カテゴリ:社会( 227 )
『はじっこ愛好家』の嗜好とは?
『はじっこ愛好家』の嗜好とは?
健康優良児な私は席や場所ははじっこでないと窮屈でたまらない。
ところで、記事下のほうのリストに「バウムクーヘン」があるが、あれのはじっこは売っているのだろうか? バウムクーヘンは一本の大きな竹輪の様になっているのを切ってあの形になるわけだが、その「はじっこ」ははじというよりバウムクーヘンの「ふた」のような感じになっていて、ぜひ一度食べたいものだ。
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by tyogonou | 2009-07-22 21:22 | 社会 | Trackback | Comments(0)
「恋して音楽に深みを」=長官表彰で辻井さん-文化庁
「恋して音楽に深みを」=長官表彰で辻井さん-文化庁
この人のピアノは、表情に乏しく、同時になる音にメリハリがなく全ての音が聞こえてしまう、ちょっとうるさい演奏だと私には感じられる。音色の柔らかさがまたそういう印象を強くする。(白状するとTVやyoutubeの良くない音響で聴いただけなので、もっとまともな音で聴けば印象は変わるかもしれないが。
だから「恋して音楽に深みを」という気持ちは非常にいいことだと思う。

個人的にはバッハを聴いてみたいのだが、手もあまり大きくなさそうだし、ショパンが一番向いてるのだろうか。
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by tyogonou | 2009-07-07 00:21 | 社会 | Trackback | Comments(0)
元冤罪事件弁護人が誤審防止「8つのお願い」
元冤罪事件弁護人が誤審防止「8つのお願い」
yahooのトピックスの一覧からはあっというまに消えてしまったようだ。

(1)「被告人は無罪」という推定の下に裁判を
(2)検察官に有罪の立証責任あり
(3)有罪の確信持てなければ「無罪」
(4)違法な捜査や信用できない証拠には“No!”を
(5)取り調べは適正だったかを確認
(6)鑑定は適正か確認できたか
(7)有罪・無罪の判断は被害者の心情とは離れて
(8)論告・最終弁論に耳を傾けて

(1)は理解され難いかもしれないが、裁判までに報道された「ひどいことをした奴」といった先入観を一旦忘れてまっさらなところから検察と弁護士のやり取りを見て、それによって自分自身の被告人像を形成してほしいということだろうか。

どれも当たり前のことであるが、弁護士にすら理解していない人もいそうで、裁判員が本当にこういった態度で裁判に臨めるかは不安でもある。
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by tyogonou | 2009-06-23 22:25 | 社会 | Trackback | Comments(0)
説明責任を問うこと 続き?
公明幹部「事実上の小沢氏への起訴状だ」 西松事件公判
西松事件、異例のスピード終結へ 検察、被告側が利害一致
説明責任を問うことの続きを書かなければと思いつつ、放置してしまったが、嫌な形で続きを書かなければならなくなったようだ。
小沢事務所の仕切りで談合が行われていて、西松の献金がその見返りであるというなら、談合なり収賄なりの容疑で立件すべきだ。それを、別の事件の裁判において、正規の手続きを踏んで行われる場合に要求される責任を回避して事実上の起訴を行うというのはなにごとか。
まして、小沢氏を非難する基礎となっているのは検察と利害が一致している証人の証言であって、こういうのこそ「出来レース」というのだ。証人に偏見がないか、偏見によって不利益を被る相手に対する敵意があったり、検察などの歓心を買おうというような意図があったりしないか、尋問によって試され公平であると認められなければ証言の価値は低い(偽証であれば罪に問われるという意味では一応の意味はあるが)。
小沢氏ほどの有力政治家であれば普通の人より大きな責任を負っているのだろうし、言っちゃなんだが嫌われ者だから、あまり疑問の声も挙がっていないようだが、一般論としてこのようなやり方が正当なものと認められてしまってはたまったものではない。警察(検察)と警察に弱みを握られている小悪党のタッグで自分のあずかり知らぬところで罪をでっち上げられる。悪徳警官の出てくるハリウッド映画などではよくあるパターンで、まさに冤罪の王道である。

自民党には小沢氏の参考人招致を求める声も出ているようだが、先に検察幹部に公の場で特定の犯罪を犯したと非難しておきながら、機会があったにもかかわらずその犯罪について起訴はおろか捜査すらしていないことについて説明を求めるべきではないのか。四つの工事を特定し、それが小沢氏の事務所の仕切りによる談合によって決まったと明言している以上、検察はそれを立件する義務がある。検察は、西松による献金を「裏献金」と表現したが、検察の主張によればそれはむしろ賄賂とよぶべきもので、重大な犯罪だ。それなのになぜ検察は政治資金規正法などという小さな要素のみをとりあげるのか。最初から収賄罪なりなんなりを追求するなら国策捜査などと批判されることもなかっただろうに。
小沢氏の側から見れば、きちんと証拠が調べられ、さまざまな証言の信頼性も試されることなく、罪有りとされるのは、裁判を受ける権利を侵害されることでもある。また、犯罪の事実が「ある」ことを証明するのに比べて、「ない」ことを証明するのは難しいことでもある。したがって、(小沢氏が本当に潔白なら)民主党側から小沢氏を告発するというのもひとつの手段ではないかと思う。それによって、警察・検察はこの犯罪についてきちんと捜査し、起訴するか否か判断を示す公式の義務を負うことになる。潔白でも起訴されることはよくあることだ(ついでに有罪判決がでることもあることのようだが)が、もし検察に起訴できるほどの証拠が固められなければ検察によって公に潔白であることを宣言されることになるわけで、それ以上の説明はないといえるだろう。
もっともそんな提案をされれば小沢氏が激怒するのは目に見えていることだし、敢えて鈴をつけにいく人もいないだろうが。
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by tyogonou | 2009-06-21 23:44 | 社会 | Trackback | Comments(0)
栃木県警が本部長名で謝罪、警察庁長官「遺憾」…足利事件
栃木県警が本部長名で謝罪、警察庁長官「遺憾」…足利事件
この事件についてもうひとつ触れておかなければならないことがあった。
それはもともとこの事件が単独の殺人事件ではなく、足利近辺、栃木群馬県境で続いていた連続幼女失踪、殺害事件のひとつという位置づけで捉えられていて、菅家さんも他の2件の容疑をかけられていたということである。他の二件の事件に関しては、両方とも自白があったにもかかわらず菅家さんにアリバイがあったために不起訴処分となった。

これは二つのことを意味する。

菅家さんに罪をきせたことで、時効を迎えた今真犯人を処罰することが不可能になってしまったという指摘があったが、警察の罪はそれよりずっと大きい。どんな犯罪であっても、逮捕した容疑者が真犯人か否かを身長に捜査することが重要なのはあたりまえであるが、この種の連続殺人事件で確実に真犯人をつきとめなければ、犠牲者がさらに増えることになる。
仮に警察が足利事件については菅家さんが犯人だと本当に信じていたのだとしたら、他の二件が菅家さんの起こした事件ではありえないという結論がでた時点で、その二件と足利事件の間の関連性の有無をきちんと検証しなければならなかったはずだ。その二件の犯人を突き止めないかぎり、さらに犠牲者が増える可能性が予測できたわけだから。足利事件と他の二件とに関連性がないということがはっきりしたなら、二件の犯人ではありえない菅家さんが足利事件の犯人でありうるわけだが、関連が否定できなければ菅家さんが足利事件の犯人であることも疑わしいということが分かったはずだ。
だが、支援者のHPなどによれば、警察はそこに全く矛盾を感じていないようであったし、真犯人を突き止めさらなる犠牲者を出さないようにしようという意志そのものが完全に欠落していたように思われる。野放しにされた真犯人によって幼い子どもが犠牲になっても構いはしない、それが警察の方針だったのかといわれてもしかたがない。これは本当に許されぬことだ。

もうひとつは、仮に他の二件についてしっかりとしたアリバイがなかったとしたらどういうことになっていただろうか、ということだ。当然、死刑の可能性があったわけで、恐ろしいことである。今回のDNA鑑定の結果を受けて、すでに死刑が執行された飯塚事件も再審請求されるという。当時の試料が残っていないため再鑑定は出来ないというが、無実の人間が日本の法律に則って殺害された可能性があり、またその真偽を確かめることすらできないとなれば恥かしいことだ。
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by tyogonou | 2009-06-12 01:01 | 社会 | Trackback | Comments(0)
長生き
やっぱり「ちょい太」、やせ形より7年長生き…厚労省調査
 最も短命なのはやせた人で、太り気味の人より6~7歳早く死ぬという、衝撃的な結果になった。「メタボ」対策が世の中を席巻する中、行きすぎたダイエットにも警鐘を鳴らすものといえそうだ。
私の親戚筋にも相当長生きした人が数人いる。いずれも体格は太っているというほどではないが、がっしりとした、あるいはすくなくともしっかりとした体ではあったし、多少の病気はあってもなくなるまで健康で頭もしっかりしていた。そして、その人たちに共通するのは健啖家だったということだ。
もちろん、度を越えて大食いをするというわけではなかったが、孫達よりも多く食べていた人もいる。食がしっかりしていたということは、逆に言えばその食欲を支えるだけの肉体的な活動量を保っていたということでもある。良く動き良く食べる、そういった生命力の強いところが長生きの秘訣だったと私は思う。だから、やせている人が無理して太れば寿命がのびるというものではないとしても、何かスポーツをして、その仲間たちと楽しく食事をして、結果的にBMIが高くなるなら、それは長生きに結びつくかもしれないと思う。

もうひとつ、強く印象に残っていることがある。
ひとりのおばあさんはいつも熱いお風呂に長くつかっていた。今の医学的な常識で言えば心臓に負担がかかる行為ということになるだろうし、100歳を越えた小さな体でよくのぼせもせずに平気でいられるものだと当時からあきれていた。
だが、それも長寿に関係あるのかもしれないと思ったのは、亡くなる少し前、たまたま遊びにいった私が、風呂上りのおばあさんの足の爪を切ってあげた時のことだった。その足はとにかく血色が良くて、肌も柔らかく、みずみずしく、弾力があって、まさに赤ちゃんの足そのものだった。もともとそういった入浴習慣に耐えられるだけの心臓を持っていたということもあるだろうし、手足の毛細血管ももともと若々しく丈夫だったのだろうが、そういった好条件が入浴によって維持されたという面もあるだろう。また、活動量の少なくなった年寄りにとっては、入浴が格好の運動となっていて旺盛な食欲を支えていたとも考えられる。
ちょっと人に勧めるわけにもいかないけれども、あのピンク色に輝く足を見たときに驚きはいまだに忘れられない。
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by tyogonou | 2009-06-10 22:55 | 社会 | Trackback | Comments(0)
自白
「やってません」13時間…菅家さん、絶望の「自白」
少し前のどこかの雑誌で、刑事、右翼団体代表、暴力団組長、のOBが、林真須美死刑囚は無罪だ、というテーマで語り合っていた。
元組長が、警察の取調べには暴力団員でさえ耐えられない、後で否認すればいいからとにかく今(取調べの時)は認めてしまおうと考えて自白してしまう。それなのに、最初から全く認めてこなかった林真須美死刑囚が有罪であるとは思われないと主張していた。
経験者が語る証言の重さに苦笑してしまったが、公平を期するなら当然、そうではあっても無実の証明としては弱い。別に普段威勢がいいわけでもない大人しい人間でも、そういったことに耐えられる人というものはいるものだ。(ただ、これまた公平を期するなら、明らかに自己顕示欲が強く、詐欺事件などでは認めている林死刑囚が完全否認を貫き通せるタイプの人間かどうかは疑問でもある。)

しかし、その後この事件が起こって、元組長の見解はやはり正しかったのかと思わずにいられない。
富山の冤罪事件との類似性は専門家に指摘されるまでもなく明らかで、警察の取調べというものが、いかに真実の追究とかけ離れたものであるかを思い知らされる。結局取調べの目的とは、「私がやりました」という書類にサインさせることであって、日本の警察はその目的を達する高い能力を持っているようだ。
だが、そうして得られた「自白」が真相の究明に役立ちうるだろうか。
麻生首相は「可視化すれば直ちに冤罪(えんざい)が減るという感じがありません」といって、取調べの可視化には消極的な姿勢を見せているが、ある意味で首相は正しいと思う。冤罪を減らすには、取調調書自体の証拠能力を認めないようにするしかない。暴論ではあるだろうが、富山、鹿児島に続き栃木と、明らかになった実態はどれも似ていて、それが日本の警察、検察にとっては異例というより通例であることを疑う必要がある。
そういった状況で冤罪を防ごうというなら、そのくらいのことはしなければならないのかもしれない。
あるいは、それでさえ不十分といえるかもしれない。富山と足利の事件に共通するのは、検察側の主張が裁判官や被告弁護人によってまったくチェックされずに全て承認されたことだ。裁判自体が全く機能していない以上なにをやっても無駄なのかもしれない。
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by tyogonou | 2009-06-09 00:49 | 社会 | Trackback | Comments(0)
カウスを脅迫したのは本当に前田五郎なのか
カウスを脅迫したのは本当に前田五郎なのか
前田五郎とは筆跡違う!?…「酒鬼薔薇」事件の鑑定士が分析雑誌『フラッシュ』に掲載された前田五郎氏の年賀状の写真を見たが、微妙な感じだ。
字が似ているのは間違いない。だが、なにかちょっと違う。
 ▼筆の運び方
「決定的に違う。脅迫状は角張っているが、直筆文は丸字。よほどのプロでない限り、手先だけの演出では無理」

 ▼文字の大きさ
「直筆文は漢字も平仮名も均等の大きさでまとまっているが、脅迫状では漢字が平仮名よりも大きく強調されている」

 ▼筆圧
「毛筆とペンの違いこそあれ、筆圧が不安定でグラグラの脅迫状と、一定している直筆文では同一人物とは思えない」
年賀状で気がつくのは「る」という字がきれいに丸く書かれていることだ。脅迫状のひらがなの丸まっている部分はそれがない。脅迫状で目立つ「寸」の中の点は年賀状では小さく収まっていて、普段こういった書き方をする人が、ああいった書き方をするだろうかと思う。脅迫状の「時」など、寸の点を避けるためにあらかじめ上の「土」の下の横棒が「士」のように短く書いてあって、普段から書きなれている書き方であるように思われる。脅迫状の字と年賀状の字が逆だったらまだ分かるのだが。
文字の大きさと筆圧に関しては、脅迫状がメリハリの利いた印象を与えるのに対し、年賀状はちまちまねちねちとした感じのものになっている。
一方で、「あ」や「様」の字は特徴的でかつ良く似ているし、文章のリズムも少し似ている。無実だとしたら沈黙したまま休養を受け入れた前田氏側の対応も不思議で、前田氏が書いた可能性は半分よりちょっと多いくらいかな、というのが個人的な印象だった。
今後の展開は非常に興味深い。
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by tyogonou | 2009-06-05 22:59 | 社会 | Trackback | Comments(0)
黒田恭一氏死去
Excite エキサイト : 芸能ニュース
NHK-FMの「20世紀の名演奏」を聴かなくなってずいぶん経ってしまった。日曜朝のあの落ち着いた語り口がもう聴けなくなってしまったのかと思うと寂しいことだ。
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by tyogonou | 2009-06-03 23:24 | 社会 | Trackback | Comments(0)
説明責任を問うこと
MSNビデオで村上龍氏が「小沢民主党前代表の罪って?」というお題で語る番組があった。たいしたことは語っていなかったが基本的な問題意識は正しいと思う。
小沢氏に対する非難の声について私が特に危険だと思ったのは、「説明責任」という単語が無批判に、それでいて大変な力を持つものとして、お題目のように唱えられていたことだ。どこかの新聞では、小沢氏だけでなく検察も説明責任を果たすべきだということを主張していた。結局小沢氏のそれを問う大きな声の中でなんとなくうやむやになっていったが、それはもっときちんと考えるべきだったと思う。

私が問いたいのは、なぜ「説明責任を果たせ」といった形の要求をするのか、ということだ。小沢氏が説明しなければならない疑惑があるなら、その疑惑について具体的に質問すればよい

「疑惑」のうち、事件となった政治資金規正法違反に関する部分については、それが真実かどうかはともかくとして、「該当する政治団体が西松のダミーだとは知らなかった」と説明しているし、また党支部への献金というルートで法律的に全く問題なく入手できる金をわざわざそういった違法な方法をとる理由がないと反論もしている。それで不十分なら、どこをどう説明すべきなのが具体的に再反論すべきだ。
私が見た範囲では、「額が大きいので知らなかったはずがない」「党支部に献金すると額の大きさが目立ってしまう」といった意見が出ていたようだが、献金してもらう身で相手のバックグラウンドを探るような失礼な真似もできないといった反論や、西松の献金が目立つとどう困るのかといった反論が当然出てくるわけでどうにも弱い。
自民党の議員で西松建設のダミー団体から献金を受けていた議員の報告書には、住所が団体のそれではなく西松建設のものが間違えて書かれた形跡があったが、小沢氏の報告書にもそういったミスがあったとしたら、「知らなかった」という言い分との矛盾を説明しろと要求するのはいかにも筋の通ったことだ。しかし、そういった材料を出されなければそれ以上説明のしようはない。

それ以外にも様々な「疑惑」をめぐる話が出てきたが、それらについてはなおさらだ。西松の献金が普通の企業献金以上の性格を持つ特別なものだったというなら、その根拠を具体的に示して追求すればよい。
企業は利益を追求するものであるから、利益にもならないのに政治献金をすればそれはある種の背任行為である。そうでなければ、その企業にとって政治献金とは何らかの新しい利益に結びつく賄賂的な性格を持つものであるはずだ。そういった観点から企業献金を一切受けない議員もいる。その理屈でいけば、巨額の献金はそれを上回る利益を期待してなされた、賄賂的な性格の非常に強いものであると見ることもできるかもしれない。しかし、今の法律では企業の献金を正当な行為と認めているわけで、ただ額が多いというだけでは「違法」ではないのだから、それをもって小沢氏を非難するわけにもいかない。
公平を期すなら、例えば自分達を理解してくれる議員の活動を支えることで、自分達の事業の意義を広く社会に認めてもらおうという意図はまっとうなものといえるだろうし、利益にはつながらないが広い意味でのメセナ(社会貢献)として説明することも出来るだろう。
ともかく、小沢氏になんらかの「説明」を求めるなら、そういった通常の献金とは考えられないということを示さなければならない。
西松が受注した特定の工事について、それが不自然な決まり方をしたであるとか、その前後に西松建設と小沢氏の関係者、発注元との間に不自然な接触があったであるとか、あるいはそこで金が動いた形跡があるとか、そういった情報があるならそれをもとに事実関係を問いただせばよい。それに対して小沢氏が説明を避けるならそのときは説明責任を果たしていないと責めることができる。
だが、現在までに出てきているのは「小沢氏が東北地方の公共事業に絶大な影響力を持っている」といったような漠然とした話ばかり、「奴隷制度」と非難される国の直轄事業、あるいは「天の声」をとどろかせる知事の元での県の事業において、大物とはいえ一野党議員に過ぎない小沢氏がどういった力を背景に、どのようにして影響力を行使し、それがどうして他の政治家や役人たちに邪魔もされず暴かれもせずに続いてきたのか、具体的な話はトンと聞かない。
西松建設内部についてのひとつの記事の中でさえ、ダミー団体を通じた献金に携わった上層部は「工事を請けるため」の献金であったといい、実際の入札や公示に携わる下の社員は「(公正な入札にせよ企業の担当者による談合にせよ)介入を受けないため」の献金であったと、全く別のことを言っている始末。

結局、充分な情報も集められず、整理も出来ず、訊く側の果たすべき責任を全うできない質問者が、それを相手側に転嫁するのが、「説明責任を果たせ」という要求に他ならない。一般市民はそういった具体的な質問をする能力を持たないとはいえ、「疑惑」の中身を知ろうともせず安易にその尻馬に乗るならやはり無責任と言える。

最近の警察、検察の行動を見ていると、こういった社会の無責任さを上手く利用しているように思われる。
言うまでもなく、裁判で検察は立証責任という重大な責任を負う。だが、裁判という厳しい枠組みの中でその重大な責任を果たすより、マスメディアというずっと緩やかな場で勝負の大勢を決してしまおうとしているような様子が何度か伺われた。とても証明できないような情報でも、メディアに流せば、それによって被告に対するネガティブな心証を醸成することができ、そうして作り上げた「社会的影響」を法廷に還元する。

(続く)
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by tyogonou | 2009-05-26 23:43 | 社会 | Trackback | Comments(0)