ビートたけし、萩本欽一を批判
「愛と涙ばっかりやりやがって」  ビートたけし、欽ちゃんモーレツ批判 | エキサイトニュース
「この人おかしいよ。お笑いのくせに、愛と涙ばっかしやりやがって。インチキくせえことばっかり。お笑いなのにギャグやんないんだから」
まず前提として、現在の萩本欽一を「お笑い」と見るのが間違いのような気もする。いまや萩本欽一は「仮装大賞の司会者」であって、お笑いとしては現役の人ではない。それはビートたけしが映画監督、あるいは少し硬めのTV番組の司会をする文化人としての印象が強くなってしまったのと同様だ。
それから、ビートたけしと萩本欽一ではそもそも求めるお笑いの方向性が違う。たけしが求めたのは、反逆の笑い、つらさや苦しみへの怒りを建設的な形で発散させる笑いだが、欽ちゃんが求めたのはつらく苦しい中に慰めをもたらすハッピーな笑いであって、どちらが優れているとかいうものでもない。チャップリンから吉本新喜劇まで、愛と涙をフィーチャーした笑いは数多く、それを「この人おかしいよ」などと非難するのはおかしい。
「オイラは『聖火持って逃げろ』とか言ってたんだけど。 あの人は何でやんないかな?バカだな~ オレだったら絶対、火を消したり間違って水の中に落っこちたり、ギャグしか考えないけどな。何かやれよほんとに(笑い)」
ビートたけしだったらたしかにそんなことをしただろうが、では本当にそれで反逆精神やらなにやらの表現として見る者の心に響いただろうか? 映画祭での(あるいはそこから帰ってきたときの)ビートたけしはいろいろギャグをやるが、それが大受けしたことはあまりないのではないか。特に周囲が「軍団」の芸人と報道陣だったりすると、巻き起こるのが愛想笑いだったりして少々痛々しい気持ちになる。それこそ、「ボクもダイスケも英語がニガテだから・・・」とやったブッシュ米大統領の方がずっとちゃんとしたお笑いをやっている。実際にたけしが聖火ランナーになってそういった行動に出たとしても、苦笑いと愛想笑いとともに、「やっぱりたけしさん」と感心されるのがオチではないか。そんな扱いを受けるようではお笑いとしては死んだも同然だ。それなら、沿道の人たちとハイタッチしたり、ファンの人々とじかに触れ合って心を和ませている萩本欽一の方がずっとましのように思われる。
「大体、お笑いなんて反逆的なことじゃない?国に媚び売るような芸人なんて面白くない。そういうのは星野仙一さんに任せておけばいいんだよ」
あるいは、「殿」が反逆を語るというのが最大のギャグなのだろうか。
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by tyogonou | 2008-05-03 15:19 | 社会 | Trackback | Comments(0)
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