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亀田家 2
史郎氏の反則指示の音声を聞いたとき、少し寂しい思いをしたものだった。この親子がボクシングにかけてきた時間とエネルギーの大きさは疑いようもないが、そこで積み上げてきたものこそが最後のよりどころとなる苦境にあって出てきたのが、技術的なアドバイスでもなければ精神論でもなく反則の指示だったとは、なんと薄っぺらい時間だったのだろうか、そう思った。しかし、12ラウンドの大毅選手の映像を何度か見ているうちに、そこに別の側面もあったのではないかと思うようになった。
12ラウンドの大毅選手の動きが「もはやボクシングではない」ものであったという意見には当然私も賛成だ。しかし、同様に表現されるであろうタイソンの耳噛みや朝青龍の膝蹴り、あるいは窮地に追い込まれたときのボブ・サップの反則などとはちょっと趣が違うように感じた。大毅選手には怒りとか焦りとかそういった感情が見受けられず、疲労感はあったものの冷静さを保ったままだった。そういう精神状態で明らかにその競技の体系を逸脱するような反則を繰り返すのは、相手を傷つける明確な意図があって試合は完全に無視してかかっているような場合であるが、大毅選手にはそういった冷徹な害意があるようにも見えず、ただ寝技に持ち込んではサミングしようとする姿はある意味「愚直」にすら見えた。

話はそれるが、大毅選手が冷静に見えたひとつの理由は、彼の顔がきれいだったことにある。ボコボコにされた顔で相手を放り投げれば必死な印象を生むが、特にどこか腫れているわけでもない普段どおりの顔ではそういった感じを受けることは無いわけだ。「切腹はされないんですか」などと愚かな質問を浴びながら控え室へと引き上げていく時の顔などを思い出してみても、大毅選手の顔が非常にきれいだったということには注意を払うべきだ。チャンピオンも「思ったよりは」と認めていたように、12ラウンドを戦ってあれだけきれいな顔でリングを降りたということは、それなりに優れたディフェンステクニックをもっていたということではないのかと思う。

閑話休題。
12ラウンドの映像を何度か見ていてしみじみ思ったのは、この人はボクシングが好きではないんだなぁ、ということだった。幼児が親に言われて嫌々しているお稽古事の発表会というとちょっと行き過ぎだが、別にボクシングなんかどうでもいいんだというような声が聞こえてくるようだった。
その後、大毅選手についての記事をいくつか漁ってみたら、兄弟の中でボクシングへの情熱がもっとも薄く、能力的にも劣等生と自他共に認めていたということを知って、やはりそうだったのかと思った。あの反則指示も史郎氏らに技術的な裏づけが不足しているばかりでなく、指示を受ける大毅選手にそういった技術的なアドバイスを受け入れる余地がすくないという判断のもとに行われたのではないだろうか。つまり、もう試合はどうしようもないからこれ以上「ボクシング」をしなくてもいい、という許可だったのではないだろか。
大毅選手のみがコスプレや歌謡ショーを行うのも、観客に対するサービスというより、彼の気分を盛り上げ力を発揮させようという配慮によるものではないかと思う。

こういったことを考え合わせて見ると、「勝つことが全て」という言明が単に反則をしてもいいというだけの浅いものではないことが分かるし、興毅選手が世界一の父親だと言って擁護した理由も分かる気がする。
かつて長男の興毅選手だったか中学か高校の時に恋人がいて、ボクシングへの意欲につながるならという理由で史郎氏公認だという話で、ものわかりがいいというより現実主義的な考え方をする親だなと驚いた記憶があるが、なかなか出来ることではない。飴とムチを使い分けるというのは良く聞くが、史郎氏の場合、ムチとムチというのか、厳しい所謂普通の「ムチ」と、相手の気持ちを盛り上げ励ます「ムチ」とを使い分けているようで、亀田家の教育論というのはもっと注意深く扱われるべきだと思う。

問題は史郎氏の思考の範囲が息子達のことを越えなかったということで、世界チャンピオンですらも息子のための踏み石としか見ることができない心が、金的攻撃というもっとも卑劣な行為の指示に結びついたことに弁護の余地は無い。
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by tyogonou | 2007-10-30 00:29 | スポーツ | Trackback | Comments(1)
想像力の欠如
バラエティーの罰ゲーム自粛を=BPO青少年委が見解(時事通信) - Yahoo!ニュース
以前、罰ゲームではないが、芸人の「びびり」度合いを競わせるという趣旨の番組で、ある若い女性タレントが10メートルの飛び込み台からプールへ飛び込むのを見たことがある。
彼女はなかなか飛び込むことができず、最終的にはなんとか飛び込むことができたものの、腰が引けていたために少し後傾して背中を打つような形で落ちてしまった。飛び込む直前は気分が高揚したり鬱屈したり落ち着きが無く、素人目にも正常でない精神状態から、突然飛び出す形で飛び込んでいった様子は、もはや飛び込みというより身投げといったほうがいいようなもので、心配を通り越して恐怖を感じてしまった。もう少し腰が引けていたら、飛び込み台に後頭部を打ち付けて頭蓋骨や首の骨を折って命を落とす危険性も少なからずあったのではないかと思う。
驚いたのは、それらが全く問題視されることないまま撮影が続行され放映されたことだ。自分がその場にいたら、中止させるか、間に合わずに飛び込んだら万一に備えてビート板をもって飛び込んでいたかもしれない。しかし、映像を見るかぎり現場にそういった緊迫感は感じられなかったし、その映像をスタジオで見ていた出演者たちも(「危ない」というような声もあったが)、ごくありふれた映像として受け流していた。
この番組では他にも、海上10mの高さに綱渡りの綱の変わりに幅の狭い鉄の橋を渡したセットを設け、その橋を渡るタイムを競わせる企画もあったが、芸人達は事情を知らされずにつれてこられるので普段着のままヘルメットさえつけずに渡らされていた。やはり驚くのが障害物としてバナナの皮が橋の上にばらまいてあったことで、すべって橋にどこかを打ち付けてから10m下に転落でもしたら大事になるだろうにとぞっとして見ていた。

危険を演出することと危険に晒すことは違う。あるいはただ単に演出する能力が無いだけなのかもしれないが、私にはスタッフに(そして出演者や視聴者にも)そんな区別がつかないだけのように思われる。よくこういった状況で事故がおきれば「安全に対する認識が麻痺していた」などと説明されるが、もともとそんな認識などないのではないか。芸人が怖がる、面白い、そこが思考の果てであって、その先に進む想像力が欠落している。
それは本当に恐ろしいことだ。
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by tyogonou | 2007-10-28 01:13 | 社会 | Trackback | Comments(0)
自己顕示のための質問
興毅謝罪会見のテレ朝リポーター 「不愉快」とネットで批判 | エキサイトニュース
いじめやら事情聴取やらではなく、自分が正義の側にあることをアピールしたいがための質問だと思う。大相撲の不祥事などに関しても見受けられた態度なので、今回批判を浴びているというのはちょっと意外な気もするが、それだけ興毅選手が「立派だった」ということなのだろうか。
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by tyogonou | 2007-10-28 00:06 | 社会 | Trackback | Comments(0)
空気の読めないノリの悪い奴
<ボクシング>王者の内藤、亀田興の会見に「立派だった」(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
マスメディアの関係者の内藤選手に対する本音は「空気の読めないノリの悪い奴」といったところではないだろうか。
内藤が息巻いて「三人揃ってカメラの前で自分に土下座して謝るまで許さない」とでも言えば大いに盛り上がるのに、試合の翌日には「終わったこと」などとさっさと矛を収めてしまうし、その後の一家の言動を「謝罪になってない」と煽っているのを尻目に「気持ちが伝わった」などといって勝手に納得してしまう。亀田親子を糾弾する手前、「大人の対応」などと持ち上げては見るものの、騒動はバトルに発展しないばかりか、せっかく批判者たちの声によって盛り上がった視聴者の気持ちも腰砕けにしてしまいかねない。かといって一方の当事者の声を伝えないわけにも行かないし、もうちょっと空気読んでくれといったところだろう。

内藤選手の態度は亀田的なものとは正反対なものだが、それゆえに自分が被害を受けた当事者である問題について蚊帳の外に置かれているさまは奇妙なものだ。
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by tyogonou | 2007-10-27 00:52 | スポーツ | Trackback | Comments(0)
亀田家 1
私の周囲にも本気で怒っている人がいて、直接何か言えばこちらにまで矛先が向かってきそうな勢いだが、どうも私はそんな感情を共有できそうにない。

亀田家の人々は皮肉でもなんでもなく大変な優等生であると思う。もちろんそれはスポーツ新聞にとってという意味で、わざわざこちらが苦労して盛り上げようとしなくても自らインパクトのある「絵」やコピーを提供してくれる亀田家は記者にとって本当にありがたい存在ではなかったかと思う。内藤選手も今回「国民の期待に応えます」とちょっとウィットを効かせてみたけれど、その効果のほどは「ゴキブリ」発言には遠く及ばず、試合の翌日にはもうどうでもよくなってしまう程度のつまらない駄作であったことは否定のしようがない。
以前、「しつけがなってない」などと非難されたときには、批判者が、興毅選手のかなりの程度計算づくでしているこういった(父親の史郎氏は地のように思えるが)パフォーマンスを真に受けているようなのが奇異に思えたものだった。ランダエタ選手にオムツを差し出されたときも、それを叩き落してメンチを切ったのだが、本当に怒っていれば史郎氏のように言葉が続くか、かつて調印式での写真撮影のときに挑戦者に挑発された時のユーリ・アルバチャコフのように手が出そうになるかのどちらかだが、まったくそういうこともなく距離を保ったまま表情を作る様は歌舞伎役者が見得を切るかのようで、観衆への意識がしっかりとした人なんだなと私は思った。

当時問題とされたファッションや言葉遣い、大毅選手のコスプレや歌も、私の趣味にはあわないけれど、非難されるようなものか疑問に思っていた。いまやハッスルに至っているプロレスの世界では、自分のキャラというかイメージを守ることは重要で、悪役や覆面レスラーがそこにしっかりとしたプロフェッショナリズムをもっているのも事実で、決してリスクが無くはない軽量前の記者会見でハンバーガーを食べてみせるといったようなパフォーマンスもそういったプロフェッショナリズムの現れと見ていい。悪ぶったファッションや言葉遣いも、そういったものが彼らの嗜好にあっているという面もあるだろうが、やはり亀田ブランドを売るための戦略と見るべきで、それを倫理的に非難するのはピントが外れているように思う。コスプレや歌も、ボクシングにはそぐわない気もするが、それを言うなら、コスプレという言葉も無かった時代に昔のやくざの紛争をしてリングに立った先輩や、調子に乗ってオリジナルのレコードを出した先輩をまず責めるべきであろうと思う。(後で述べる予定だが、この二つにはもっと別の意味合いもあるのかもしれない)
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by tyogonou | 2007-10-23 00:35 | スポーツ | Trackback | Comments(0)
偽装せずとも
<比内地鶏偽装>「廃鶏」を使用…県の調査に社長答える | エキサイトニュース
かつてのミートホープや赤福についても同じなのだが、はじめから実態に近い「廃鶏を使っているので安いが歯ごたえのある比内地鶏風燻製」として売っていたら、実際に食べた消費者には分からなかったわけだから、今の時代そこそこ買う人はいたのではないかと思う。一方で、「比内地鶏使用」といった付加価値をやたらにありがたがる風潮は根強く残っているし、自社の方針転換がライバルの高級路線の商品の価値を相対的に上げてしまうことを考えると、なかなかそういった思い切った方向転換に踏み切ることは難しいのかもしれないが、やはり最悪の事態に陥った実例がいくつも出てきている現実をきちんと認識しておくべきだったろうと思う。
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by tyogonou | 2007-10-23 00:15 | 社会 | Trackback | Comments(0)
引退勧告もやむなし
朝青龍に引退勧告も…謹慎中に細木数子さんと番組共演(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
「立派な横綱として帰ってきてほしいから横審も帰国を許した。事実は確認していないが、これ(理事会の決定)を崩すことならば大事ですよ。トレーニングしているところならまだしも、内容次第では身の振り方を考えた方がいいと言わざるを得ない。横審では議題になります。前回の横審でも、今度何かあったら引退勧告すべきとの意見もありましたから」
最初TBSが取材したというニュースを聴いた時、ニュース番組かさもなくば特番でも組むのかと思ったが、まさか占い師のバラエティー番組の取材だったとはあきれたものだ。やたら謝罪会見を連呼するメディアにもうんざりするが、こういった番組で人気占い師と対談することが、朝青龍が一番に考えるべき相撲ファンへの架け橋となるとは思えない。
状況もわきまえずこういった企画を実行したTV局スタッフも、きちんとチェックもせずに許可を出した協会広報部も問題だが、最終的には朝青龍本人のOKが出なければ実現しなかったはずで、本人の責任を問わなければならない。朝青龍に、横綱として相撲界を代表しているという自覚とファンを大切にする心があったなら、今の段階でこういった形の取材に応じただろうか?
「内容次第」ではあるが、神妙な面持ちで細木の説教を聴き、細木に謝り、細木に再起を誓い、細木に感謝するようなものであるなら、そこまでファンを軽んじるなら、二度とファンの前に姿を見せなくていい。
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by tyogonou | 2007-10-22 23:33 | スポーツ | Trackback | Comments(0)
福田語
“福田語”を専門家2人が徹底分析 「心に響かない」が「安倍前首相より上」(産経新聞) - Yahoo!ニュース
「非常にフォーマルで、聞き手との距離が離れたままだ。話の内容も抽象的で印象が薄く、記憶に残らない」
「これまで国会での所信表明演説や答弁は慎重で危なげなかったが、総じて抑揚がなく、心に響かない」
専門家のこれらの分析は納得のいくものであるが、それに対する次のような処方箋ははたして正しいのか疑問に思う。
首相の言葉をめぐる今後の課題について、東氏は「相手と一体感がもてる話し方を心がけ、強調すべきところは同じ言葉でも繰り返すべきだ」という。福田氏は「例えば『どう思いますか』という言葉で聴衆を巻き込むよう呼びかけてみることが必要だ。一本調子ではなく変化をつけ、間をしっかり取ってアイコンタクトを意識してほしい」と注文をつけた。
安倍前首相が記者とカメラとどちらに視線を合わせるか苦労していたのを思い出す。安倍氏の失敗は小泉氏のパフォーマンスの威力に煽られて柄にもないことをしようとしたところにあったと思う。
その点、福田首相は官房長官時代よりも首相になってからの方がかえって自然体になったような感じで、福田首相にとってはベストではないかと思う。言葉についての福田首相と小泉氏の比較はそのまま内藤大助選手と亀田家の人々との違いにも当てはまるが、内藤選手が亀田家の人々のように話すのは決して望ましいことではあるまい。(もっとも私はマスコミにとっては内藤選手の純朴な言葉と態度は困りものではないのかと睨んでいるが)
福田首相は、自民党総裁選の後半あたりから、あたりが柔らかくなった印象がある。実際、いつも硬く結ばれていた口元も柔らかくなったのだが、総裁選での優勢に口元がほころんでいるというようなものではなく、官房長官などを努めている時には自分個人の考えや感情を軽々しく口に出さないように神経を使っていたのが、そういった気を遣わなくてもよくなって自然に振舞えるようになったということであるように私には感じられた。あれは官邸の庭を夫人と散歩したのだったか、プライベートなショットを提供した時も、自意識のない自然な振舞い方に、首相の重責にあってこういった態度が取れる人であれば、意外に長く官邸に住み続けることになるかもしれないと感じた。
官房長官時代に顕著だった、フォーマルな、時に人を見下したような冷たい口調は今でもないわけではないが、誠実な感じといっては言いすぎだが、すくなくとも実感のこもる語り口になった。この辺は古いタイプの政治家にはない特徴で、やたら大きなことをいうタイプ(小泉氏や田中真紀子氏など)や理屈に走るタイプ(小沢一郎氏など)と比較すると、意外に従来にはない新しさがあるように思う。確かに熱狂的な支持を呼ぶことはないだろうが、慎重な理解を得ることのできる語り口ではないだろうか。
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by tyogonou | 2007-10-21 00:51 | 国内政治 | Trackback | Comments(0)
反対する奴はテロリストだ
われわれの存在と国家の存在をあやうくするような論議はやめなければならぬ。国家社会主義ドイツ労働者党の見解の正しさに疑問を持つものは反逆者の烙印を押されるであろう。―フリッツ・ザウケル(ナチスドイツの政治家、労働相)
自民・中谷氏、給油反対「テロリストだけ」=鳩山民主幹事長は反発(時事通信) - Yahoo!ニュース
 自民党の中谷元・安全保障調査会長(元防衛庁長官)は14日、フジテレビの番組で、民主党がインド洋での海上自衛隊の給油活動継続に反対していることに関し「(給油活動は)国際社会の中で非常に評価され、ぜひ続けてくれと要望されている。反対するのはテロリストしかいない」と批判した。さらに「民主党はテロリスト集団か」との質問にも「(反対するのは)僕には理解できない」と語った。
正体見たり。
自民党はこの給油活動が国際社会全体の課題である「テロとの戦い」の一環であると主張している。ではその「テロ(テロリスト)」とはどう定義されるのか。中谷氏の発言を見るかぎり、自分に反対するもの、そして自分には理解できないものこそが、武力をもって打ち払われるべきテロリストであるようだ。

給油活動からの撤退が、国際社会における日本の信用を貶めることになるかもしれないという議論は理解できないでもない。それは国際社会全体の関心事ではないと思うが、ただアメリカ一国との関係の問題ではないとも思う。所謂「テロとの戦い」なるものがひどく胡散臭いもので、石油をめぐる利権やら米大統領のメンツやらひどく醜いものが入り混じったものをきれいに飾り立てているだけだと思うが、その一方で日本にはこれを推し進めるのに重要な役割を果たした責任がある以上、最後まで正義を貫徹しなければならず、戦争の犠牲になった罪なき人々に背を向けて退くわけにもいかない("you break it, you own it")とも思う。

しかし、それでも私は給油継続に反対だ。
石破防衛庁長官などは、例えばアフガニスタンなどでテロリストが資金源として麻薬を作るのを阻止することは国益にも適うといった説明をしているが、国益のために武力を行使する(あるいはそれに加担する)ことが憲法の理念に沿うものであるとはとても考えられない。国を相手にする戦争と、犯罪者として扱われるテロリストとの戦いに多少の違いはあるとはいえ、九条の精神に準じた行動をとるべきであるし、しばしば善良な市民の中に隠れているテロリストを武力によって制圧しようとすれば罪のない市民の被害は国家間の戦争よりも大きくなりやすいことを考えれば九条はむしろ厳格に適用されるべきだと思う。
石破氏の論法を拡大解釈すれば、アメリカ軍が日本の暴力団の拠点のある区域を新型のクラスター爆弾で攻撃してもかまわないことになりはしないか。
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by tyogonou | 2007-10-16 00:41 | 国内政治 | Trackback | Comments(0)
真相究明なしの処分決定
「若い力士は将来ある」…北の湖理事長、一問一答(産経新聞) - Yahoo!ニュース
将来のない年寄りはおあつらえ向きの捨て駒だ。
 --真相究明は
 「それは警察がやる。あくまで今回は協会の信用を失墜させたから、解雇処分にしたということ」 --世間が騒いだから信用を失墜させたということか
 「それもあるが、今回のようなことは各部屋の師匠にはないのに、あると世間から思われる。預かった人のことを考えると責任はあると思う」
時津風部屋だって、恒常的に新弟子が死んでいたわけでもない。ただ、これ以上騒ぎが大きくなると他の部屋の師匠が迷惑するから全部背負って消えろということなのだろう。

何度か書いているが、この事件を稽古中の事故死ではなく傷害致死事件として扱うことは難しいことだと思う。一般市民が集団リンチを受けて死亡したというような事件であれば、そういった状況自体が日常ありえない特殊な状況であるから、相手を傷つけるという悪しき目的があったことを容易に推定できるが、激しい稽古をする相撲取りが被害者である今回のケースでは正常な稽古と犯罪的な暴行の違いは程度の問題であって、外傷性ショックという死因でその「程度」を確定するのは難しい。
うがった見かたをすれば、警察や検察の動きが鈍く思われるのはこの作業の困難さを回避するため、世論を使って相撲協会に圧力をかけ、先にそちらで「時津風部屋で行われたことは相撲の稽古ではない」ということを既成事実化し、それをよりどころに裁判を進めようというたくらみがあったのではないかとすら思える。

武蔵川部屋にも同様の問題がでたが、これらの事件によってあまり厳しい指導をし難い状況になったら、力士の怪我が増えはしないだろうか。相撲取りの桁外れのパワーは、こういったしごきがなくても身に付くだろうが、そういったパワーを受け止める体の頑丈さはどうだろうか。立会いの瞬間に予想される衝撃にひるんで体が萎縮したり不完全な態勢をとってしまえば、正面から激突するよりはるかに大きな怪我の危険性が生じるが、そこで敢然とぶつかっていける精神的なタフさはこれからどのようにして養われていくのか。
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by tyogonou | 2007-10-08 00:56 | スポーツ | Trackback | Comments(0)