カテゴリ:国内政治( 140 )
差異の政治? その1
「立ち上がれ日本」などという政党名らしからぬ、そして言語明瞭意味(目指すところが)不明瞭な党名、「反民主で非自民」という目標、党内の5人の主張さえまとまりそうに無いのに憲法改正を掲げるところなど、見ていてボードリヤールの「コードに支配された差異化/個性化の図式の論理」というのを思い出さずには居られなかった。もっともこれは他の新党についても同じことがいえるし、もっと言えば、現在の政治状況自体がいわば「差異の政治」といった様相を呈しているように私には思われる。

政治はパイ(pie)の配分に例えられる。パイとは様々な政治資源のことを指すが、一番分かりやすいのは予算を考えるといい。政治とは食欲旺盛な子供達(国民)にどうパイを切り分けて与えるかという問題である。
昔の自民党政権時代の政治をごく単純に説明すると次のようになる。
様々な業界団体、あるいは企業、そして関連する役所は自分達の利益を実現するために、それを理解してくれる政治家に資金や情報を提供するなどしてその政治家を育てる。また、あちこちの地域住民も「オラが村に高速道路を」作ってくれそうな政治家を何度も当選させて育てる。政治家はそのようにして得た資金力や知識、影響力を背景に国会内、あるいは自民党内での権力闘争を戦っていく。
自民党内では、議員達は派閥をつくり、一定の秩序ある競争と協力のダイナミクスを形作る。すなわち、自派閥のリーダーを首相にし、それによって自分を応援してくれるグループの利益を実現するだけでなく、首相が各派閥に配慮した組閣を行うことによって競争関係にあった派閥もまた協力し政権としての一体性を保つと共に、自分達の利益も政策に反映させることが出来る。
ここに表には出せない金の流れができたり、談合のような不正が生じたりすれば典型的な金権政治ということになるのだが、だからといってこれを一概に否定するわけにも行かない。政治家を通じて実現される利益は単に経済的な利益だけでなく、たとえば北朝鮮に拉致された家族を取り戻すというようなものも含まれる。民主主義は、市民が何か(経済的利益であろうが、崇高な理想であろうが)を実現するために政治に積極的に働きかけることを要求するものだし、その目標を具体的に形作り、その声を大きくするために圧力団体を形成するのも当然のことだ。
そしてこれがボードリヤール的に言えば生物的欲求を満たすための消費の段階である。それが今、差異の政治になっているということは、差異の消費における商品がその商品によって満たされるはずの欲求を追放し、ただ互いに異なる商品名を指し示しあうばかりであるのと同様、各政党、各政治家の掲げる政策も市民の欲求=利益から切り離されてただ互いの差異だけを指し示すものになっているということだ。

この変化に大きな影響を与えたのはおそらく小泉元首相であろう。まず、小泉元首相は派閥を無視した組閣を行うことで、内閣に各派閥が協力する仕組みを破壊した。次に外部の学者を登用しその学説を政策の基礎とし、また自分自身の絶大な人気によって国民の支持を集めることに成功した。それによって、党内の議員を通じて伝わってくる様々な団体の圧力は内閣に届かず、争点によっては抵抗勢力として排斥されることになった。
「変人」首相の場合それでも上手くいっていたが、安倍元首相以降の凡人首相にとって、ぶっ壊された自民党をコントロールし内閣を維持すること自体困難なこととなった。思えば、安倍元首相の掲げた「美しい国日本」という旅行会社のキャッチコピーのようなスローガンは示唆的である。地に足が着いていない政策とバラバラな内閣をどうすることも出来ず、次々と投げ出す羽目になった。
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by tyogonou | 2010-04-23 23:20 | 国内政治 | Trackback | Comments(0)
首相の過剰敬語に全体主義匂う
【正論】拓殖大学大学院教授・遠藤浩一 首相の過剰敬語に全体主義匂う (1/3ページ) - MSN産経ニュース
鳩山首相の敬語の使い方が問題だというのも、民主党内での小沢幹事長の扱われ方にも問題があるというのも同意するが、首相の言葉遣いを全体主義に結びつけるのは飛躍しすぎだ。
「育ちのよいお坊ちゃまだから」というのも確かにそうだが、鳩山家クラスの名門の出となると、過剰なくらいにへりくだらないと「家柄を鼻にかけている」というような反感を買いかねないということも影響しているのだろうと思う。(その点、いろいろな意味で愛嬌のある弟は得している)

内閣総理大臣としての「矜持」という表現自体ちょっと私には違和感があって、問題にすべきは「自覚」ではないのかと思う。
首相の敬語法の問題は、偉い総理大臣が(相対的に)偉くない党幹事長を持ち上げている所にあるのではなく、公式の場で外部の人間に対して身内の者を持ち上げてしまうことではないか。あまりそういう状況はなさそうだが、平社員でさえ会社を代表して外部の人間と話す場合には自社の社長が「申しておりました」と言うのが本当だ。
ただ、政治の世界ではもともと自民党時代からそのあたりが厳格でなかったはずだ。
理由のひとつは「先生」と常日頃から奉られている議員たちであるから、話す内容はともかくとしても言葉遣いだけは尊敬語で持ち上げておかないと恨みをかってしまったりといったこともあるだろう。
もうひとつの理由は、政治家は党、あるいは政権の一員としてだけでなく、自分の選挙区の有権者や支援団体などの意見や利益の代表者としてのアイデンティティも持っていることだ。特定の地方の問題について、その地方選出の議員を「部下だから」という理由で粗略に扱えば、地元の反発を招いたりするわけで、そこでも互いに出来るだけ持ち上げておこうということになるだろう。
特に今回のようなケースでは、意思疎通を徹底し、本人の了解を取り付けてからでなければ、例え首相のほうが地位が上だとしても公の発言で相手を束縛してしまうようなことは避けるものなのだろう。相手の意思決定権を損ねないよう、腫れ物に触るような、敬して遠ざけるような表現にもなりがちだ。
逆に言えば、首相の言葉遣いからは、これだけの長い期間この問題について騒がれてきたにも関わらず、小沢氏ときちんとコミュニケーションをとって対応について合意をとっていないという印象を受ける。この問題についての真剣味が疑わしく感ぜられるという意味で問題だと思う。
鳩山首相に必要なのは、内閣総理大臣は党幹事長より偉いのだから、小沢氏相手にも自信を持ってものを言うことではなく、総理大臣という職の務めとして、国会という場で議員を通して国民に対して何をしなければならないのかという自覚だと思う。

これを全体主義に結びつけるのも強引な議論だ。
首相の言葉遣いは、党と政府の序列が逆転しているというより、あらゆる序列に関してルーズなだけだ。言葉遣いに関するかぎり、小沢氏や党の重職を特別扱いしているわけでもないし、小沢氏の側が「威張って」いて首相や政府サイドを軽んじているわけでもない。また序列に厳格なのは独裁国家の特徴であって、旧ソ連や北朝鮮のような国々で、一般的な役職の序列と、公式の場で映像に取られた席次に乱れがあれば、それは政権内部になにかの「異変」が発生しているという証拠として理解される。
もっとも、言葉遣いは別として、小沢氏が強い影響力を持っていることは間違いないし、閣僚はもちろん首相でさえ小沢氏には逆らえないような印象は受ける。しかし、そこで国民が思い出すのは、野中広務や金丸信、そしてもちろん「小沢面談」をした自民党幹事長の小沢一郎の姿ではないだろうか。
遠藤教授が忘れているのは、現在の日本は単に頭が民主党に変わっただけで首から下(地方)はまだまだ自民党が固めている状況だということだ。政権を取っても地方を掌握できていなければ、それがどんなものであれ民主党の「体質」が国家に浸透する可能性はそれほど高くはないだろう。
それよりも、教授の論理に従うなら、首の上も下も自民党だった過去半世紀、複数の党幹事長や元首相であるといった政権外部の人間が大きな影響力を行使したということは、その間の日本がまさに自民党一党支配の全体主義国家だったという結論に至りはしないだろうか。
それなら、鳩山首相が言葉遣いなど些細な問題で、それを改めたところで大した影響はないだろう。
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by tyogonou | 2010-03-03 01:25 | 国内政治 | Trackback | Comments(0)
小沢幹事長が鳩山首相を「激しい言葉で罵倒」 天皇陛下の"政治利用"問題
小沢幹事長が鳩山首相を「激しい言葉で罵倒」 天皇陛下の"政治利用"問題
ある意味では、天皇を政治利用しているのは批判しているほうだと思う。
鳩山政権は、今回が特例であることをわざわざ喧伝しているわけではない。宮内庁長官が批判しなければ、一部の事情通を除いては、そんな内規が存在していたことすら知らない国民は皆いつもどおりの会見としか見なかっただろう。内閣は会見に特別の意味を付与したわけではない。むしろ、そんな意味が生じすることに築かない浅はかさと独善的なところが問題だとは思う。
宮内庁に対する杓子定規という非難は明らかに不当なものだ。あえて通例に反する指示をだす充分な理由を説明したのにも関わらず、内規を立てにダメの一点張りだったのなら杓子定規ともいえるだろう。しかし、中国が重要だからというのは理由としては弱い。むしろ、公になった時に他の国々に与える悪印象を考えたら理由としてはむしろ不適切だ。しかも、それに対して宮内庁側は、どのような国にたいしても平等に対したいというもっともな理由を挙げて反論している。対する再反論が、役人は黙って言うことを聞けだの、やめろだとか言う恫喝では、政府の側にまともな理由がないことを白状しているようなものだ。
どんな国に対しても、たっての希望とあれば、調整しないこともないが準備等の都合上一ヶ月前を期限として引き続きお願いしていく、もちろん中国政府にもその旨理解していただく、そんな答え方をしていたら、中国だけを特別扱いするわけではないことを確認することになり、こんなごちゃごちゃすることもなかっただろう。
それにしても民主党の悪いところがもろに出てきてしまっている。
「最終的には私が決める」が口癖の最高責任者は自分の下したこの決定の意義を説明しようともせず、自民党の元首相から要請があったなどと責任感のないことを言う閣僚もいれば、党の幹事長が内閣を飛び越して官僚に辞任まで迫る。
公開裁判だなどと批判されながらも事業仕分けが国民に評価されたのは、ここの判定はどうあれ、国民の目の届かないところでひそかに決められていたことが、公開の場で明示的にそして論理的に行った(行おうとした)ところにあるだろうが、民主党内から出てくる重要な政策などの決定過程はしばしば不透明で論理の見えないものだ。
特にいけないのが小沢幹事長だ。永住外国人の地方参政権の問題にしてもそうだが、政策内容を議論しようとする考えが全く無いようだ。理性に基づく議論と、その結果としての民意こそ民主主義の基本だ。最終的に合意に至らないときは、多数派の意見を政策とし、内閣の決定に役人が従い、党の決定に当初族議員が従わなければならないとしても、その過程を見ている国民の理解を得るためにも、論理に訴え説得に努めるのが民主主義社会の政治家のあるべき姿ではないか。
小沢幹事長には選挙対策の職人としての面と、政治制度の理論家としての面とがあって、それぞれにおいて優秀であっても、それらを包含する「政治家(statesman)」という存在にはなっていないといえるのかもしれない。自分は正解を知っていて、そしてそれ以外に正解は存在しない、異論のある奴は馬鹿か敵だ。幹事長の「剛椀」は、人をたらしこむ技術のなさだけでなく、他者を容認できない狭量さにも由来しているのだろう。
橋下大阪府知事が小沢幹事長を絶賛したというのも分かる気がする。
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by tyogonou | 2009-12-17 21:39 | 国内政治 | Trackback | Comments(0)
事業仕分け評価9割 内閣支持率もアップ
事業仕分け評価9割 内閣支持率もアップ
昔、消費税が導入されるときだったか税率が上がるときだったか、担当した役人がニュース番組のインタビューに答えていて、一部に問題視する意見もあった。
本来役人は匿名の存在で責任を取るものではない。責任を取らなくていいから、さまざまな政策案を大胆に作成し、それを政治家が取捨選択し政治家の責任において実行していく、そういう考え方だ。官僚に責任を取らせるとなると、政策案は無難なものしか作らないということにもなるし、責任相応の力も与えなければならなくなる。
もっとも、長く続いた自民党支配体制にこういったモデルが当てはまっていたわけでもない。自民党で閣僚を経験した民主党議員が「政治主導」を打ち出したのも、官僚が政治家を自分たちの思うとおりにコントロールする現場を見てきたからだ。その真偽はともかくとしても、与党政治家と官僚との間で政策案が形成される過程が、政権交代が行われない中、長い間不透明で外部からの検証を受けずにきたことは確かである。
「裁判のよう」と反発の声が上がるのも、単に利権を守りたいだけという以上の理由があるだろうと理解できるし、これを毎年の通例とすべきかどうかは疑問だが、こういうアイデアは評価したいと思う。キャラが立った某女性議員の剣幕に野次馬的な視線が集中している感もあるが、ああいった民主党側議員らの姿勢も、ずっとなじんできた野党議員としてのやり方をうまく政策の向上(無駄の洗い出し)に結び付けようとしているという意味では評価できる。政権をとったからといって変に与党の大物議員先生然としてしまうのが最悪の道だから、初心から離れていないということで国民の評価も(思ったより)高いのではないだろうか。
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by tyogonou | 2009-11-23 17:52 | 国内政治 | Trackback(1) | Comments(0)
民主政権は「頭脳なき航海」 日経が異例のモーレツ批判
民主政権は「頭脳なき航海」 日経が異例のモーレツ批判「前原国交相が直面しているような『自民党政権が食い散らかしたものを何とかしないといけない』という段階なので、今の民主党にそこまで(経済対策を)求めるのは『無いものねだり』。」という意見は基本的には正しいと思う。
ただし、日経が批判しているような状況「『脱官僚依存』の自縄自縛で官僚機構をシンクタンクとして使えず、政府の外にいる『知』を生かした形跡も表には見えない」ことについて、民主党内に問題意識がないように見受けられるのが気がかりだ。頭脳なき航海というより、それぞれプライドの高い船長が数人と、船長といえども船員の采配には口出しを許さない船員頭がひとり、それなのに航海士も海図もなしで航海に出ているような状況といえる。今航海しているのは未知の海域だから今までの海図(知識)が役に立たないともいえるのだが、だからこそ余計に状況の把握が重要であると考えるべきだ。
民主党には『脱官僚依存』だけでなく、自民党政権からの「チェンジ」という自縄自縛もあって、行動の方向性をまず自民党政権とは逆にとらなければというようなプレッシャーゆえに、方向を決める際に重要となる情報を見逃してしまうのではないかという不安もある。今すぐではなくても、「政府の外にいる『知』」を活かすことを検討すべきだと思う。
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by tyogonou | 2009-10-30 23:47 | 国内政治 | Trackback | Comments(0)
自民新総裁に谷垣氏 河野、西村氏破る、民主と対決
自民新総裁に谷垣氏 河野、西村氏破る、民主と対決
【from Editor】彼女が自民党を捨てたワケ (1/2ページ) - MSN産経ニュース
谷垣新総裁は予想通りだし、私は自民党支持者でもないし、そしてなんだかんだいって扱いが小さくなって情報が入ってこないが、候補者たちは選挙戦であのネガティブキャンペーンについて語ったのだろうか、ちょっと気になった。
自分のことで精一杯であったとはいえ、衆院選中にこういったキャンペーンに反対の声をあげたひとはいなかったわけだから今更どうこうも言えないのだが、支持者にとっては、単に魔が差しただけなのか、それもとも知ってびっくりな自民党の本性だったのか気になるところではないだろうか。将来を語る選挙戦で、あのキャンペーンについて語らなければならないような文脈もなかったかもしれないが、候補者や応援する議員達はそういう気持ちを酌んでいたのだろうか。
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by tyogonou | 2009-09-29 00:09 | 国内政治 | Trackback | Comments(0)
民主党政権誕生
それゆえ、自己を他者と区別することは、あるモデルと一体となること、ある抽象的モデルやあるモードの複合的形態にもとづいて自己を特徴づけることにほかならず、しかもそれゆえにあらゆる現実の差異や特異性を放棄することでもある。(『消費社会の神話と構造』113ページ)
鳩山民主党、何かものたりないのは、「友愛」「脱官僚」「国民主権」そういったキャッチフレーズになにかデジャブのようなもの、「改革」ほど古臭くも言い尽くされてもないが、なんとなくいかにもありそうなスローガンで、現在の困難な状況との格闘というか葛藤というかそういったものの痕跡を感じさせない綺麗なまとまり方(これは民主党新人議員たちにも言えることだ)は、なにかとんでもないことが起きるのではないかという期待からは遠い。
政治家が(政治家に限ったことでもないだろうが)小粒になった、などと昔を知る人たちは言うが、「あるモデルと一体になる」ことでしか自己を特徴づけることができない消費社会の住人には、小さくまとまってしまうことは避けられないことなのだろう。
当然、自民党にも同じことがいえるわけで、民主党については今は政権交代を実現させたということを評価したいし、これを一時の例外としてしまわないよう、そこそこ安定した政権運営をしてくれれば充分であると思う。
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by tyogonou | 2009-09-17 00:54 | 国内政治 | Trackback | Comments(0)
自民、首相指名は若林氏 「白紙」回避で苦肉の策
Excite エキサイト : 政治ニュース
さすがに白票を投じるような愚かな真似は回避したのか。苦肉の策だが、もちろん白票よりは良い。

あちこちのニュース番組で「自民党を再生させるには」というテーマで話をしている。
考えてみればおかしな話で、政権が交代するたびに前の与党の再生をメディアがこぞって議論するなど、民主主義国家ではあまりありそうにない光景だ。確かに自民党が政権を明け渡したというのは大きな事件であるし、世論調査でもどうやら自民党に立ち直ってまた政権を担って欲しいと考えている国民は多いようでもあるし、民主党政権の始動までにはまだ間があるということもあるだろうし、こういった企画が出てくるのは理解は出来る。しかし、いろいろ問題が山積している現在の状況で、野党としての自民党の活動も始まってもいないうちから議論すべきことなのだろうか。
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by tyogonou | 2009-09-08 22:39 | 国内政治 | Trackback | Comments(0)
首相指名選は白票に 麻生総裁へ反発強く
<自民党>首相指名選は白票に 麻生総裁へ反発強く
「首相は自分の名前が書かれるかどうかにはこだわっていない。党がゼロから出直すには白票しかない」
白票という選択肢は考えていなかった。
この国の首相を選ぶ重要な選挙において、「自党がゼロから出直すために」という理由で白票を投じることが自分達のとるべき行動であると信じるならそうすればよいだろう。おそらくそれが激減したとは言え、彼らに票を投じた有権者達の意志にもかなうことなのだろう。
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by tyogonou | 2009-09-04 22:08 | 国内政治 | Trackback | Comments(0)
選挙
実際に自民の大物政治家たちが落選したのを見ると、大変なことが起きているのだとあらためて実感する。

この結果が何を意味しているのか非常に興味深い。

民主に追い風が吹いていたといっても、それを受ける民主党の帆はそれほど大きなものでもなかっただろう。鳩山代表ら党の顔となる有力政治家たちが大きな人気を集めていたというようでもなかったし、「政権交代」というスローガンもかつての郵政選挙で掲げられたもののような華々しい輝きを放っていたわけでもなかったし、民主のマニフェストが大きな支持を集めていたというわけでもなく、「自民に不満、民主に不安」という表現も決して的外れではなかったと思う。
民主支持ではなく自民の批判というのも分かるが、高い投票率や小選挙区で大物が負けたりしている事実はそれだけではないことを示しているようにも思われる。最近の自民党は怪しからんが長年地元のために尽くしてきてくださった〇〇先生は応援しなければならない、そういった考え方は可能だからだ。
もちろんマスコミが煽ったとか、それに有権者が流されただとかいうのも当然違う。また、経済政策での失政への罰というのも浅い。そんなことなら、今までの日本でも政権交代があったはずだ。

選挙前、どこかの新聞の記者がこんどの解散のネーミングが決まらないのが落ち着かないと書いていた。ネーミングなんてどうでもいいようだが、スポーツ選手のキャッチコピーとは違い、後になってその時代の政治の動きを理解するのに役立つのだという。今になっても、これが何解散(何選挙)なのか、これというものがないままだ。今度の選挙はひとつの大きな動き、大きな力で語れるようなものではなく、複数の大きな力が組み合わさったいわば地殻変動といえるレベルの変化を示しているのではないかと思う。

その一つが以前にも書いた自民党の派閥の崩壊だろうと思う。自民党がこれほどの長期政権を保ってきた秘密のひとつは、党内派閥の競争によって擬似政権交代があったからだとも言われる。自民党政権とは派閥連立政権であったのだ。派閥政治のダイナミクスが小泉改革によって吹き飛ばされ、安倍内閣になってその旋風も収まった後、自民党を内側から支えていたエネルギーは失われ、自民党は普通の政党のひとつへとしぼんでしまった。(今回派閥の領袖が多く落選したが、それは派閥政治の終焉の始まりではなく、むしろ実質的に進行してきた終焉の過程の最終段階と見るべきだろう。)自民党は、特別な「政権党」から、単なる時の与党へとなったことで初めて、有権者はそれを他党と秤にかけて考えることが可能になり、そして今回民主党との選択にかけられることになった。

これはあくまで今回の変化の下の方にあった動きのひとつに過ぎないだろう。ネガティブ・キャンペーンがあったり、民主には必ずしも好材料ばかりではなかった中、これほどの結果をもたらした有権者の投票行動についてはまだまだ説得力のある説明がなされているとは言い難い。今後の民主政権の進むべき道を考える上でもこれは重要な問題でもある。
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by tyogonou | 2009-09-01 00:46 | 国内政治 | Trackback | Comments(0)