カテゴリ:憲法( 9 )
戦後レジーム?
もともと、「美しい国、日本」というような意味内容のないキャッチコピーを振り回すのが好きな人だから、深く考えることもないのかもしれないが、「戦後レジーム」なる言葉を聴くたび首を傾げてしまう。

レジームとは(政治)体制であり、戦後日本のそれをもっとも一般的に特徴付けるのはすなわち「自民党による一党支配体制」である。50年もの間、一時期の例外を除いてひとつの政党が政権を安定的に保持し続けたということは、民主主義国家においては特異な現象であって、分析、議論のために特別なタームが用意されるに値するが、それを表す「戦後レジーム」であれば理解できる。
実際、小泉前首相が「自民党をぶっこわす」ことの別の表現として「戦後レジームからの脱却」を言ったのであれば的確な表現といえる。もちろん、民主党の小沢代表などが、自民党にとってかわろうというという意志を表現するのにも使える表現である。しかし、安倍首相の用語法では何を意味しているのか不明で評価のしようがない。

あるいは首相の言う「戦後」はもっと短い期間、日本国憲法施行から1955年頃、「もはや戦後ではない」と宣言され、自衛隊が設立され、そして現在の自民党支配体制が確立されるまでを言うのであろうか? それならば、以降の政治体制と日本国憲法とには齟齬があるので「戦後レジームからの脱却」が日本国憲法の改正へ結びつくことも理解は出来る。ただ、首相にしろ改憲派のほかの人物にしろ、そういった文脈で議論しているわけではなさそうで、おそらく違うのであろう。また、こういった意味での「戦後レジームからの脱却」を正当化することも不可能に近い。

最初に述べたように、深く考える必要はないのだろう。
憲法を改正するなら、なぜ改正しなければならないのか、現在の憲法のなにがいけないのか、綿密な検討を加えなければならないが、なにやら専門的な香りがして一般の人にはいまひとつ意味が不明確な横文字でそれらを包含してしまうことで都合の良くない詳細に立ち入ることを回避することはそれほど珍しくない弁論術だ。それは詐欺師が好んで使う手口で、憲法改正のような重大な問題にそういった意図で適用するなら、誠実さを欠いた態度だ。
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by tyogonou | 2007-05-10 22:40 | 憲法 | Trackback | Comments(0)
歴史と伝統
歴史と伝統尊重を宣言へ 自民が立党50年大会
かつて落語中興の祖といわれた三遊亭圓朝は、維新後東京にやってきた薩長政府の役人たちから、「江戸っ子」などと偉そうに言うがいったいそれはどんなものなのか、納得いくような噺を聞かせろと注文されると、迷わず「文七元結」を選んだといわれる。
憲法で宣言すべき日本の歴史と伝統を端的に表現するようななにかを挙げろと言ったら、どんな答えが返ってくるのだろうか。ひょっとしたら、内実などないところがミソであって、現行憲法で否定されているような価値観を正当化するのに便利な抜け穴として、(取るか捨てるかという二分法に持ち込めば特に)正面きって反対はし難い歴史や伝統という言葉が便利だというだけではないかとも思う。
そもそも、自民党が持ち込みたがっている「道徳」などが人権などとうまいこと統合されうるのか疑問だ。道徳と人権(もっと言えば憲法自体)はそれが用いられるパラダイムが異なる共約不可能な(とは言わないまでも困難な)概念であるから、それをひとつの憲法にまとめることはかなりアクロバティックな理論化を必要とするはずなのだが、そういった難問に取り組んだ形跡が見当たらないのはどういうことか。

なんにせよ、歴史と伝統の尊重を憲法で謳いたいのであれば、最低限その優先順位を明確にすることが必要だ。それが例えば基本的人権のような価値観と対立した場合、どちらが優先されるのかということだ。「その是をとって非を除き」などと言う以上、歴史と伝統より上位にあってその是非を判断するよりどころとなるべき価値が既に想定されているはずであるから、これはそれほど難しい注文でもないだろう。
もっとも上位の価値が存在するなら、敢えて別のものをもちだして無用な混乱を招くようなことはしない方がいいのではないかと思う。現行憲法に、日本の歴史と伝統の是とすべき部分を守り伝える妨げになるような面があるというわけでもない。歴史と伝統を守るための取り組みは現行憲法下でも機能しているし、それでもなお足りないものは憲法に謳うことで補いうるわけでもない。


<憲法シンポ>中曽根元首相、試案を大幅改定され怒り心頭
 新憲法起草委員会で前文小委員長を務めた中曽根氏は、基調講演。自ら作成した前文の素案から「太平洋と日本海の波洗う美しい島々」「和を尊び」などの表現が削除されたことを「一番大事なところを外しちゃった」と批判。
苦心作を反故にされた中曽根氏には同情するが、憲法に無ければならない表現というわけでもないだろう。次の万博の日本館のパンフレットにでも使えばよい。
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by tyogonou | 2005-11-24 23:58 | 憲法 | Trackback | Comments(0)
有害図書出版・販売など表現の自由を制限
<自民憲法起草委>中間報告 「表現の自由」に一定の制限も
言いたいことは山ほどあるが、まとまっていないので一点だけ。
・有害図書出版・販売など表現の自由を制限
それは憲法で謳いあげるべきことなのか?
現行憲法はそれを愛する人たちから「平和憲法」と呼ばれることもあるが、
新憲法は「エロ本禁止憲法」となるわけか。
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by tyogonou | 2005-03-16 02:20 | 憲法 | Trackback | Comments(0)
「裁判で勝てる」憲法案
国防の責務明記が多数 表現の自由制限拡大も
「表現の自由」制限を検討 自民権利義務小委
「家庭を保護する責務」姦通罪でも復活させましょうかねぇ、船田先生。
「有害情報は青少年に対してだけでない」わが敬愛する首相補佐官へのあてつけですか?
委員会の正式名称は「自民党の権利と国民の義務小委員会」ですかな。

冗談はさておき。
この改憲案のコンセプトは珍しく非常にはっきりしていてわかりやすい。「裁判で勝てる憲法」これにつきる。ついでに「議員定数は一票あたりの格差に影響を受けない」というのもいれておいたらどうか。
総じて図々しいお手盛り改憲案になりそうで、こんなものを本当に通すつもりでいるなら(そして通る見通しを持っているなら)危険な状況だと思う。
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by tyogonou | 2005-03-04 13:19 | 憲法 | Trackback | Comments(0)
自民起草委憲法案のいじましさ
<憲法>国民の義務明文化 自民起草委が前文で中間集約
「日本国民は自らの意思により何者にも強いられることなくこの憲法を制定する」
なんといじましいことだ。現行憲法に「日本国民はアメリカの恩恵によってこの憲法を頂く」とでもいうような文言があるのであれば、自らの意志云々を再確認する意味はあると思うが・・・。「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」という文言を読み損ねたのであろうか。

私が現行憲法を好ましく思うのは、そこに普遍的なものへの意志があるからだ。小泉首相が引用した一節などは、この憲法を充たす進取の気風の代表例といってよい。ただし、この一節は嘘の証拠をでっち上げて他国へ武力を行使するような国に対してまず向けられるべきであるが。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
こういった矜持をかなぐり捨て、「自国の歴史、伝統、文化」の内にひきこもらなければならないのはなぜなのか。
もっとももうじき米寿を迎えようとする老爺が長を務める委員会に覇気を求めるのが無理であるのかもしれない。疑問を禁じえないのだが、自主憲法を求めるというのにこの人選はどういうことなのだろうか。新しい憲法が発効するのがいつになるのか分からないし、中曽根氏がこの先何年生きるつもりでいるのかも知らないが、五十年百年と生くべき憲法の生命力を考えたら、中曽根氏はどう考えたって埒外の人物である。新憲法がどのようなものになろうと影響を受けることの無い人間は憲法制定に伴う責任を負えるのだろうか。(だからといって小渕優子を委員長にしろといっているわけでもない、一応念のため)

 また、「基本的人権の享有」とともに「国民は公共の義務を進んで果たす」ことの明確化も盛り込んだ。
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
現行憲法では公共の福祉が基本的人権の延長上に置かれているわけだが、自民起草委は公共の義務と基本的人権が無関係であるか、あるいは対立するものだという枠組みへの転換を目指しているかのように思える。基本的人権の充足が公共の福祉への方途とはなりえないというなら、そこのところをきちんと説明して欲しいものだし、基本的人権との比較においての優先順位は明確にしておくべきだと思う。このことは「圧制と暴力に直面する諸国民が自由に生存する権利の実現のためには力を惜しまない」という文案と関連しても重要である。「人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によって人権保護することが肝要であるので」世界人権宣言はこう謳っている。自民起草委案が上記のような理屈で武力行使を正当化するというのであれば、その憲法は基本的人権を他の全てに優越させるのでなければならない。人権より優先されるものを規定したり、人権を価値あるもののなかの一つとしてしか認めないのであれば、最終手段としての武力行使の基礎とはなりえない。

「目指すべき国家像」というのも気に入らない。第一に、国家とは目指すべき理想を実現するための手段であってそれ自体が目的ではない。これはアメリカ独立宣言の影響「これらの権利を確実なものとするために,人は政府という機関をもつ.」を多分に受けた考えで、自前ではないと非難されるのかもしれないが、それなら国家こそが目的であって他は国家に従属すべきだということを正当化してみせればよい。余談だが中曽根氏に知的水準が低いと蔑まれたアメリカの子どもたちはこの独立宣言を暗唱させられる。新しい憲法は「義務教育の段階で暗記し親しむことができるものにすべき」というがその知的水準はどのあたりに設定されるのだろうか。
第二に現行憲法では日本がどういう「国家」である(べきな)のかという規定は無い。「国家」という単語自体、前文の「いずれの国家も~」「日本国民は国家の名誉にかけ~」のふたつだけ、他国(家)との識別としてしか使われていない。「国家」を内在的には規定していない、というのは憲法としては妙であるような気もするが実は違う。現行憲法では「国家」ではなく「国会(立法)」「内閣(行政)」「司法」を規定しているのだ。なぜなら、三者は互いに独立した権力であるからだ。「目指すべき国家像」というのが気に食わない理由は、そこに三者間のチェック&バランスなどという枠組みが存在していないことだ。
「表現の自由」制限を検討=自民権利義務小委というもうひとつの動きを考え合わせると、自民党が望んでいるのは三権と第四の権力たるメディアの統一であり、「国の独立」とはすなわちこの四身一体を神聖にして犯すべからざるものとすることを意味しているのではないかと勘ぐりたくなる。

国民の安全確保?冗談言わはったら困ります。自己責任の、迷惑かけられたの言うてはったのはどちらさんどすえ?(美しい日本語とはこういうことどすか?)
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by tyogonou | 2005-03-02 02:51 | 憲法 | Trackback | Comments(0)
憲法第97条
「表現の自由」制限を検討 自民権利義務小委
現行憲法第97条
第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

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by tyogonou | 2005-03-01 01:40 | 憲法 | Trackback | Comments(0)
自尊 独自
前文見直しを自民公が強調 衆院調査会、共社は否定
 自民党の福田康夫氏は前文の内容について「前半が戦争の反省に尽きており自虐的だ」と指摘し「日本の独自性などを記述して日本人としての誇りを持てるものでありたい」と強調した。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
私の未熟な読解力では、これは平和と国民主権とを謳ったものとしか読めず、自虐的であるとも、戦争の反省に尽きているとも結論付けることはできない。「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」というのは基本的には未来についての言明であるし、かつての大日本帝国政府が他国と比べて悪かったであるとかいったようには読みようがない。
福田氏の愛国心がこれだけでも損なわれてしまうほど薄弱なものなら、この一節だけ次のように書き換えてみたっていいだろう。「この半世紀にわたり平和を愛する諸国民に武力による苦しみを与えずにきた歴史を肯定し、これから先もこの伝統を誇りを持って守り続けることを再確認し」
憲法で日本の独自性を記述しようという理由も私には良く分からない。自分のオリジナリティーを言う自称芸術家はえてしてオリジナリティーなどないもんだ、と私などは思ってしまう。他の国々では一般的な事柄をもう一段高い道徳的価値を目指すために否定し、そのアンチテーゼを提出するという意味での独自性をいっているならそれは理解できる。例えば戦争の放棄を宣言するということはそういう意味できわめて高い独自性を表現しているといえる。実際問題、非核三原則を含め核や大量破壊兵器の否定を憲法に盛り込むのはいい考えだと思う。だが、日本には独自性があるんだ!などと叫ぶのはどうなのか。
 金日成同志は、永生不滅のチュチェ思想を創始し、その旗じるしのもとに抗日革命闘争を組織・領導して、栄えある革命伝統を築き、祖国光復の歴史的偉業を成し遂げ、政治、経済、文化、軍事分野において自主独立国家建設の強固な土台を整えたうえで朝鮮民主主義人民共和国を創建した。
こんな憲法序文を読むと、福田氏が心配しているのとは全く別の意味で恥かしくなってしまうし、わが祖国の憲法はこうであって欲しくないと思う。しかし、福田氏らがなぜ平壌に研究チームを派遣しないのか不思議ではある。環境問題への草の根の取り組みを追い求めるワンガリ・マータイ氏が日本に来て「もったいない」という言葉に出会って感動したように、あの国には主体、先軍思想を初めとして福田氏の理想を端的に表現してくれるようなタームがたくさん眠っているかもしれない。

もっとも福田氏には意中の文言があって、私などがとやかく言っても仕方ないのかもしれないが。
惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ以テ無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ国ヲ愛シ公ニ殉ヒ以テ此ノ光輝アル国史ノ成跡ヲ貽シタルナリ 朕我カ臣民ハ即チ祖宗ノ忠良ナル臣民ノ子孫ナルヲ回想シ其ノ朕カ意ヲ奉体シ朕カ事ヲ奨順シ相与ニ和衷協同シ益々我カ帝国ノ光栄ヲ中外ニ宣揚シ祖宗ノ遺業ヲ永久ニ鞏固ナラシムルノ希望ヲ同クシ此ノ負担ヲ分ツニ堪フルコトヲ疑ハサルナリ

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by tyogonou | 2005-02-25 02:04 | 憲法 | Trackback | Comments(1)
憲法前文の翻訳
憲法前文すべて書き換え 3月に素案、自民起草小委
「現行の前文は翻訳調で内容も意味不明。悪文の典型だ」という。
学力低下を嘆いても始まらない。少し読みやすく変えてあげるのも親切か。
私たち日本国民は、日本の主権が国民にあることを宣言しこの憲法を定める。私たちは、私たち自身と後の子孫のために、他の国々の国民との協力による成果と、自由がわが国にもたらす恵みとを確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こされないようにすることを決意する。政治とは、国民の厳粛な信託を受けてなされるものであり、国民に由来する権威に基づき、国民の福利を目的として、選挙によって選ばれた代表者が国民に代わって権利を行使するものである。これは人類普遍の原理であり、日本国憲法もまたこの原理に基づくものである。私たちは、これに反する憲法、法令、詔勅の類は全て排除する。

日本国民は恒久の平和を念願し、崇高な理想が人間の関係を支配すべきであるということを深く自覚している。それゆえ、私たちの安全と生存とを保持するために、私たちは平和を愛する諸国民の公正さと信義とを信頼することを唯一の手段とすることを決意する。私たちは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に消滅させようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。私たちは、全世界の国民が皆、恐怖や欠乏に苦しむことなく、平和のうちに生きる権利を持っていることを確認する。

私たちは、どんな国家であれ自国のことのみに専念して他国を無視してはならないということを信じる。私たちは、政治道徳の原則は普遍的なものであり、この原則に従うことは自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする全ての国の責務であると信じる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。
先生方には「日本国民はこの崇高な理想と目的を達成することに関して、鋭意努力しかつ慎重に対処する方向で臨みたい」というようなのが読みやすかったかな?

もとの文はこちらで。
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by tyogonou | 2005-02-03 22:36 | 憲法 | Trackback | Comments(0)
憲法 1
昔、革新系首長の治める自治体の役所などにはあるスローガンを掲げた垂れ幕がぶら下がっていたものだった。革新系首長もだんだん減っていって、都道府県のレベルでは埼玉県が最後だったと思うが、「良識の府」参議院の議長も務めた大物政治家土屋義彦前県知事が当選すると、いの一番にこの不届きな垂れ幕の最後の一枚を撤去したものだった。余談になるが、代わりに土屋知事が打ち出したのが「彩の国さいたま」というあまり意味内容のないキャッチコピーで、はなわにはうらやましがられたが、実際「彩の国」らしいこととして思い浮かぶのは、湖に「桃湖」という名前がつけられたということぐらいか。それはともかく、垂れ幕に掲げられていたスローガンとはなんだったか。「憲法を暮らしに活かそう」である。
そういえばそんなのもあったなぁ、と思うくらい月日も流れて、憲法改正論議も本格化しそうだ。改憲論者の意図が那辺にあるかは疑念を持たずにはいられないし、もう半世紀以上も事実上の一党支配が続いている中で与党の作ろうとする憲法がどんなものであるのか不安でもあるが、憲法改正自体については必ずしも悪いことではないと思う。昨年のアメリカの選挙では同性婚問題もひとつの争点になった。日本ではまだそれほどの問題にはなっていないが、憲法という大事を論じるのだからきちんとそこまで押さえて議論しているというのであれば、その論者の意図や真剣さというものを認めてもいいのではないかと思う。
ではもし民主主義を発展させる方向で憲法改正を考えるとしたらどんなことが言えるのか、考えてみるのも価値あることだろう。

とりあえず9条、である。
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
まばゆいばかりに若い理想主義に燃えた宣言で、本当はぜひとも残したいところだ。
(次回に続く)
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by tyogonou | 2005-01-27 01:38 | 憲法 | Trackback | Comments(0)