<   2006年 05月 ( 3 )   > この月の画像一覧
靖国三題
<靖国合祀中止訴訟>請求棄却受け、原告らが批判集会
父親の合祀中止を求めていた李煕子(イヒジャ)さん(63)は、小泉純一郎首相の靖国神社参拝にも触れ「参拝は心の問題だと言うなら、遺族の心も同じように尊重すべきだ」と話した。
もっともだと思う。現在の公務殉職者については遺族に合祀可否の問い合わせをしているというのもそういうことなのだろうし、なぜ、過去の例について合祀中止の要求に応じないのか理解に苦しむ。

<福田元官房長官>小泉首相の靖国参拝を強く批判
小泉首相の小児型強弁にも困ったものだが、この人の発言には(話し方を含めて)いらいらさせられることがすくなくない。
 福田氏は日中関係の改善に関し「誰かが冷静にしていかなければ、大事な関係を今後、維持することが非常に難しくなる」と指摘。さらに「日本国内は議論がエスカレートしすぎている。大声を上げれば、それが中国、韓国に伝わる。悪循環だ」と述べ、自民党内の対中強硬論を批判。「相手の立場を考えないで話すのはケンカだ。ケンカをする必要はない」と語り、外交をめぐり他国と対立関係を作るべきではない、と強調した。

「ケンカをする必要はない(まま、ここはひとつ穏便に)」といって議論の中身に触れず、うやむやにしてしまおうとしうのは、小泉首相とは対照的にオトナのずるさというか怠惰とでもいうべきものをうかがわせる言葉である。お互いの立場を尊重するべきだと言うこと、自分は相手側の立場がどのようなものだと考えているのか、それに対してどのように対応していくつもりでいるのか、そういったことを具体的に話すのが本当だと思う。

マレーシア首相「東アジアFTA急務」・アジアの未来
 アブドラ首相は日本と中韓両国との関係で「現状の問題が続けば、地域の平和、安定に不安をもたらす。危惧、懸念を素直に表明すべきだ」と言明し「介入するつもりはないが、互いに話し合いを絶やさないことが大切だ」と主張した。日中韓以外の域内各国も含め「アジアが分断された歴史に立ち戻ってはならない。域内協力が悪意に縛られるのを許してはいけない」とも述べた。
私自身もこのような意識が低かったことを認めなければならないが、靖国問題は単に日中韓の問題ではなく、それ自体を争点として大きく取り上げていない国にとっても間接的に影響を及ぼす問題なのだ。中韓がどうであれ、日本はそういった広い視野をもって行動すべきではないかと思う。中韓が反対するという理由で参拝をやめるわけにはいかないというのが小泉首相の理屈だったが、相手との意地の張り合いに終始して自分の言動が及ぼす影響を省みることのない人間というのは幼稚と言われても仕方あるまい。本当の母親というものがどう行動するか、大岡越前が下した判断がどのようなものだったか思い出してみれば、国連安保理常任理事国入りを目指すなど、国際社会で指導的立場を担おうとする国が取るべき道は自ずから明らかであるように思える。
[PR]
by tyogonou | 2006-05-28 02:48 | 国内政治 | Trackback | Comments(0)
教育基本法:民主党の対案
教育基本法:民主が対案決める 「国」の表現避ける

民主党もまどろっこしい物言いをする。
日本を愛する心を涵養(かんよう)し、祖先を敬い、子孫に想(おも)いをいたし、伝統、文化、芸術を尊び、学術の振興に努め、他国や他文化を理解し、新たな文明の創造を希求する。
素直にこうすればいいではないか。
惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ以テ無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ国ヲ愛シ公ニ殉ヒ以テ此ノ光輝アル国史ノ成跡ヲ貽シタルナリ朕我カ臣民ハ即チ祖宗ノ忠良ナル臣民ノ子孫ナルヲ回想シ其ノ朕カ意ヲ奉体シ朕カ事ヲ奨順シ相与ニ和衷協同シ益々我カ帝国ノ光栄ヲ中外ニ宣揚シ祖宗ノ遺業ヲ永久ニ鞏固ナラシムルノ希望ヲ同クシ此ノ負担ヲ分ツニ堪フルコトヲ疑ハサルナリ

旧憲法との類比は無茶かもしれないが、すくなくとも目配りのきいていない粗雑なものだと言える。
 我々が直面する課題は、自由と責任についての正しい認識と、人と人、国と国、宗教と宗教、人類と自然との間に共生の精神を醸成することである。
「正しい認識」というのはあまりに不用意でいただけない。なにが正しく何が正しくないかは教育基本法の文言とは別個のところで議論されるべき問題であって、基本法の文言としては「自由の大切さと責任の重要さを自覚し」という程度に留めておくか、あるいはもっと具体的にその正しい認識の内実を記すべきである。また、個人の教育を規定する法において、「国と国、宗教と宗教、人類と自然」の共生を謳うのも奇妙な話である。「他者、他国民、他の宗教を信ずる人々、そして我々人類をとりまく自然との間に共生の精神を~」というのが妥当なところだろう。さらに我々が直面する問題というのも受身であって、現行法の「我々は~決意をしめした」「われらは~しなければならない」といったきっぱりとした能動的な宣言とは対照的である。
 我々が目指す教育は、人間の尊厳と平和を重んじ、生命の尊さを知り、真理と正義を愛し、美しいものを美しいと感ずる心をはぐくみ、創造性に富んだ、人格の向上発展を目指す人間の育成である。
ここでは「美しいものを美しいと感ずる」というのがダメだ。少なくとも岡本太郎後の世界においては陳腐なセリフだ。 
さらに、自立し、自律の精神を持ち、個人や社会に起こる不条理な出来事に対して、連帯で取り組む豊かな人間性と、公共の精神を大切にする人間の育成である。
「自主自律の精神を持ち、不条理に屈せぬ自立心と率先して問題に取り組む自発性、そのための連帯に必要な自他の敬愛と協力の精神とを兼ね備えた豊かな人間性の育成である」。こんなところであろうか。

些細な表現をあげつらっているだけのようでもあるが、このいいかげんな言葉の裏にあるかもしれない不純な動機と、それゆえの思考のあいまいさが気になって仕方が無い。

どれだけ好意的に見ても、民主党案は現行の教育基本法の(憲法との整合性も含めて)体系立った美しさには到底及ばない。争点となっている愛国心についても現行法は簡潔に的確に規定している。なぜこれを越えてまで愛国心を強調しなければならないのか、私には全く理解できない。
教育基本法前文
われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

(教育の目的)
第1条 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

[PR]
by tyogonou | 2006-05-24 03:29 | 国内政治 | Trackback | Comments(0)
裏切り?
靖国問題が保守分断 「中国利する」と麻生外相
憲法上、宗教法人に対して(宗教法人格をはずすように)政治介入はできない。靖国神社という宗教法人側からの話でない限りは(できない)」と述べた。
靖国神社の宗教法人格見直しについてこの見解は正しい、と私も思う。もっとも、靖国神社からの要請があったからといって、戦没者と神道を結びつけたまま靖国を国へ取り込むようなことはすべきではないが。
新しい施設ができても、亡くなった方は『靖国で会おう』と言って亡くなったから靖国問題はなくならない。
こういう意見もよく見かけるが、私にはこれは疑問だ。
靖国に祀られることを信じて死んでいった人たちへの裏切りだと言う。ならば問いたい。「一億玉砕」を信じて自ら死んでいった民間人の信頼に応えなくてよいのか、と。たとえ応召兵であっても、兵士には死の危険はつきものであり、それは靖国があろうとなかろうと受け入れなければならない。だが、戦争において民間人は守られなければならない存在であり、本当なら永らえるはずだった命を自ら絶つことを強制する根拠となったのは、自分だけでなく、日本国民は皆敵に屈することなく死を選ぶという約束だったのではないか? それは兵士が戦死するということとは異なり、異常な、特別なことであって、彼らを裏切ることは兵士を裏切ることよりはるかに重いことではないのか? 人間としての品位を欠く考え方ではあるが、一億玉砕したあかつきには靖国神社も存在しえず、英霊を祀ろうという人間は自決して居なくなっていたはずで、兵士達もそのことを了解済みだったはずだ、ということもいえなくもない。

だが、戦時中に国の指導的立場にあって一億玉砕を唱えながら、A級戦犯として生きたまま捕らえられ、自決することなく処刑された人々の彼ら民間人に対するこの非常に大きな責任を麻生氏はどう捉えているのか。そして、麻生氏は、戦死も自決もしなかった父祖に代わってやらなければならないことをやるつもりでもあるのだろうか?
[PR]
by tyogonou | 2006-05-21 02:35 | 国内政治 | Trackback | Comments(0)