カテゴリ:国際( 116 )
腕を折りし翁?
9人が互いに腕を折る 上海ギャングの労災保険詐欺
まるで白楽天の詩のようだ。
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by tyogonou | 2007-05-31 01:49 | 国際 | Trackback | Comments(0)
資料:シンディ・シーハンの引退宣言 翻訳
<反戦の母>シーハンさん引退宣言 米国の政治状況批判
"Good Riddance Attention Whore"

目立ちたがりのいい厄介払い

ケイシーが殺され、アメリカの反戦運動の「顔」と呼ばれるようになって以来、私は多くの中小や憎悪に耐えてきました。特に私が以前からの民主党との関係を絶ってから、民主党の地下組織である「レベラルブログ」のブロガーからより激しく罵られました。「注目を引くために何でもやる売春婦のような女」と呼ばれ、ずっと穏健な人からも(民主党との関係が切れたことを)「いい厄介払い」だったと評されました。

戦没者追悼記念日の朝、私はいくつかのつらい決断をするにいたりました。それはいっときの感情によるものではなく、この一年熟慮してきたうえでの結論です。気乗りがしないながらもやっとたどり着いたその結論は私の胸を抉るようなものです。

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by tyogonou | 2007-05-31 01:38 | 国際 | Trackback | Comments(0)
介入
<米国>ブッシュ政権が気象学者に圧力 民間団体が調査公表
調査結果は下院政府改革委員会の公聴会でも報告された。それによると、約300人の政府関係機関の気象学者のうち、46%が「気候変動」「地球温暖化」という言葉を削除するよう圧力を受けたことがあると回答。43%が、研究結果の科学的意味づけが変わってしまうような内容の変更を強いられていた。25%が、介入の結果、科学者が辞任したり研究への参加を辞退した例を知ったり経験したりしていた。
自分の望むものを引き出すため、特定の言葉を要求したり排除したり、科学的な意味づけを捻じ曲げようとしたり、まるでどこかの国のTV番組製作スタッフのようだが、その影響の大きさを考えれば比較にならないほどたちが悪い。
アメリカはかつて他国に侵攻するために事実と異なる「証拠」を掲げてみせたが、あれもやはり情報の誤りと言うレベルのものではなく、明確な意図の下におこなった捏造だったのだろうと言わざるをえない(もちろん当時からそういう話はあったが)。
アメリカはそういう国なのだ。好意的に見れば、それは国というよりブッシュ政権の問題であるのだが、イラクの問題を平和的に解決しようとする、あるいは温暖化を防止しようとする努力を踏みにじられてきた多くの国々、そしてそういったアメリカの行為によって害を被る人々にとってそんな差異は意味をもたない。

ひとつ気になることがある。アメリカ政府はアメリカ産牛肉は「科学的」に安全が保障されていると主張したが、アメリカの「科学」がこういったものであるなら、他の国はそれを信用していいものだろうか?
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by tyogonou | 2007-02-01 12:52 | 国際 | Trackback | Comments(0)
教皇の講演
カトリック中央協議会のHPに問題となった教皇ベネディクト十六世のレーゲンスブルク大学での講演の全文を見つけたので読んでみた。
確かに教皇の講演の主旨は盲信の否定とロゴス(理性)を基礎とした対話の(キリスト教という枠からの)拡張であって、イスラムを否定したり攻撃したりするものではない。
「原理主義は(イスラム教預言者)ムハンマドの教えに反する」として、テロを行うイスラム原理主義者の宗教的根拠を否定した。
こういったニュース記事も確かに教皇の意図を誤解している。教皇は、そして元のビザンチン帝国皇帝も、暴力による宗教の押し付け(もっともここにもイスラムに対する基本的な誤解があるように思うが)が、キリスト教やイスラム教という枠を超えた理想的な神(神のイデア)に反することを言っているのであって、現在のイスラム原理主義のことを言っているわけではない。そして、イスラムの教えに関してはそれが矛盾を孕んでいると指摘しているのであって、その対立する命題のどちらがイスラムの教えとしては正しいのかという問題を議論しているのではない。暴力(より公正な言い方をすれば「信仰を剣によって広める」こと)よりも理性を求めるという皇帝の結論は、ギリシャ哲学に基づいてなされたものであって、「神は自分自身のことばにさえしばられることがない。」というイスラム教にとってはむしろ逆かもしれないということを教皇は示唆しているが、それはギリシャ哲学的な理性の尊重の普遍性についてのこの講義の主題への導入である。
先日、ジハードという言葉を使ったことを私は問題視したが、もとのビザンチン帝国皇帝の言葉がコンスタンティノープル包囲の最中に発せられたことを考慮すれば、ジハードを暴力と同義とするような議論も理解は出来る。しかし、教皇がここで引用した括弧つきの「ジハード」の特殊性について注釈を加えなかったのは不用意と言われても仕方がない。現在の世界の状況と自分の影響力を考えれば、このような話題を扱う時には慎重にするべきであった。もしこれがイスラム側から皇帝(および皇帝が体現するイスラム外の価値観)からの理性についての問いかけに応答する形でなされた議論であったら問題にされることもなかったのではないかと思う。
理性と信仰の問題を議論するなら他の例を挙げたほうがよりよかったともいえそうだが、ギリシア精神とキリスト教精神の統合を断ち切ろうとする試みを歴史的にたどるこの講義にとって、皇帝の言葉は単なる前振りではなくそのロジックを支える重要な柱であるから、これを外すわけにもいかないだろうと思う。逆に言えば、自分の考えを述べたものではないという釈明はこの点でも正しくないわけだが、それは同時にかつての学者皇帝の問いをもとにした、哲学的で内向きな、そして真剣な意図に基づく議論であるから、イスラム世界にもある程度理解されうるのではないかと思う。
 西洋世界は長い間、自らの理性の基礎にある問いを嫌うことによって、危険にさらされてきました。また、このことによって大きな損失をこうむるおそれがあります。理性を広げる勇気をもつこと。理性の偉大さを拒絶しないこと。これが、聖書の信仰に基づく神学が、現代の議論に加わるための計画なのです。

 マヌエル二世は、自らのキリスト教的な神像に従って、ペルシア人の対話者に対して、「理性に従わない、すなわちロゴスに従わない行動は、神の本性に反する」といいました。わたしたちも、諸文化との対話において、この偉大なロゴスへと、この理性の広がりへと、対話の相手を招きます。理性を常に新たに発見すること。それが、大学の偉大な課題なのです。
個人的な感想だが、こういった問題提起は、むしろイスラム(や他の宗教)との関係という文脈で考えるより、中絶などカトリック教会が批判を受けているいくつかの現代的な問題を考えるときに非常に興味深いものとなるように思う。こういった問題について教皇がかなり保守的な立場をとっていることは有名であって、これが実際に大きな方針転換をもたらす前触れであるとは思えないが、少なくともこの講義の論理的な結末は教会の権威主義的な態度と対立するように思う。
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by tyogonou | 2006-09-20 22:34 | 国際 | Trackback | Comments(0)
まずい言い訳
ローマ法王、イスラム教に関する発言で「深い遺憾」表明
教皇自身が謝罪したということは大きなことであるかもしれないが、これでは収まらないだろう。
法王は「私の発言に対する一部の国での反応について大変遺憾に思う。発言は引用であり、個人的な考えを反映するものではない。これで私の真意が明らかになり、率直な対話につながればよいと思う」と語った。
例えそれが自分の言葉でなくても、それを持ち出した責任が教皇にはある。教皇がどのような文脈で引用を行ったのか、詳しいことが分からないのでなんともいえない部分もあるが、少なくともこの遺憾表明においてさえ、問題となっているビザンチン帝国皇帝の言葉に対して批判を加えていない。それでは自分の意見を補強するための引用だととられてもしかたがない、というよりそのようにとるのが普通だ。
教皇の対応の問題はもうひとつある。「邪悪と残酷さ」という表現がイスラム教徒の気持ちを害したという前提で対応しているようだが、重要なのは「ジハード(聖戦)は神に反する」という発言のほうだ(そしてこれは紛れもなく教皇自身の言葉だ)。もちろん前者も重大な侮辱ではあるが、精神的に未熟で教養のない非イスラム教徒の人間がいったとしても特に驚くようなことでもなく、教皇がこのような発言をすることは、カトリック教会最高位の聖職者の知性を貶めることでしかないともいえる。
とはいえ、こういった無知からくる偏見がどれほど危険で邪悪なものを呼び覚ますかということを、元ヒトラー・ユーゲントであるヨーゼフ・ラッツィンガー氏は理解していなければならならないはずで、無邪気な引用と無邪気な言い訳は決して許されるものではないと思う。
それはともかく、ニューヨークタイムズが指摘しているように
「多くのイスラム教徒にとって聖戦とは精神的な戦いであり、暴力への呼びかけではない。法王は、深く、説得力のある謝罪をする必要がある」
ジハードは異教徒を殺すことを意味するのではない。禁忌を犯さないように自らを律するのはイスラムの教えを守るための大きなジハードである。それはイスラム教の信仰の五つの柱にプラスされることもある重要な行いであって、「ジハードは神に反する」などという発言は正統なイスラム教徒にとっては許しがたいものであろう。それはまた、アルカーイダのような組織が行うテロ攻撃に対して、民間人の命を奪うような行為はジハードとは認められない、といったかたちで非難してきた穏健なイスラム教学者達に対してあまりにも無礼な発言である。真に「率直な対話」を望むなら、まずこの点について熟考したうえで「説得力ある謝罪」をしなければならない。
法王発言に報復テロ予告、アル・カーイダ系武装勢力
こういった動きも当然予見できたはずで、ヴァチカンを巻き込もうとする武装勢力の試みが、民衆の支持を得るという意味においてどの程度成功を収めるかは疑問の余地があるが、教皇庁の対応によっては決して小さくはない影響を及ぼしかねないと不安ではある。
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by tyogonou | 2006-09-19 02:34 | 国際 | Trackback | Comments(0)
鶏肋大統領
「盧大統領は役に立たない鶏のあばら骨」に報復 韓国2紙の取材拒否

うまいことを言う、と思ったが朝鮮半島では日本より知られた表現なのか。
問題になった「鶏肋」とは鶏のあばら骨のことだが、韓国では昔から「食うほどの肉はついていないが捨てるには惜しい」ということから「役には立たないが捨てるには惜しい物」という意味に使われてきた。元は中国の後漢書に出てくる故事に由来するという。
三国志演義にもでてくるエピソードだから「帯に短したすきに長し」…などと翻訳しなくともいいのではないかと思うが、仕方ないだろう。
面白いのは、大統領側のとった行動と、それに対するメディア側のあまり強くない反発自体、まさに「鶏肋」という表現がふさわしい状況であるように見えることだ。
こういった状況は日本にはチャンスであると思う。長期的で明確な北朝鮮政策があることと、靖国問題などの懸案事項に関して穏当な態度をとることが条件とはなるだろうが、拉致問題やミサイル問題に関して直接韓国国民に語りかけ、また米韓両国の間、韓国政府と同国民との間を取り持つことができれば、これらの難問の解決に大いに役立つし、また将来の三国関係、東アジア地域の安定に寄与するところも大だろうと思う。
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by tyogonou | 2006-08-01 01:55 | 国際 | Trackback | Comments(0)
BSEの脅威について理解する
BSE検査を大幅縮小 米、8月後半にも実施
以前にも取り上げた資料だが、2002年10月世界保健機構(WHO)が出した文書に全て言い尽くされている。「米国でのBSE発生が極端に少ない」から検査体制を縮小するという米農務長官のロジックはあきらかにこれに反している。以下抜粋。
国内産牛での報告件数は監視体制の質を反映し、氷山の一角を表しているに過ぎない。リスクの程度という観点からすれば、より重要なのはその国で許可あるいは実施されている飼養管理である
「積極的な感染牛の摘発・淘汰によって、感染物質の飼料への混入の大部分は防止される」
「積極的監視体制をとっている国で数例のBSEが発見されたという報告のほうが、監視体制のない国で症例の報告がないという事実より安心を与える。」
こうした監視体制が確立されておらず、BSEのリスクを効果的に評価できない国は、BSEを摘発し適切な対応をとっている国よりも、消費者や取引相手に対してより深刻な被害をもたらす可能性がある。
 英国でのBSEの流行から得られた教訓の中で最も特筆すべきことは、「BSEはすべての人が真剣に受け止めなければならない脅威である」ということである。この病気が出現した時、英国および英国から牛を輸入していた国において勧告や規制が厳密に守られなかったために個々の事例が大惨事へと発展してしまったのである。
BSEの予防は農場から食卓まで、食品および飼料に関わるすべての人々の共同責任である。農家、飼料生産者、食肉処理業者、と殺者、獣医師、検査官、政府当局といったそれぞれ役割を担う人々が防止策を怠った時にいかに重大な結果を招くかを、全員が理解しなければならない。

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by tyogonou | 2006-07-21 12:56 | 国際 | Trackback | Comments(0)
暴を以って暴に易え
<北朝鮮ミサイル>自衛隊の「敵地攻撃能力」…議論が再燃
そこまでを意図してのミサイル発射でもなかったろうが、こういった流れは北朝鮮にとってはありがたいものではなかろうか?
 きっかけは「国民を守るために限定的な(敵地攻撃)能力を持つのは当然」と提起した9日の額賀福志郎防衛庁長官の発言。10日には「国民と国家を守るために何をすべきかという観点から常に検討、研究は必要」(安倍晋三官房長官)、「積極的に取り組む必要がある」(武部勤自民党幹事長)と同調する声が政府・与党内から相次いだ。
そもそも長距離ミサイルの保有が独立国家として国民を守るための当然の権利であると主張するなら、その権利は北朝鮮にも認められねばならないわけで、それを脅威といって非難することはできないのではないか? いくつかの国際合意を破ったという問題は残るものの、ミサイル保有が当然の権利であるなら、それを禁ずる合意の正当性のほうも怪しくなってしまう。残るは事前通告をしなかったということぐらいか。

ミサイル発射認める 今後も継続と北朝鮮(共同通信) - 7月6日

北朝鮮の外務省報道官は6日、一連のミサイル発射を「成功裏に行われた」と初めて公式に認め「自衛的国防力強化のための通常の軍事訓練の一環」と表明。さらに、発射凍結に関する日米などとの合意は効力がないと言明し「今後も自衛的抑止力効果の一環としてミサイル発射訓練を継続する」と言明した。
額賀防衛庁長官らのロジックでは、こういった主張は認めなけれなければならないし、北朝鮮が当然の権利を行使したことで日本(そして国際社会)の安全が脅かされたと主張することもできないはずだ。ミサイルの保有が認められるなら、その安全性の維持のための実験や訓練も認められるのは当然だ。「完成度低く、逆に危険」というのも現実的な意見であって、実際に発射実験を行うことによってきちんとした質を維持し、それによって日本国民を意図せずに傷つけるような事態を避けようとしているのだ、北朝鮮にそう開き直られたらなんと反論するのか。そして北朝鮮が独立国家として当然のことをしただけであるのに、それをことさらに脅威であると騒ぎ立て軍備を増強しようとすることを防衛という枠のなかで正当化するのは難しい。

現実に北朝鮮がそれをどのように使ったかを見れば、長距離ミサイルは自衛の範疇を超えていて日本国憲法に反するものであることはあきらかだ。実際に使用されずとも威嚇としてあれほど効果的に使われるものが防衛のための最低限の能力であるとはとても言えない。

それから政府の要職にある人間には、国際社会でこの問題を解決するために平和的手段による努力が進行している現在の状況下で、国民と国家を守るために何をすべきか考えて行動してもらわなければ困る。今最も重要なのは中韓露などの周辺諸国の協力を引き出し、一致してこの問題に当たることであるが、今しなくてもいい議論を巻き起こすことによってその足並みを乱すことは北朝鮮を利することでしかない。
また、憲法にも関わる重要な問題は冷静な判断力の下で議論されるべきであり、国民が不安を書きたてられた状況で提起されるべきものではない。それともそういった不安に付け込まなければ通らない主張なのだろうか?
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by tyogonou | 2006-07-12 22:55 | 国際 | Trackback | Comments(0)
【中国】「日本の捕鯨に断固反対」98%、中国で強い反発
【中国】「日本の捕鯨に断固反対」98%、中国で強い反発
中国にはこのまま突き進んで欲しいと思うのは私だけだろうか?
 中央電視台(中央テレビ、CCTV)は、捕鯨について賛否を問うアンケートを公式サイトで2日から開始した。6日午前10時20分(日本時間)の時点で、「捕鯨に対して、中国はどのような対応をすべきか」との質問に対して、「日本の捕鯨に断固として反対する」との回答が541票(98.90%)、「日本の捕鯨を支持する」が3票(0.55%)、「よく分からない」が3票(0.55%)となっている。
ネットでのアンケートという形式であれば意見が偏りがちなのは仕方がないが、ひとつの意見に98.90%の票が集まるとは異常というより茶番だ。これをもって「中国国民は商業捕鯨に反対している」という主張の根拠にするなら、むしろ日本としては大歓迎だ。反対派の意見が理性に基づいていないひとつの例証になるのだから。
またグリーンピース中国では「鯨は何度、鑑賞しても飽きない。殺してしまえばそれっきりだ」とコメントしているという。
「足の生えているものは椅子以外、羽の生えているものは飛行機以外」なんでも食べるという国の人間がこんなコメントを出すとは、なんてファンタスティックなんだ。他の国ではペットとして愛好される類の動物を中国人は絶対食べていないとでも主張するつもりだろうか? 毛皮産業など、中国の産業界が動物の扱いに関して他の見本となるべき水準にあるとでもいうのだろうか? そもそも「鑑賞しても飽きない」から捕鯨をやめろとはどういう冗談だ。捕鯨に関する議論は、種の保存と文化の多様性など、尊重されるべき価値観が複雑に絡み合うなかでよりよい選択肢を模索する真剣なものであるべきだ(現状はかならずしもそうなっているとはいえないかもしれないが)。単に他国を貶め自国の力を誇示したいだけの幼稚な言動は真剣な他の国々に対して失礼だ。
中国にだってこの問題に口を出す権利はあるが、そのまえにしなければならないことがうんとあるはずだ。
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by tyogonou | 2006-06-07 13:20 | 国際 | Trackback | Comments(0)
Another tea party?
When in the Course of human events, it becomes necessary for one people to dissolve the political bands which have connected them with another, and to assume among the powers of the earth, the seperate and equal station to which the Laws of Nature and of Nature's God entitled them, a decent respect to the opinions of mankind requires that they should declare the causes which impel them to the separation.

全面禁輸「過剰」と批判=牛肉問題で米国務長官=差替
いっそのこと無条件全面解禁にしてしまったらどうだろう? そんなことをすれば牛肉、あるいは畜産業界全体にまで深刻なダメージが及ぶはずで、実際にそんなことをするべきではないが、日本政府の政策に問題があるというなら、市場の判断に全てをまかせようではないか?
とにかく誰かが教えてあげなければならない。日本の対策がアメリカ産牛肉の信頼性を確保し、日本の消費者とアメリカの生産者との結びつきを維持するためのものであって、アメリカの生産者にとってむしろ利益になるものだということを。それを納得させない限り、アメリカの生産者は自分達が(短期的な)コストをできるだけ払わずにすむような緩い条件で日本への輸出を再開させるように、政府議会に圧力をかけ続けるだろう。本来、長期的な費用と便益に目を向けるよう説得するのはアメリカ政府のするべきことだが、彼らにそうする気がない(あるいは彼ら自身に長期的なヴィジョンが欠けている)のであれば、日本が説得するよりほかない。もっとも日本国外務大臣には、日本国内の食品の安全基準が適切か過剰であるかは、なによりもまず主権者たる日本国民によって判断されるべきだという基本的な民主主義の原則さえ指摘することができないようだから、誰か他に適任者を探さないといけないのだろう。(もっとも、外相が日米が合意したシステムへの信頼性という問題に触れているのは一応評価すべきだと思うが。)

<駐日米大使>「貿易戦争を懸念」米産牛肉輸入停止問題で
アメリカ議会が、互いに交わした合意内容を誠実に履行しようとせず、内政干渉も辞さない強圧的な態度にでるなら、それは確かにある種の戦争を引き起こすかもしれない。日本国民は米国産牛肉を成田沖に投げ捨てるようなまねはしないかもしれないが、自然と神の法が与え給うた自立した平等な地位を放棄するつもりもない。
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by tyogonou | 2006-03-19 02:22 | 国際 | Trackback | Comments(0)