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平城遷都マスコット 続報
平城遷都マスコット「再考を」 寺院の親睦団体 (産経新聞) - Yahoo!ニュース
 橋本住職は「キャラクターの第一印象にぞっとした。あまり見たくない」と話しており、再考が拒否された場合は「祭には協力しても、境内にキャラクターが印刷されたポスターやステッカーを掲示することはできない」と述べた。

そんなに気持ち悪いかな?
顔が三つも十一もあったり、手が12本、あるいは千本も生えている仏様、あるいは象面人身の仏様などもいるくらいだから、鹿の角がついたくらいでそこまで驚くこともないように思うのだが。
「仏様をちゃかしたようなキャラクター」
 意見書では「キャラクターは長い耳と白毫(びゃくごう)があり、明らかに仏様を連想させる」とし、「仏様の頭にシカの角を生やすことに違和感、嫌悪感を禁じ得ない」と指摘。
長い耳と白毫は、訪れる人々を歓迎するマスコットに相応しいということで取り入れたのではないか。鹿の角も奈良という土地を代表するものだから、それをくっつけてしまうという力技の是非は別として、平城遷都マスコットに取り入れることはごく自然な発想であり、仏様を茶化す意図によるものではないのも明らかだ。
たしかに、大胆なデザインで議論が沸き起こるのも理解できないではない。それでも、仏様を茶化すのなんのと言って怒るなら、まず「大仏さまの鼻くそ」などというものを取り締まるべきだ。うるさいことを言えば、そもそも仏様をマスコット化すること自体が信仰上好ましいことではないのだから、あらかじめ仏像をモチーフにしないよう申し入れておくべきだ。イスラム教やキリスト教でそんなことをすればかなりの問題になるだろう。

このキャラクターに対する批判を見ていると、理屈の問題というより所謂「生理的に受け付けない」という感覚的な問題であるように思われる。反論はしてみても、「だから好きになれ」と命令するわけにもいかない。多くの人に好かれるのもマスコットには重要な条件であるから、再考となってもやむをえないのかもしれない。

このキャラクターが全然平気、どころか好きな自分の感性がちょっと心配でもある。
by tyogonou | 2008-03-29 01:30 | 社会
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