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陳謝
逃げる警官「弁解の余地ない」警察庁長官が陳謝
東京・港区の路上で棒を手にした男(26)から3人の警察官が逃げ出す場面がテレビで報道され、小泉首相が22日の閣僚懇談会で「逃げるとは何事か」としっ責した問題について、警察庁の漆間巌長官は24日の会見で、「実務経験の有無にかかわらず、逃げるという考え方を持つべきではない。警察官は時に蛮勇を振るってでも立ち向かうべきで、3人には酷かも知れないが、弁解の余地はない」と述べて陳謝した。
おいおい。
むしろ責められるべきは、薬物の使用が疑われる人間が暴れているのに無防備に近づいていたことの方ではないのかと思うが。
アメリカのスワットなどでさえ、容疑者の逮捕、あるいは制圧に至るまでのプランなしに接近することはないだろう。策もなしにただ危険に身をさらすのは愚かな行為である。時に蛮勇を振るわなければならない状況もないわけではないだろうが、長官が言うべきことは「蛮勇を奮わなくてもいいような手配りをしろ」であって「蛮勇を奮え」ではない。
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by tyogonou | 2005-02-25 02:31 | 社会 | Trackback | Comments(1)
自尊 独自
前文見直しを自民公が強調 衆院調査会、共社は否定
 自民党の福田康夫氏は前文の内容について「前半が戦争の反省に尽きており自虐的だ」と指摘し「日本の独自性などを記述して日本人としての誇りを持てるものでありたい」と強調した。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
私の未熟な読解力では、これは平和と国民主権とを謳ったものとしか読めず、自虐的であるとも、戦争の反省に尽きているとも結論付けることはできない。「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」というのは基本的には未来についての言明であるし、かつての大日本帝国政府が他国と比べて悪かったであるとかいったようには読みようがない。
福田氏の愛国心がこれだけでも損なわれてしまうほど薄弱なものなら、この一節だけ次のように書き換えてみたっていいだろう。「この半世紀にわたり平和を愛する諸国民に武力による苦しみを与えずにきた歴史を肯定し、これから先もこの伝統を誇りを持って守り続けることを再確認し」
憲法で日本の独自性を記述しようという理由も私には良く分からない。自分のオリジナリティーを言う自称芸術家はえてしてオリジナリティーなどないもんだ、と私などは思ってしまう。他の国々では一般的な事柄をもう一段高い道徳的価値を目指すために否定し、そのアンチテーゼを提出するという意味での独自性をいっているならそれは理解できる。例えば戦争の放棄を宣言するということはそういう意味できわめて高い独自性を表現しているといえる。実際問題、非核三原則を含め核や大量破壊兵器の否定を憲法に盛り込むのはいい考えだと思う。だが、日本には独自性があるんだ!などと叫ぶのはどうなのか。
 金日成同志は、永生不滅のチュチェ思想を創始し、その旗じるしのもとに抗日革命闘争を組織・領導して、栄えある革命伝統を築き、祖国光復の歴史的偉業を成し遂げ、政治、経済、文化、軍事分野において自主独立国家建設の強固な土台を整えたうえで朝鮮民主主義人民共和国を創建した。
こんな憲法序文を読むと、福田氏が心配しているのとは全く別の意味で恥かしくなってしまうし、わが祖国の憲法はこうであって欲しくないと思う。しかし、福田氏らがなぜ平壌に研究チームを派遣しないのか不思議ではある。環境問題への草の根の取り組みを追い求めるワンガリ・マータイ氏が日本に来て「もったいない」という言葉に出会って感動したように、あの国には主体、先軍思想を初めとして福田氏の理想を端的に表現してくれるようなタームがたくさん眠っているかもしれない。

もっとも福田氏には意中の文言があって、私などがとやかく言っても仕方ないのかもしれないが。
惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ以テ無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ国ヲ愛シ公ニ殉ヒ以テ此ノ光輝アル国史ノ成跡ヲ貽シタルナリ 朕我カ臣民ハ即チ祖宗ノ忠良ナル臣民ノ子孫ナルヲ回想シ其ノ朕カ意ヲ奉体シ朕カ事ヲ奨順シ相与ニ和衷協同シ益々我カ帝国ノ光栄ヲ中外ニ宣揚シ祖宗ノ遺業ヲ永久ニ鞏固ナラシムルノ希望ヲ同クシ此ノ負担ヲ分ツニ堪フルコトヲ疑ハサルナリ

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by tyogonou | 2005-02-25 02:04 | 憲法 | Trackback | Comments(1)
周の徳は其れ至徳と謂うべきのみ
儒家の思想には、天下を滅亡させるほどの政見が四つある。(中略)また埋葬を手厚くし、長期間喪に服すべしとの主義を実行するに当たり、幾重にも外郭や内棺を作り、死者の衣服を数多く作り、死者のを送る行列の仰々しい様は、まるで家財を満載してよそに転居でもするようである。そして、三年の長きにわたって喪に服して泣き暮らし、(粗食と泣き疲れとで衰弱して)他人に助けられてやっと立ち上がり、杖にすがってようやく歩き、耳はおぼろに、眼はかすむといった始末である。これは天下を滅亡させるに充分な主張である。(『墨子』 浅野裕一 講談社学術文庫)
墨家の非難は故ないことではない。孔子自身も次のようなことを言っている。
予(宰我という弟子)の不仁なことよ。子どもは生まれると三年たってやっと父母の懐から離れる。あの三年の喪というのは(そこに由来し)世界中の誰もが行う喪である。予にしても、その父母から三年の愛を受けたであろうに。
一方で孔子が最も愛した弟子の顔回が死んだ時、弟子たちが立派な葬式を出そうと願い出たが許さず、それにもかかわらず立派な式をしたことで孔子が嘆いたという話もあるのだが、このあたりの事情や孔子の考え方は良く分からないところがある。弁護としては少々薄い。

西周の大陵墓 「殉葬の風習なし」研究責任者が講演
これはちょっと面白い。孔子自身は殉死については否定していない。
子路がいった、「桓公が公子の糾(きゅう)を殺した時、召忽(しょうこつ)は殉死しましたが管仲は死にませんでした。仁ではないでしょうね。」孔子は答えた。「桓公が諸侯を会合した時武力を用いなかったのは、管仲のおかげだ。(殉死をしなかったのは小さいことで)誰がその仁に及ぼうか。誰がその仁に及ぼうか。
この会話では殉死とは是非を問われるような問題としてあるのではなく、前提として無条件に受け入れられるものとしてある。殉死と殉葬は微妙に異なるのだが、今後の発掘によって周の徳は孔子が考えていたよりも先に至っていたということになるのかもしれない。
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by tyogonou | 2005-02-23 01:49 | | Trackback | Comments(0)
レギュラー
世界初!!水中漫才
水深2メートルの水槽で約30種、1000匹の魚が泳ぐ中、スーツ姿で舞台?に立った2人。おなじみ“あるある探検隊”の行進はさすがに遅く、観客も苦笑い。さらに最後に手を広げる“隊”のキメどころは、ことごとく幅1・5メートル、全長2・2メートルのホシエイが邪魔。ボケの松本康太(25)は「エイ君、ウツボ君が怖かった」と初体験を振り返った。
余計なお世話かもしれないが、このコンビにはやがて”あるある探検隊”を卒業して、正統な漫才を目指して欲しいと思う。
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by tyogonou | 2005-02-23 01:11 | Trackback | Comments(0)
「西武警察」じゃあるまいし
<小泉首相激怒>「警官が犯人から逃げるとは何事か!」
私も、問題の場面はTVで見たが、首相の怒りには全く同調できない。あの様な状況で、丸腰のまま犯人にとびかかっていって亡くなったりしたとしたら、そちらの方が(美談ではあるが)プロとして問題のある行動だと思うからだ。警察官の仕事とは自分も含めて誰も傷つけることなく犯人の身柄を確保することである。だから危険な状況でいったん退くのはむしろ正しい行動だと思う。パトカーに乗り込まれたあたり、犯人が自分の車から出て逃走をはかったときの対応策がきちんと考えられていなかったのかもしれないという意味では不手際があったといえるのかもしれないが、すぐに身柄を押さえたわけで、とやかくいうほどのことでもない。
すぐ脇にいたカメラマンに言及している人もいるようだが、民間人は立ち入り禁止にしていたはずだ。カメラは「自己責任」でその中に入っていたということではないのだろうか。もちろん、市民を守るのは公僕たる警官の義務であるから、そうであっても守るべきだとは思う。もし、カメラマンが転んでしまったのに無視して逃げたというのであればそれは非難に値する。
それに、あの場には多くの警察官がいたわけで、犯人が向かっていった先の警官が逃げる間に他の警官が状況を判断しフォローできるわけで、カメラマンが危険な状況に陥ったら指示を出すのが他の警官たちのすることだ。
マッチョなヒロイズムはTVの刑事ドラマでも見て満足させればよい。実在の国の指導者に「24」の登場人物のようであれと要求するのも無理な話ではないのか。


タイトル間違えた
「西部」警察でしたね(汗
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by tyogonou | 2005-02-23 00:50 | 社会 | Trackback(1) | Comments(1)
小学四年生にそこまでの責任を要求するのか?
<キャッチボール訴訟>投げた児童両親に賠償命令 仙台地裁
キャッチボールの球が胸に当たって長男(当時10歳)が死亡したのは、外部からの衝撃で心拍が停止する「心臓震盪(しんとう)」が原因として、宮城県大河原町に住む両親が起こした損害賠償訴訟の判決が17日、仙台地裁であった。田村幸一裁判官は「死因はボールをぶつけられたことによる心臓震盪」と認定し、ボールを投げた児童の両親ら被告側に対し、計約6000万円の支払いを命じた。原告側代理人によると、司法の場で心臓震盪による死亡例が認定されたのは初めて。
(中略)
原告側は03年9月に約6200万円の損害賠償を求めて提訴。被告側は(1)軟球が当たった証拠はない(2)心臓震盪を死因とする証拠がない(3)小学生が投げたボールに当たり、人が死ぬことは予見不能――と主張していた。
 判決で、田村裁判官は心臓震盪の判断基準を(1)心肺停止前に衝撃を受けた(2)胸骨や心臓などに構造的損傷がない(3)心血管系に奇形がない――などと例示。その上で、県警の実況見分や町教委への事故報告書などから、「軟球は長男の胸腹部に当たった」と認定。「死亡につながる不整脈や既往歴はなく、死因は心臓震盪」とした。
他のブログでも判決には否定的な意見が多いようだが私も同感だ。
 原告側代理人の吉岡和弘弁護士は「米国などの海外に比べ、心臓震盪の国内での認知度は低い。司法判断が示されたことで、学校教育の場に除細動器を導入するなどの動きにつながることを期待したい」と話している。
弁護士の言うとおり、心臓震盪による死亡例が認定されたということは画期的なことであるし、その意味でこの判決には意味があると思うが、問題は心臓震盪による死亡を予見できただろうかということだ。
仮にそれだけの身体能力があったとして、小学生が思いっきりボールを投げた球が頭に当たり、脳挫傷などで死んだりしたというなら、それは予見可能なことだといえると思う。しかし、心臓挫傷が起きるためには、ある程度の強さの衝撃が必要だが、判決にもあるように「(2)胸骨や心臓などに構造的損傷が」生じるほど強くては起きないものだ。心臓震盪とは、ごく限られた瞬間に心臓の直上に衝撃が加わったときに起こりうるものだ。だからこそ、めったに起きることではないのだ。「その」瞬間と心臓の真上を狙ってボールを投げたのであれば、死ぬかもしれないことは予見できたといえるとおもうが・・・どうやって?

心臓震盪(しんぞうしんとう)とは?
スポーツ以外では、子供同士の遊びのなかで肘や膝などが当たるとか、躾としての体罰などでも起こっています。ですから、何か特別な状況で起こるのではなく、ごく普通の生活の中で起こっていることに注意しなければなりません
 心臓震盪はそれまで元気で、何の病気もない子供に起こります。学校の健康診断(心電図検査やレントゲン検査もある)でも異常がなく、リスクファクターもない子供に起こります。また、特に危険度が高いわけではないスポーツや、遊びのなかでも起こります。ですから事前の健康診断などで発生の危険を予測することができません。しかし、起こりやすいスポーツや状況が判っていますから、注意することによって発生を減らすことは可能です。ブタの実験によれば、当たるボールは硬い方が心室細動を誘発しやすいという結果です。ですから、少なくとも小中学生では大人と同じ硬式野球ボールは使用しないほうが安全でしょう。また、かつての野球練習での指導のように「取り損なったボールは胸に当てて止めろ」などという指導は小中学生にはするべきではありません。前胸部を守る防具の使用も考慮すべきですが、野球ではまだ実用的なものがありません。アンダーシャツの左前胸部にパッドを入れるなどの工夫も良いかもしれません。スポーツや遊びのなかで頭部を危険から守るのと同じように、前胸部も守らなければという意識を持つことも大切でしょう。
(太字はブログ筆者)
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by tyogonou | 2005-02-19 02:38 | 社会 | Trackback | Comments(0)
イラク情勢、そして諸々
シーア派2氏が首相最有力 イラク次期政府人事が過熱
選挙後のイラクは安定化に向かっているようだ。不正の疑いやスンニ派のボイコットなどがあったりして正統性を問う声もあるようだが、今度の選挙が結果に厳格な正統性を付与できるほどきちんとしたものである必要はあまりないと思う。目下の最優先課題は憲法の制定だが、憲法の制定には国内の様々な集団を統合するためにも少数集団への配慮は欠かせないし、憲法の条文とは質が問題なのであって、議席割合によって条文が配分されるようなものでもない。多数派を握ったシーア派の政治指導者が離脱者を出さないように働きかけをしまとめていく限りにおいて今回の選挙結果が大きな問題になることはないと思う。むしろ問題なのは他国からの影響(そしてそれを疑うこと)なのだが、現在のところ懸念材料もないようだ。
憲法についての首相候補者の発言もこういった方向性を裏付けているように思える。

アブドルマハディ氏は、憲法がコーランにのみ基づくべきだとの立場には反対。コーランは法律の基礎の一つと主張している。治安部隊に旧バース党員を採用すべきではないとし、代わりに自ら組織化にかかわった民兵「バドル旅団」を取り込むべきだとの立場だ。
 旧フセイン時代も長くイラクにとどまったことや、穏健な人柄から国民の人気が高いジャファリ氏は、サウジアラビアのような厳格なイスラム法の適用はイラクになじまないと説明。医師である自分の妻を例に挙げ、「病院に通って、患者の腹を切開する彼女に運転を禁じるような法律に同意はできない」と発言している。
バース党員の扱いについては注意が必要だ。アメリカの占領政策の過ちはバース党員を公職から完全に排除しようとしたことだといわれる。フセイン政権下のイラクでバース党員だったということが則フセインの信奉者だということを意味するわけではない。バース党員であることは良い(時には安全な)生活を意味することもあったわけで、その全員を排除することはあまり賢明なことではない。この点についてはシーア派最高指導者のシスタニ師もアメリカと同様の考え方をしているようだ。
もっともアブドルマハディ氏は「治安部隊に」採用すべきではないと発言しているわけで、専制国家において警察、治安関係者の果たす(果たしていた)役割を考えれば、正しい方針だと思う。ただし自分が組織した民兵を使おうというのはいただけない。テロ対策を考えてのことかもしれないが、こういった集団が将来強大な権力を握るという不安の方が大きい。今のイラクの国民にとって重要なのは、日常的な安全が守られること(平たく言えば泥棒が捕まること)そして同時に治安警察のような国家権力から脅かされないことなのではないかと思う。そういう意味で、日本が、少し前まではうまく機能していた交番の導入を勧めてみるのもひとつのアイデアかと思う。
それから「サウジアラビアのような厳格なイスラム法の適用」というのはちょっとした皮肉だ。発言した本人にはそんな意図はないかもしれないが。アメリカのロジックの背後にある民主主義対イスラム原理主義というような枠組みで考える時にそれは皮肉であるのだが、サウジが厳格なイスラム国家であるというとはごく当たり前な指摘だからだ。
サウディアラビア王国の政体
イスラム法は、2世紀以上も前に第1次サウディ侯国が国是とした法でした。第1次サウディ侯国は、イマーム・ムハンマド・ビン・サウードとイスラム改革者ムハンマド・ビン・アブドルワッハーブが盟約し、アッラーの言葉を高く掲げ、イスラム法を採用し、イスラム信仰を防衛するために建国した国でした。サウディアラビア王国をイスラムとイスラム法の国にする運動は、それ以降も継続して進められました
サウジアラビアとはイスラム教ワッハーブ派の国であり、国王は同時にワッハーブ派のイマームでもある。そして、サウジ出身であるアルカーイダのオサマ・ビン・ラディンらもワッハーブ派であるといわれる。
アルカーイダをワッハーブ派組織とまでいってしまうのが正しいかどうかは分からない。アルカーイダの宗教的な背景についてはアメリカにとっては触れたくない問題だということもあるだろうし、アルカーイダはそういった細かい宗派集団というより、イスラム的な価値観を武力によって実現しようとするグループの元締めのようなものとして捉えるべきではある。しかし、例えば人質として拘束され後に解放されたフランス人記者にテロリストが語った、「アンダルシアから中国国境にいたるカリフ国家」の実現という目標もワッハーブ派の教義と矛盾するわけではない。サウジアラビアのアルカーイダの違いはサウジ国王をイマームとするかどうかの違いであると言えるだろうし、あるいはオサマ・ビン・ラディンが目指しているのはイマーム・ムハンマド・ビン・サウードのなしたことを再現することだともいえるのではないかと思う。
イスラム原理主義のテロリストが生まれる背景にはその国の指導者層における堕落への反発などもあるのだが、不思議なのはそれが国内の革命という機運には結びついていないように見えることだ。サウジ国内で王家への不満が生まれても、その不満をアルカーイダのようなグループがうまく国外へ誘導することによって国内は比較的安泰でいられる、いわばガス抜きとしてのテロ輸出を(意図的にとは言わないまでも)行っていることは間違いない。アメリカが、シリアやイラクをテロリストを支援しているという理由で非難するとき、先に非難すべき国があるだろうと思わざるを得ない。アメリカとてこれが分かっていないわけではなく、さりとてサウジ(の石油)なしでは生きていけないというジレンマがあって複雑な緊張関係にあるわけだが、それでダブルスタンダードが許されるわけではない。

今日になってこんなニュースも出てきた。
サウジアラビアの宗教警察、赤い薔薇に激怒
この記事をサウジアラビアの出来事ではなく、タリバン政権下のアフガニスタン、革命後のイランの話として聞かされても違和感はないだろう。そのとき、このニュースはどういったニュアンスで伝えられるだろうか。
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by tyogonou | 2005-02-16 13:11 | 国際 | Trackback | Comments(0)
スキンを代えてみた
内容重視でいこうかとシンプルなスキンでいこうと思っていたが、この景色がどうにも気に入ってしまった。
音のない湖に漂う自分を想わせる郷愁。
ひさしぶりにU2が聴きたくなった。
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by tyogonou | 2005-02-14 01:10 | Trackback | Comments(0)
歯磨き⇒間食し難くなるということか?
1日3度の歯みがきで痩せる? | Excite エキサイト
この結果は、歯みがきそれ自体が脂肪燃焼運動になるということを意味しているわけではない、と博士は言う。
曰く、「歯を磨く人々は健康に気を遣っているということだ。歯を手入れし、臭い息を防ごうとしている」「歯みがきの習慣を積極的に奨励することは、健康を維持し肥満を防ぐのに重要な役割を果たすことになるだろう」

ひとつの考え方として、歯磨きを励行すると間食をしにくくなるということがあるのではないかと思う。私自身、口の中に残るのがいやなのでソフトドリンク類を飲む時は砂糖抜きのお茶類が多い。だからといって、私がほっそりしているというわけではないが、少なくともその分のカロリーは抑えられているわけだ。
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by tyogonou | 2005-02-08 13:09 | 社会 | Trackback | Comments(0)
シーア派会派の亀裂
シーア派会派、亀裂の兆し 首相ポストめぐり分裂も
昨日イラクの選挙を肯定したエントリを書いたら、今日はこんなニュースだ。
ちょっと前にはクルド愛国同盟も大統領か首相の座を要求していたが、これが本当に汚いごたごたに発展していってしまうようならやはり問題だ。国民が世俗の政治集団の行動に幻滅すれば、「清潔な」宗教勢力が政治を支配することを望むようになるかもしれない。シスタニ師はそれでも動かないのではないかと思うが、サドル師あたりはそういった期待を受け止めようとするだろう。サドル師が悪いということではないが、若さと強い反米姿勢をもつイスラムの政教一致の指導者に大きな権力が握られるようになると問題を引き起こすかもしれないと思う。
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by tyogonou | 2005-02-08 01:00 | 国際 | Trackback(1) | Comments(0)