中ごろからイラク侵攻までの間に、少なくとも三度、ペンタゴンはホワイトハウスにクーマルキャンプを破壊する計画についてプレゼンテーションを行った。いずれのときもホワイトハウスは拒否するかまったく反応しないかのどちらかだった。

拒否を大間違い以外のなにものかとみるのは不可能だ。今週、ザルカウィは49人のイラク軍新兵を処刑したとされている。サダムが倒れてからまもなくから、ザルカウィの一神教聖戦団はアメリカの占領を驚くほど効果的に弱体化させてみせた。彼らが何台もの車やトラックに積みこんだ爆弾でいっぺんに何人もの要員を殺し、あるいは人質を一人ずつビデオカメラの前で処刑して見せ、それはイスラム世界では皆が見るTVになり、下請け業者やNGOを国内から退去させた。ザルカウィの犠牲者の信頼しうる統計はないが、1000人を超えていたとしても驚くべきことではないだろう。なぜ彼を捕まえる努力がなされなかったのかという問題は、ブッシュ大統領が、イラク戦争はテロとの戦いではないというジョン・ケリー上院議員の議論への反論としてザルカウィの存在を挙げたために、一段と重要な問題になってきた。

報道機関からの数多くの問い合わせと、議会からの質問にもかかわらず、政府はそれが取り上げられなかった理由についてきちんとした回答をまったく提供していない。何人かの職員は攻撃が行われるときにザルカウィがキャンプにいるという確実性がなかったということを言い訳にしている。それは説得力がない。例えなんの保証もなかったとしても―それに最近退役した軍関係者は、ザルカウィが実際にその場所に住んでいたと言っている―ジハード戦士がリシンを製造しているというキャンプを破壊することには緊急性があったはずだ。これは机上の空論などではない。2003年の初め頃、イギリス警察はザルカウィと関係があり、リシンの使用を含めた攻撃を計画していたジハード戦士の組織を潰している。

ザルカウィがアフガンのテロリストのトレーニングキャンプを運営していて、ヨーロッパでのテロ活動を指揮してきたという有名な前歴にもかかわらず、政府が彼ににたいした注意を払わなかったということを証拠は示しているようである。ホワイトハウスは、イラクへの戦争計画からこの種の脅威へ仕方なく注意を移したようだった。

イラクなどの国々が本当の問題で、テロリストと彼らの組織はその次だという考えはブッシュが政権をとって以来現れてきた。9・11委員会が、共和、民主両党の結束を保つために、報告書を穏やかで、批判的ではない調子で書いたにもかかわらず、政府が2001年9月4日にアルカーイダに関して国家安全保障会議の最初の会議を開くまでの長く当てのない道のりについての記述は、多くのことを語っている。対照的に、イラクの体制を変えることを議題にした最初の「主要」会議は、ブッシュの就任から間もない2001年1月に開かれた。

9・11事件の後、ドナルド・ラムズフェルド国防長官とポール・ウォルフォヴィッツ国防副長官のような政府高官は、イラクが攻撃には関わっておらず、アルカーイダが国家の支援を受けず独立に作戦を遂行したという諜報機関の評価を信じることをあっさりと拒否した。ペンタゴンの指揮によるアフガニスタンでの作戦では、全体的な作戦の中心はアフガニスタンを実効的に支配していたタリバンを追い出すことにあって、アメリカ本土で3000人近くを殺害したばかりのアルカーイダの追跡にはそれほどの注意が払われなかった。だからこそ、私たちはトラボラで大きな失敗をし、私たちの下請け業者であるアフガンの軍閥の軍勢がオサマ・ビン・ラーディンを逃げ延びさせたのだ。

同様に、サダム・フセインへの執拗な注目は、アフガニスタンから、エリート戦闘部隊のタスクフォース5を含む、情報機関や特殊作戦の要員をアフガニスタンから退去させることにつながった。ザルカウィに打つべきパンチを引っ込めた事実と同様に、これはブッシュのチームが、国家こそが9・11後の世界の主要な脅威であると信じ続けていたことを示している。テロリストグループなど、ならず者国家が片付けられた後に簡単に掃除できるというわけだ。中身のほとんどないわりに大風呂敷を広げたドクトリンはイラクーアメリカの攻撃によって効果的に抑え込まれたーに対して採用され、抑えることができないテロリストはテロという彼ら自身の手段とともに放置された。

ブッシュ大統領と彼に助言を与えた人々の頭には、国境が開放され、大量破壊のテクノロジーが入手可能なグローバル化が進んだ世界では、脅威を与え封じ込むことのできる国家よりも、隠れたネットワークのほうがずっと危険であるかもしれないという考えは浮かばなかったようだ。三年前に始まったレッスンはまだ続いている。政府が「非国家要因」の脅威を完全に理解する能力の欠如が、一部にはザルカウィのおかげで、中東における安定した民主国家としてイラクを作り変えようとする努力の失敗を導いているということは、更なる皮肉だ。
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by tyogonou | 2004-11-01 05:56 | 国際 | Trackback | Comments(0)
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