カテゴリ:スポーツ( 96 )
締まりのない千秋楽
千代大海休場…締まりのない千秋楽 「熱戦を展開」に観客苦笑(産経新聞) - Yahoo!ニュース<大相撲九州場所>相手が休場、横綱タナボタV…ファン落胆
 不可抗力で故障した千代大海に、「はってでも出ろ」と望むのは酷かもしれない。しかし、ファンが求めているのは、気迫そのものである。角界全体がぬるま湯体質ゆえに、力士の気力もなえつつあるのか。
締りのない千秋楽になったのは私も残念だが、ガチンコでやっていればこういうことになることもある。それを気迫がないのなんのと非難するのはどうなのか。横綱貴乃花の優勝決定戦への出場がその後の貴乃花に及ぼした影響を考えれば、「はってでも~」などと気安く言っていいことではない。千代大海の怪我が優勝の行方を大きく左右する一番で負ったものとなればなおさらである。
どうしても理解できないのは、休場を気迫がないだのぬるま湯体質だのと批判することと、八百長問題や時津風部屋問題で協会を批判することとの間に齟齬を感じないのだろうか、ということだ。真剣勝負なればこそ、最後の最後にとてつもないドラマが生まれることもあるが、逆にそれゆえにあっけない意外な結果になってしまうこともある。確実に盛り上がる千秋楽にするには、あらかじめ星を割り振りしてシナリオを作るよりほかない。また相手の体の状態を考えずに過大な負担を強いるのは、時津風部屋のかわいがりとどうちがうのか。
白鵬は結びの一番で琴光喜に裏返しにされて敗れたが「今朝、(大関の)休場を知った。それが出たと思う」と決まり悪そうに話した。
批判されるべきはこちらの方だ。ライバルの休場で優勝が決まったのを知って気の抜けた相撲をとったというのは横綱としてあるまじきことだ。
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by tyogonou | 2007-11-26 00:18 | スポーツ | Trackback | Comments(0)
続 大人の対応
川淵Cが試合後のロッカーで謝罪「けなし続けて悪かった!」(サンケイスポーツ) - Yahoo!ニュース
記事中では触れられていないが、以前、川淵氏は、U-22日本代表に対して怒り、五輪に出て私を謝らせろと奮起を促したしたことがあった。
見事五輪出場が決まるや、自ら進んで頭を下げたのはやはり大人らしい品位ある行動だ。選手やスタッフ、ファンなどサッカーに関わる人々に対する川渕氏の大きな愛情がわかる。
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by tyogonou | 2007-11-22 23:58 | スポーツ | Trackback | Comments(0)
亀田家 2
史郎氏の反則指示の音声を聞いたとき、少し寂しい思いをしたものだった。この親子がボクシングにかけてきた時間とエネルギーの大きさは疑いようもないが、そこで積み上げてきたものこそが最後のよりどころとなる苦境にあって出てきたのが、技術的なアドバイスでもなければ精神論でもなく反則の指示だったとは、なんと薄っぺらい時間だったのだろうか、そう思った。しかし、12ラウンドの大毅選手の映像を何度か見ているうちに、そこに別の側面もあったのではないかと思うようになった。
12ラウンドの大毅選手の動きが「もはやボクシングではない」ものであったという意見には当然私も賛成だ。しかし、同様に表現されるであろうタイソンの耳噛みや朝青龍の膝蹴り、あるいは窮地に追い込まれたときのボブ・サップの反則などとはちょっと趣が違うように感じた。大毅選手には怒りとか焦りとかそういった感情が見受けられず、疲労感はあったものの冷静さを保ったままだった。そういう精神状態で明らかにその競技の体系を逸脱するような反則を繰り返すのは、相手を傷つける明確な意図があって試合は完全に無視してかかっているような場合であるが、大毅選手にはそういった冷徹な害意があるようにも見えず、ただ寝技に持ち込んではサミングしようとする姿はある意味「愚直」にすら見えた。

話はそれるが、大毅選手が冷静に見えたひとつの理由は、彼の顔がきれいだったことにある。ボコボコにされた顔で相手を放り投げれば必死な印象を生むが、特にどこか腫れているわけでもない普段どおりの顔ではそういった感じを受けることは無いわけだ。「切腹はされないんですか」などと愚かな質問を浴びながら控え室へと引き上げていく時の顔などを思い出してみても、大毅選手の顔が非常にきれいだったということには注意を払うべきだ。チャンピオンも「思ったよりは」と認めていたように、12ラウンドを戦ってあれだけきれいな顔でリングを降りたということは、それなりに優れたディフェンステクニックをもっていたということではないのかと思う。

閑話休題。
12ラウンドの映像を何度か見ていてしみじみ思ったのは、この人はボクシングが好きではないんだなぁ、ということだった。幼児が親に言われて嫌々しているお稽古事の発表会というとちょっと行き過ぎだが、別にボクシングなんかどうでもいいんだというような声が聞こえてくるようだった。
その後、大毅選手についての記事をいくつか漁ってみたら、兄弟の中でボクシングへの情熱がもっとも薄く、能力的にも劣等生と自他共に認めていたということを知って、やはりそうだったのかと思った。あの反則指示も史郎氏らに技術的な裏づけが不足しているばかりでなく、指示を受ける大毅選手にそういった技術的なアドバイスを受け入れる余地がすくないという判断のもとに行われたのではないだろうか。つまり、もう試合はどうしようもないからこれ以上「ボクシング」をしなくてもいい、という許可だったのではないだろか。
大毅選手のみがコスプレや歌謡ショーを行うのも、観客に対するサービスというより、彼の気分を盛り上げ力を発揮させようという配慮によるものではないかと思う。

こういったことを考え合わせて見ると、「勝つことが全て」という言明が単に反則をしてもいいというだけの浅いものではないことが分かるし、興毅選手が世界一の父親だと言って擁護した理由も分かる気がする。
かつて長男の興毅選手だったか中学か高校の時に恋人がいて、ボクシングへの意欲につながるならという理由で史郎氏公認だという話で、ものわかりがいいというより現実主義的な考え方をする親だなと驚いた記憶があるが、なかなか出来ることではない。飴とムチを使い分けるというのは良く聞くが、史郎氏の場合、ムチとムチというのか、厳しい所謂普通の「ムチ」と、相手の気持ちを盛り上げ励ます「ムチ」とを使い分けているようで、亀田家の教育論というのはもっと注意深く扱われるべきだと思う。

問題は史郎氏の思考の範囲が息子達のことを越えなかったということで、世界チャンピオンですらも息子のための踏み石としか見ることができない心が、金的攻撃というもっとも卑劣な行為の指示に結びついたことに弁護の余地は無い。
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by tyogonou | 2007-10-30 00:29 | スポーツ | Trackback | Comments(1)
空気の読めないノリの悪い奴
<ボクシング>王者の内藤、亀田興の会見に「立派だった」(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
マスメディアの関係者の内藤選手に対する本音は「空気の読めないノリの悪い奴」といったところではないだろうか。
内藤が息巻いて「三人揃ってカメラの前で自分に土下座して謝るまで許さない」とでも言えば大いに盛り上がるのに、試合の翌日には「終わったこと」などとさっさと矛を収めてしまうし、その後の一家の言動を「謝罪になってない」と煽っているのを尻目に「気持ちが伝わった」などといって勝手に納得してしまう。亀田親子を糾弾する手前、「大人の対応」などと持ち上げては見るものの、騒動はバトルに発展しないばかりか、せっかく批判者たちの声によって盛り上がった視聴者の気持ちも腰砕けにしてしまいかねない。かといって一方の当事者の声を伝えないわけにも行かないし、もうちょっと空気読んでくれといったところだろう。

内藤選手の態度は亀田的なものとは正反対なものだが、それゆえに自分が被害を受けた当事者である問題について蚊帳の外に置かれているさまは奇妙なものだ。
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by tyogonou | 2007-10-27 00:52 | スポーツ | Trackback | Comments(0)
亀田家 1
私の周囲にも本気で怒っている人がいて、直接何か言えばこちらにまで矛先が向かってきそうな勢いだが、どうも私はそんな感情を共有できそうにない。

亀田家の人々は皮肉でもなんでもなく大変な優等生であると思う。もちろんそれはスポーツ新聞にとってという意味で、わざわざこちらが苦労して盛り上げようとしなくても自らインパクトのある「絵」やコピーを提供してくれる亀田家は記者にとって本当にありがたい存在ではなかったかと思う。内藤選手も今回「国民の期待に応えます」とちょっとウィットを効かせてみたけれど、その効果のほどは「ゴキブリ」発言には遠く及ばず、試合の翌日にはもうどうでもよくなってしまう程度のつまらない駄作であったことは否定のしようがない。
以前、「しつけがなってない」などと非難されたときには、批判者が、興毅選手のかなりの程度計算づくでしているこういった(父親の史郎氏は地のように思えるが)パフォーマンスを真に受けているようなのが奇異に思えたものだった。ランダエタ選手にオムツを差し出されたときも、それを叩き落してメンチを切ったのだが、本当に怒っていれば史郎氏のように言葉が続くか、かつて調印式での写真撮影のときに挑戦者に挑発された時のユーリ・アルバチャコフのように手が出そうになるかのどちらかだが、まったくそういうこともなく距離を保ったまま表情を作る様は歌舞伎役者が見得を切るかのようで、観衆への意識がしっかりとした人なんだなと私は思った。

当時問題とされたファッションや言葉遣い、大毅選手のコスプレや歌も、私の趣味にはあわないけれど、非難されるようなものか疑問に思っていた。いまやハッスルに至っているプロレスの世界では、自分のキャラというかイメージを守ることは重要で、悪役や覆面レスラーがそこにしっかりとしたプロフェッショナリズムをもっているのも事実で、決してリスクが無くはない軽量前の記者会見でハンバーガーを食べてみせるといったようなパフォーマンスもそういったプロフェッショナリズムの現れと見ていい。悪ぶったファッションや言葉遣いも、そういったものが彼らの嗜好にあっているという面もあるだろうが、やはり亀田ブランドを売るための戦略と見るべきで、それを倫理的に非難するのはピントが外れているように思う。コスプレや歌も、ボクシングにはそぐわない気もするが、それを言うなら、コスプレという言葉も無かった時代に昔のやくざの紛争をしてリングに立った先輩や、調子に乗ってオリジナルのレコードを出した先輩をまず責めるべきであろうと思う。(後で述べる予定だが、この二つにはもっと別の意味合いもあるのかもしれない)
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by tyogonou | 2007-10-23 00:35 | スポーツ | Trackback | Comments(0)
引退勧告もやむなし
朝青龍に引退勧告も…謹慎中に細木数子さんと番組共演(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
「立派な横綱として帰ってきてほしいから横審も帰国を許した。事実は確認していないが、これ(理事会の決定)を崩すことならば大事ですよ。トレーニングしているところならまだしも、内容次第では身の振り方を考えた方がいいと言わざるを得ない。横審では議題になります。前回の横審でも、今度何かあったら引退勧告すべきとの意見もありましたから」
最初TBSが取材したというニュースを聴いた時、ニュース番組かさもなくば特番でも組むのかと思ったが、まさか占い師のバラエティー番組の取材だったとはあきれたものだ。やたら謝罪会見を連呼するメディアにもうんざりするが、こういった番組で人気占い師と対談することが、朝青龍が一番に考えるべき相撲ファンへの架け橋となるとは思えない。
状況もわきまえずこういった企画を実行したTV局スタッフも、きちんとチェックもせずに許可を出した協会広報部も問題だが、最終的には朝青龍本人のOKが出なければ実現しなかったはずで、本人の責任を問わなければならない。朝青龍に、横綱として相撲界を代表しているという自覚とファンを大切にする心があったなら、今の段階でこういった形の取材に応じただろうか?
「内容次第」ではあるが、神妙な面持ちで細木の説教を聴き、細木に謝り、細木に再起を誓い、細木に感謝するようなものであるなら、そこまでファンを軽んじるなら、二度とファンの前に姿を見せなくていい。
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by tyogonou | 2007-10-22 23:33 | スポーツ | Trackback | Comments(0)
真相究明なしの処分決定
「若い力士は将来ある」…北の湖理事長、一問一答(産経新聞) - Yahoo!ニュース
将来のない年寄りはおあつらえ向きの捨て駒だ。
 --真相究明は
 「それは警察がやる。あくまで今回は協会の信用を失墜させたから、解雇処分にしたということ」 --世間が騒いだから信用を失墜させたということか
 「それもあるが、今回のようなことは各部屋の師匠にはないのに、あると世間から思われる。預かった人のことを考えると責任はあると思う」
時津風部屋だって、恒常的に新弟子が死んでいたわけでもない。ただ、これ以上騒ぎが大きくなると他の部屋の師匠が迷惑するから全部背負って消えろということなのだろう。

何度か書いているが、この事件を稽古中の事故死ではなく傷害致死事件として扱うことは難しいことだと思う。一般市民が集団リンチを受けて死亡したというような事件であれば、そういった状況自体が日常ありえない特殊な状況であるから、相手を傷つけるという悪しき目的があったことを容易に推定できるが、激しい稽古をする相撲取りが被害者である今回のケースでは正常な稽古と犯罪的な暴行の違いは程度の問題であって、外傷性ショックという死因でその「程度」を確定するのは難しい。
うがった見かたをすれば、警察や検察の動きが鈍く思われるのはこの作業の困難さを回避するため、世論を使って相撲協会に圧力をかけ、先にそちらで「時津風部屋で行われたことは相撲の稽古ではない」ということを既成事実化し、それをよりどころに裁判を進めようというたくらみがあったのではないかとすら思える。

武蔵川部屋にも同様の問題がでたが、これらの事件によってあまり厳しい指導をし難い状況になったら、力士の怪我が増えはしないだろうか。相撲取りの桁外れのパワーは、こういったしごきがなくても身に付くだろうが、そういったパワーを受け止める体の頑丈さはどうだろうか。立会いの瞬間に予想される衝撃にひるんで体が萎縮したり不完全な態勢をとってしまえば、正面から激突するよりはるかに大きな怪我の危険性が生じるが、そこで敢然とぶつかっていける精神的なタフさはこれからどのようにして養われていくのか。
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by tyogonou | 2007-10-08 00:56 | スポーツ | Trackback | Comments(0)
厄介払い
時津風親方“二枚腰”解雇なら法的手段も視野(夕刊フジ) - Yahoo!ニュース
「前途ある若者が1人亡くなったことを重く受け止めるべきだ」というのは正論だが、ただ関係者に重い処分を課せばよいというものでもない。
まだ立件もされていないんだし、たとえ立件されても不起訴になることだってある。理事長の事情聴取からわずか4、5日で、いきなり解雇というのは、いかにも不自然で、重過ぎます。
ろくに説明もしないで法的手段をちらつかせるのは感心しないが、これはもっともな反論で、警察でさえ四ヶ月たってもまだ立件にまでは踏み切っていないのに、ただちょっと話を聞いただけでもっとも重い処分を課すというのは無茶な話だ。少なくとも、組織検査の結果がでて暴行と死亡とが関連付けられるまで待つべきだ。
考えてみればおかしな話だ。北の湖理事長をはじめ、理事を務める親方衆は相撲のプロフェッショナルであって、相撲の稽古として適切なものと不適切なものを弁別し、力士の体がどのような種類のどの程度の力に耐えうるものかをもっとも良く知る人たちのはずである。警察とは異なるアプローチで、ある意味では警察よりもよくこの事件を理解できるはずだ。
具体的には、親方や兄弟子達の「暴行」が力士としても鍛えようがない急所に対して行われなかったか、あるいはそれ以外の場所でも度を越えて強い衝撃をあたえるなどしなかったというようなことだ。脳をはじめとした内臓、関節や腱を避けたのか否か、そしてそれ以外の箇所でも骨を折るほど強く殴ったのか否か、おそらくそういった点は指導とリンチとを区別する一定の基準となるはずだが、相撲界の稽古の伝統を身をもって知る親方たちなら、もっと詳しく状況を分析する知識能力をもっているはずだ。
そういった具体的な事実のそれぞれについて問いただし、吟味し、そのうえで相撲の指導の領域を完全に外れたただのリンチを行ったという理由で、刑事事件という問題とは関係なく処分を決定するというなら、話は分からないでもない。それは相撲の正しい伝統を守るという努力の現われとみなすことができるだろう。もちろん、そこには正しい指導と間違った指導を区別し、「かわいがる」ことを含めて相撲の稽古とはどうあるべきかを示す論理や倫理が説明されることが不可欠であるが。

現在の協会の対応はどうみても単なる厄介ばらいだ。時津風親方を切れば、時太山の急死という厄介ごとに悩まされることもなくなる、そんな態度は若者の死を重く受け止めるといよりないがしろにするものであることは言うまでもない。

追記
気づくのが遅れたが次のようなニュース。
<力士急死>相撲協会が兄弟子ら18人から聴取 | エキサイトニュース
 聴取は1人ずつ別室に呼んで、2部長と今野勝彦・協会顧問弁護士が同席。午後2時から6時間に及んだ。内容について、伊勢ノ海理事は「一切答えられない」と話した。北の湖理事長が2日に暴行に関与した数人を聴取するとしていたが、部屋全員を対象にしたことについて伊勢ノ海理事は、「部屋の実情を調べる意味もあり、『力士の指導に関する検討委員会』の参考にもなる」と話した。
はじめてまともな話を聞いたような気がする。内容についていえないのは仕方ないが、部長らがどういったことを訊いたのかおおまかにでも話したほうがよかったように思う。
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by tyogonou | 2007-10-04 01:05 | スポーツ | Trackback | Comments(0)
時太山事件
時津風親方、廃業避けられず…「かわいがり」過ぎツケ | エキサイトニュース
以前、この疑惑が始めて報じられた時、このブログで私は慎重に対応すべきだと書いたのだが、傷害致死事件ということになった。大変残念なことだ。
メディアは激しい論調で非難しているようだが、相撲というものの特異性は一応考慮に入れておくべきだと思う。

格闘技の科学的、物理的研究で有名な吉福康郎氏はかつて、最強の格闘技は何かという質問に対して「力士(相撲ではなく)」と答えていた。相撲という競技の技術体系よりも、大きく重い体でありながら極めて俊敏な動きが可能であり、また強烈な打撃にも関節技にも耐えうる力士の強靭な肉体こそが「最強」だというのが結論だった。
体重200kgを超えようという巨漢が時に真っ向から頭突きをかまし、ゴツンという音がホール全体に響き渡るような格闘技は他にないし、体重制もなく、小錦対舞の海のように200kgも体重差のある取り組みが平気で行われるのも相撲だけである。ビール瓶で殴ることなどより、前世紀の小錦の付きを喰らう方が余程危険だろう。小錦ほどではないが、やはり巨漢だった武蔵山など、現役時代垂直飛びで70cmを跳んだという足腰のバネをもっていて、それが1mにも満たない至近距離から突っ込んでくるのだ。その衝撃にびくともしない力士の体を作り上げるのは尋常なことではない。若貴兄弟が入門してから一旦軽量級のプロレスラーのように絞られた体になったのを覚えている人もいるだろうが、まさに換骨奪胎の作業を経てはじめて「力士」の体というものが完成する。
そういう厳しさを前提で考えると、今回の暴行の酷さというものを一般人の感覚で非難しているようにみえるメディアの論調は少し疑問に思う。(警察の方でも、一応多発外傷によるショック死という推定で動いているようだが、まだ死因の特定ができず組織検査の結果待ちという状況である。)ビール瓶による切り傷、タバコによる火傷、そのた擦り傷などは表面的な負傷であって、それのみで健康な人間の生命を奪うような深刻なものではないし、(ここが重要だと思うのだが)力士生命を縮めるようなものでもない。

私の意見をまとめると、「かわいがった」こと自体はやむをえないことだった、少なくとも角界の伝統的なしごきの範囲を超えていたかもしれないが決定的に逸脱したとまではいえないものだった、と思う。少なくとも、ことは程度の問題という側面が大きいのだが(ぶつかり稽古を30分やったなどという非難がまさにそうだ)、正常な指導と異常な暴力とを区別する合理的な境界線というものを提示することは相当に難しいことだと思う。いまや新弟子が股割りで腿の筋肉を切断して病院に運ばれるなんてはなしは珍しくもないが、これだって傷害罪にあたらないかといえばかなり怪しいところだ。
ただし、通常いるはずの『誉め役』がいなかったということなどは指導の意図の薄さを意味していて批判されるべきである。
また、かわいがる際の状況の判断が拙かったということも言える。これも、張り手を喰らって脳震盪のような分かりやすい状況と違って、制裁を加える時の加減も倒れた後の容態についての判断も難しいところがあるとは思うが、変事が起こらないように注意が払われていた痕跡がないのは非難に値することだと思う。

この問題でどうしても許せないのは、死亡した後の対応だ。事件を隠蔽する意図しかうかがうことの出来ない対応には非常な怒りを覚える。
もし親方が、きちんと弟子の遺体に付き添って家族の元に送り届け、警察にも家族にも起きたことをきちんと話し、その上で、傷つけることが目的ではなく、厳しい世界で勝ち残れる立派な力士に育て上げたかったのだということを伝え、それが適わないばかりか生命さえ奪ってしまったことへの悔悟の念を現し、謝罪し許しを乞うていたなら、上記に挙げたような相撲の厳しく荒々しい一面も、尊敬されずとも理解されえたかもしれない。しかし、師匠会へ向かう時の記者への対応など、人の生命が不当にも奪われたという事実の認識すら欠けているようで、指導者以前に人間として問題があると断ぜざるを得ない。

問題は、時津風親方だけでなく、北の湖理事長をはじめ相撲界全体が自分達の体面を保つことしか考えていないように見えることだ。朝青龍の問題の時にもそう感じたが、相撲協会は大掛かりな改革が必要である。部屋という制度、競技や稽古の体系、師匠と弟子の関係などひっくるめた大相撲というものの構造に、単純に近代的合理性を適用することは困難であるし、また害も多いと思われるが、一般社会との齟齬もある程度埋めなければもはやどうにもならないところにある。それは相撲の世界で生きてきた親方たちだけでは解決できる問題ではなく、外部の声も積極的に集めるべきだ。
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by tyogonou | 2007-09-28 23:52 | スポーツ | Trackback | Comments(0)
すこしがっかり
<杉山氏取材証問題>相撲協会、「会友」ならと本人に返却 | エキサイトニュース
北の湖理事長は「杉山さんがテレビに出ている時の肩書が『相撲評論家』や『ジャーナリスト』では取材証は出せないが、会友として活動されるのなら問題ない。杉山さんは相撲に理解があり貢献もしている。ジャーナリストや評論家との線引きをしてほしい」と話し、杉山さんも「(出演時の肩書を)テレビ局に任せて理事長と行き違いになったのは不本意。私にも配慮がなかった」と語った。
『東京相撲記者クラブ会友』という肩書きの『相撲評論家』や『ジャーナリスト』と異なる点も、その優越性も私には到底理解できず、理事長の言う理屈もちんぷんかんぷんで、やはり批判の声を封じたかっただけという印象はぬぐえない。
こんなうさんくさいことをやっていたら相撲人気はまた落ちていく一方で、相撲を愛している人間なら、むしろきちんと筋道だった批判を展開して行くべきだと思う。
 ▽杉山邦博さんの話 今日は入場券を買って国技館に入りました。理事長が協会批判とした問題については、ビデオを検証して話し合いに臨んだが、事態が好転した。これ以上、事を荒立てたくないのでお受けしました。
そういう意味では、事を荒立てたくないという杉山氏の対応は残念に思う。
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by tyogonou | 2007-09-12 23:48 | スポーツ | Trackback | Comments(0)