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慈悲遍き慈悲深きアラーの御名において
「ビスミッラーヒッラフマーニッラヒーム」

イラクの武装勢力が公表した襲撃時の映像の冒頭に流れていた言葉だ。
コーランの各章は一章を除いた全てがこの言葉から始まる。
キリスト教で言えば「ハレルヤ」のようなものだろうか。
アッラーは「慈悲遍き」神であり「慈悲深き」神であると言う。
これはアッラーの慈悲には「無差別の慈悲」と「差別的な慈悲」があるという意味だ。
アッラーは信仰を保ち、その目に善き行い(スンナ)を守る者に正しく応えてくれる、
それが差別的な慈悲。
その一方で、アッラーは信仰を持たない者に対してさえ無差別の慈悲を施してくださる。
不信心者に対してさえ、呼吸するための空気も、水も食べ物も分け隔てなく与えてくださるという、
それが無差別の慈悲。

武装勢力は慈悲遍きアッラーの名を汚した。
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by tyogonou | 2005-05-16 02:29 | 国際 | Trackback | Comments(0)
JR西日本だけの問題か
ひとつ理解ができないことがある。
スピードの出しすぎが重要な要素のひとつであったにせよ、事故の全容がなかなかはっきりとはしないにもかかわらず、メディアではかなり早いうちから対策にまで踏み込んだ発言がなされているということだ。もちろん、JR西日本の体質や、いわゆる「再教育」などに問題があることには異存は無い。しかし、JR西日本が早い段階から「粉砕痕」と思われる写真を公開して置石説を広めようとしたのと同様に、メディアも自らの都合の為に企業体質の問題に飛びついているようにしか思えない。
例えば、運転手へのプレッシャーを速度を上げたことにしか関連付けていないようだが、私はあのようなプレッシャーの害は、周囲の状況の判断を曇らせてしまうことにあると思う。あの事故で運転手が車両の状態をきちんと把握していればある程度のスピードがでていても事故はおきなかったとは思えない。しかし、運転手というものは本来車両の状態については素人の考えの及ばないほど感知できるものではないかと思う。くだらない話だが、ある駅で幽霊騒ぎがあったという。駅に列車が入ってきたところ、ホームから人が飛び込んできたという。調べてみたが何もでてこない。運転手の気のせい・・・と放置できないのは、異物を巻き込んだときの振動を感知する運転手の感覚はそんなにいいかげんなものではないからだとか。
この事件でも列車に乗り合わせた社員が急ブレーキはかからなかったと証言していることなどは注目すべきだと思う。先頭車両に乗り合わせた乗客の証言ももちろん重要ではあるが、列車の仕組みを知るプロの認識は最優先されるべきだ。もちろん、彼ら社員に余計なバイアスがかからないことが前提ではあるけれど。そういう意味で、事故の解明という観点から二人の社員の意義が語られないのもかなりおかしいことだと思う。結局のところ事故がどうやっておきたのかはたいして問題ではないのではないかと。
「再教育」にしてもそうだ。安全を守るためというより単なるいじめとしか思えないようなものだという。では、JR西日本に向けたメディアの声はそれとどうちがうのだろうか? 再教育の実態は確かに異常ではあるが、今の日本ではありふれた「異常さ」ではないのか。もし、なんの事故もおきていない時に「再教育」の実態が明らかになったとしたら、どの程度の非難の声が起きるだろうか。むしろ、「人の命を預かる仕事だから」厳しくやってもらわないと困る、社員はなにを甘っちょろいことをいっているんだ、という方向で語られるのではないだろうか。
安全は確かに大事だ。だがそれは崩れない限り目立つことは無い。そして目立たないものに関して人はないがしろにしがちだ。ダイヤが乱れた時、「安全の方が大事だから」といって許すほど世間は理解があっただろうか。JR西日本の異様な再教育もそういった世間の風に乗っていただけではないのか。(断っておくがJR西日本が「被害者」であるといっているわけではない。両者が「共犯関係」にあるのではないかといっているのだ。)
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by tyogonou | 2005-05-06 10:06 | 社会 | Trackback | Comments(0)