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涌井「茶髪ロン毛切る」 侍はまず身だしなみから!
涌井「茶髪ロン毛切る」 侍はまず身だしなみから!(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
私は北京オリンピックで野球の日本チームがあまりよい成績をあげられないだろうと思ったのは、ダルビシュが頭を坊主にしたというニュースを聞いたときだった。
長期間のシーズンを戦うプロ野球ではそういったプレイ以外の話題も提供してファンを楽しませることは重要なことだ。しかし、試合数も少なく高度な集中を必要とするオリンピックのような場面で、そういったプレイとは関係ないことに気をとられていては勝利などおぼつかないのではないか。現地が暑くて頭が蒸れてプレイに悪影響が出るというなら坊主にするというなら分かるが、野球は髪の毛でするものではない。
もちろんオリンピックに出た他競技の選手にも北島康介選手のようにそういったノイズと上手く距離を取れる選手もいれば、谷亮子選手のようにそれを自分の力に変えることのできる選手もいる。しかし、様々な性格の選手がいる団体競技で、しかもあまり慣れていない状況で戦わなければならない野球の日本チームにとっては害のほうが大きいのではないかと思う。
既に「侍」ジャパンなどという名前がつけられた時から悪い予感がしてならない。原監督は長嶋茂雄氏の影響からか、こういったキャッチフレーズなどを好む傾向があるが、「ミスター」は特別なのだ。それでたまたま上手くいったことがあったとしても、安易に真似をし続けると大怪我をしかねない。
盛り上がっているところに水を差すようだが、今回のWBCもひょっとしたら・・・と思わずにいられない。
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by tyogonou | 2009-02-28 23:56 | スポーツ | Trackback | Comments(0)
消費社会 その1
<不況>高まる不安、骨太の経済書が人気 「2カ月で10万部も」(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
現在の経済状況をめぐる議論を見ていると、消費の問題は収入が安定すれば自然に回復するものであるかのようで、敢えて語るにも値しないものであるかのようだ。しかし「アラフォー」の消費力などという話が出てくるのは、消費というものが社会的に訓練されて始めて獲得される特殊な能力であることを示しているようで、決して疎かには出来ない問題であるように思われる。それどころか、実はもっとも重要な問題ではないかとさえ私には思われる。

10年ほど昔、『科学の終焉(おわり)』という本が出版された。基本的には第一線で活躍する科学者達へのインタビュー集であるが、重要なのは、科学は限界のある営みであり、その限界に人類はすでに近づいてしまったのではないか、という著者の問題意識である。
科学がすでにどれだけ遠くへ達したかを考慮し、さらなる探求を抑制している物質的、社会的、認識的な限界を考える時、科学は、すでに生み出した知識に何も重要な追加ができそうもない。将来にわたって、ダーウィン、アインシュタイン、ワトソンとクリックらによって授けられたものに匹敵する大革命はおきないだろう。
麻生首相は好んで百年に一度というが、あるいはもっとスケールを大きくとるべきで、250年にかかって成長してきた消費社会がそれ自身の成功を理由として終焉を迎えようとしているのが今の状況であるのではないだろうか。
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by tyogonou | 2009-02-26 23:56 | 消費社会 | Trackback | Comments(4)
渡辺喜美氏 「国民運動体」新党結成につなげる
渡辺喜美氏 「国民運動体」新党結成につなげる(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
民主党の衆議院解散要求決議案に賛成したり、党を飛び出したりしたことは殊勝なことだとは思うが、私はこの人をあまり高く評価する気になれない。
国会の内であれ外であれ、政治家にとって数は力であるから、普段から「盟友」を作っておくことは、重要なことだ。しかし、自民党時代の渡辺氏はTVにも良く出演していたし、ギョロ目でキャラが立ち、父親に良く似た風貌で一般への認知度は高かったものの、党内では浮いた存在だったのではないか。離党に至るまでの間に同僚議員たちに呼びかけ1つの勢力としてまとめようとした形跡がまったく見受けられないというのは政治家としていかがなものか思う。
政治家としてもうひとつの生き方として、理論家として生きる道もある。しかし、渡辺氏の過去の発言を聞いていても、政治家らしい大風呂敷を越える鋭い洞察というようなものを感じたことはない。「脱官僚」にしても、行政改革相としてその弊害を知る渡辺氏がそれを問題視するのは当然としても、現在の状況でなぜそれを最大の争点とした国民運動を巻き起こさなければならないのか説得力のある説明をしているとも思えない。
このままでは盛り上がりに欠けたまま消えてしまうのであろうか。
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by tyogonou | 2009-02-25 22:40 | 国内政治 | Trackback | Comments(0)
「中川大臣酩酊してませんか」 会見出席記者なぜ質問しない
J-CASTニュース : 「中川大臣酩酊してませんか」 会見出席記者なぜ質問しない
<中川財務相>何度も酒に飲まれ失態
では、なぜ会見で記者たちは、中川財務相の体調について質問しなかったのか。財務相の名誉毀損になりかねないためか、プライベートなことを聞くのを遠慮したためなのか。
記者たちを擁護するわけではないが、あの状況でそんな質問をするのはなかなか難しかったろう。迂闊なことを聞いて、酩酊していることをはっきりさせてしまったらそれこそ国益を損なうことになるわけで、遠慮などではなく敢えてそこに触れる勇気が出なかったということではないかと思う。大臣が「もう一回言って」とでしゃばった日銀総裁への質問、大臣だけでなく日銀総裁自身も一瞬自分への質問だと分からなかったようだが、あれなども大臣に話をさせるとまずいので総裁に振ったということなのかという印象を持った。
厳しいことをいえば、新聞記者たるもの、たとえ一時国益を損なうことになってもきちんと真実を追究するべきだったといえるかもしれない。しかし、あの場にいた記者だけの責任とするのは少々単純に過ぎる見方だと思う。
帰国後の国会で、渦中をうずちゅうと呼んだ財政演説についても、中川氏を知る同僚議員達はあれを漢字の読みの問題ではなく、酒の問題だと疑っていたと追及されていたが、それならそのときに徹底的に追求していればこんな事態は避けられたのではないか。小泉元首相にも叱責されたこともあったそうだし、周囲から注意されることは他にもあったようだが、今日の状況を防ぐことができなかったのは、麻生首相をはじめとした自民党議員だけでなく、中川氏の大臣としての適格性をチェックすべき野党や新聞記者らマスコミにも非があると思う。
大臣と同席した「読売美人記者」 プロフィール削除などで波紋広がるこの点については・・・「そんなものだろう」というしかない。もうずいぶん前から若い(できるなら美人の)女性記者であることは、政治記者にとって有利な資質のひとつであったようだし、新聞記者に限らず、結果を出しさえすればそのために女の武器を使おうがなにしようが手段は問わないというのはある種のプロフェッショナリズムという見方もできる。だが、今回の騒動に関してその真っ只中にいながら、それを特ダネとして出せないのではそういったプロフェッショナリズムの観点からも疑問を持たずにはいられない。
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by tyogonou | 2009-02-21 23:08 | 国内政治 | Trackback | Comments(0)
給付金の話は脈絡通じない 首相、小泉氏を痛烈批判
給付金の話は脈絡通じない 首相、小泉氏を痛烈批判 | エキサイトニュース
小泉発言に閣僚から批判続々「残念」「筋が通らない」「ツーレイト」(産経新聞) - Yahoo!ニュース
別に首相の肩をもつわけではないが、この話に関するかぎり小泉発言に対する批判の方が筋が通っている。
そもそも、小泉氏の批判は定額給付金の何を問題としているのかが不明だし、引退を撤回してこの件に関わっていこうというわけでもなく、いったい彼が何をしたいのか、意図や目的が全く不明瞭で、無責任な放言にしか聞こえない。
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by tyogonou | 2009-02-20 23:26 | 国内政治 | Trackback | Comments(0)
中川財務相の記者会見は「サケ・プロブレム」
中川財務相の記者会見は「サケ・プロブレム」(産経新聞) - Yahoo!ニュース
個人的にはちょっと、ほんのちょっとだけ同情している。
花粉症でもあるのかなと思ったくらい鼻も辛そうだったし、映像を見ると確かに典型的な酔っ払いに見えるが、あのレベルまで酔ったというにしては目の据わりや体の揺れが無く、薬の影響「も」あったという説明は、私には理解できないでもない。
また、日本以外の代表者が素晴らしい仕事をしてG7が素晴らしい成果を挙げたなら、各国のメディアもこんなニュースを大きく扱いはしなかっただろう。「イタリア伝統のエスプレッソ」がなくても、状況を大きく進展させる素晴らしい話が聞ければ中川氏の眠気も風邪も吹っ飛んだかもしれない。日本人としてはちょっとだけ抗議したい気持ちもある。
もちろん、風邪で薬を飲んでいる時にアルコールを控えるのは当たり前だし、たとえ他の要素もあったとしても、飲酒という避けられたはずの要素が理由の一部になった時点で辞任が当然であるのは言うまでも無い。

以前、麻生首相は「日本が一番先に不況から脱する」というようなことを言った。私はそれを聞いて首相の現状認識に疑問を持った。今私たちが直面しているのは各国それぞれの不況ではなく、ひとつの大きな不況であって、その中でどこか一国だけが目覚しい回復を見せるということはありそうにない、私にはそう思える。しかし、逆にどこか一国が世界の回復の足を引っ張るということはありえるのであって、日本がそんな国にならないようにという意識を持っておくべきだと思った。今回の失態の底にも、妙手を探すより悪手を指さない、減点をもらわないという緊張感を持っていなかったのがこんな問題を引き起こしたのではないかと思う。
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by tyogonou | 2009-02-18 00:44 | 社会 | Trackback(1) | Comments(0)
小泉「笑っちゃう」発言の破壊力 ブログで続々議員が「反旗」
小泉「笑っちゃう」発言の破壊力 ブログで続々議員が「反旗」 | エキサイトニュース
麻生首相はありがた迷惑? 「失言」森元首相が「擁護」
安倍福田と二代続いた突然の辞任、二人の個人的な無責任さだけに原因を求めるのは充分ではなかったと私は思う。
安倍内閣の時に首相が閣議室に入ってきても閣僚らが起立せずおしゃべりを続けて「学級崩壊」と皮肉られたことがあったが、あれは自民党の状況をまさに象徴する光景だったのではないか。
小泉元首相は自民党のいろいろなものを「ぶっ壊」した人だったが、壊されたものの一つが派閥政治だった。首相自身以外誰にも予想がつかない「小泉流」人事もさることながら、小泉改革対抵抗勢力という図式の中で、改革推進派であるという宣言と首相との2ショット写真の絶大な効果が派閥の影響力を霞ませてしまった。小泉氏自身は奔放な変人で、公約を守らないことがたいしたことではないと国会答弁で強弁できるくらいの神経をしていたから問題にはならなかったが、凡人である安倍福田両氏の代になって、派閥という箍が外れた自民党が首相、内閣を支える、言い換えるなら政権を担当する能力を欠いた烏合の衆であることが露呈してしまった、私にはそう思われる。(もちろん、だから派閥政治を復活させるべきだというのではない。首相が各派閥の意向を尊重して組閣するかぎりにおいて内閣に協力する、そんな取引関係のみが唯一の動機であったのなら情けないことだといいたいのだ。)
私は森元首相を多くの点で評価しないが、党内に首相を支えるよう呼びかけてきたことは正しい見識だと思う。もっとも、党内の対立によって内閣が機能不全に陥ることが国民の不利益になるというより、政党人としての忠誠心という視点で考えているところが森氏の限界だと思うし、党内部での風通しを良くして不満の声が首相に届きやすくなるようにしているわけでもないところは森氏の限界かもしれないが。
小泉氏の場合、ことが自分が進めた政策に関わることだから不快感を示すのはしかたがないかもしれない。しかし、首相の顔を立てることもなければこれからの行動に期待をかけるわけでもない、全面的な批判はどうなのか。小泉氏がこれから党内をまとめ事態を収拾していく意志と方策をもっているならそれもいいかもしれない。
だが、ねじれ国会で自民党の基盤が脆弱な中、ここでまた自民党内の勝手な事情で政権をどうこうするわけにもいかないだろう。また首相の不規則発言でクローズアップされたとは言え、現在の状況では郵政はあまり優先度の高くない問題で、それよりはるかに重要で困難な問題を何とかしなければならないが、そこに積極的に関わっていこうという姿勢を見せているわけでもない。
単に「選挙を戦えない」という悲鳴を影響力の大きい自分が代表して伝えるべきだという程度の意図と、麻生氏同様言われたら言い返さずにはいられない性格ゆえの反発からでた発言ではなかったかと思う。コリン・パウエルがブッシュ前大統領にイラクとの戦争の意向を伝えられた時、"you break it, you own it." ということを理解しているかと念を押したという話だが、小泉氏もそこを理解したうえでの発言なのか、疑問だ。
一番悪いのは麻生首相であるし、麻生氏がこれほどひどいとは思わなかったというのも個人的には理解できる。しかし、自分達が選んだ首相をそういって非難するのは、自分は民営化に反対だったと言うのと同じ無責任さではないのか。また、政権という枠組みはそう簡単に取り替えるわけにもいかないのだから、たとえ問題があったとしてもその枠組みの中でベターを目指すのが与党議員の責任ある振る舞いではないのだろうか。まして絶大な影響力を持つ大物の尻馬に乗ってはしゃぐような真似は見苦しいことこの上ない。
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by tyogonou | 2009-02-14 23:01 | 国内政治 | Trackback | Comments(0)
相撲協会が文科省に謝罪へ 再発防止案の報告も
相撲協会が文科省に謝罪へ 再発防止案の報告も | エキサイトニュース
私は、一連の騒動が「大相撲の大麻汚染」といったくくりで語られることに違和感を覚える。どこかの大学の運動部のように、力士が大麻を吸い、あるいは栽培するグループを作っていたというわけでもない。他のスポーツ界にしろ芸能界にしろ、大麻事件がここのところ頻発していることを考えれば、単に日本の若い人たちに広がる大麻汚染の一例に過ぎないと見るべきだと思う。
相撲という競技自体にも麻薬と結びつきやすい要素があるわけでもない。むしろ、激しいスポーツであるから、薬の影響が抜けないまま土俵に上がれば大怪我をする可能性もあるし、たとえ帽子をかぶっても、大きな体と鬢付け油の匂いなど目立つ要素が多く、麻薬を買いにいくというような人目をはばかる行為は(すくなくとも他のスポーツ選手や有名人たちよりは)しづらいのではないか。特に今までの事件に力士以外の相撲関係者が絡んでいたというわけでもないのに行司にまで抜き打ち検査をするというのは羹に懲りて膾を吹く類の話だ。

私は、相撲協会がするべきことは3つあると思う。
一つ目は、角界を禁煙化することだ。若ノ鵬の事件の時に、彼が大麻を煙草に混ぜて所持していたという話があったが、プロのスポーツ選手が煙草を吸うことになんの疑問ももたれないというのは少しおかしなことだと思う。一説によると大麻は煙草より害が少ないらしい、ということは逆に言えば煙草は大麻より害が大きいかもしれないということになるわけで、国技館も禁煙化されたことでもあり、成人の喫煙が個人の嗜好としてずっと認められてきたことを考えれば罰則などはなくてもいいから、煙草を吸わないよう指導すべきだ。大麻は市販の煙草に偽装しなくても吸引できるわけで、麻薬の抑止力としては大きな効果はないかもしれないが、きちんとそういった方針を掲げて新弟子時代から指導すればごく容易に実現できることだ。
二つ目は、麻薬に限らず、ドーピングに関する規則を整備することだ。きちんとルールが決まっていれば、問題が起こるたびに大騒ぎせずともそのルールに則って処理すればよい。特にドーピングに関してはWADAの基準というスポーツの世界ではかなり普遍的な権威を持つルールがあるわけで、露鵬らの検査の時と同様、その専門知識と権威を借りれば、素人である相撲協会があれこれ考えずともすむ。もっとも、WADAでは大麻に関しては競技期間外の検査での違反はお構いなしであるようだし、日本の法律でも使用だけでは罪に問えないとなれば、露鵬兄弟を処分する根拠は完全になくなってしまうのではないかとも思われるが、たとえそういった事態になっても協会はきちんとしたルールに従って行動しているということで非難には応えられるのだ。
最後に、もっとも重要なことは、角界の人間が行動のよりどころとすべき principle を確立することだ。
朝青龍の言動が巻き起こす騒動などをみていると特に強く感じられるのは、力士同士、親方や協会関係者、一般のファン、タニマチ、マスコミの位置づけや優先順位が混沌としていることだ。一般論としてファンが大事だということは分かっていても、一方で相撲取りは日本の伝統の担い手として、あるいは横綱というある種普通の人間を超えた存在として、一般人のファンを見下すようなところが朝青龍には見受けられる。本人の性格や未熟さもあるかもしれないが、そもそも相撲界に力士とファンとの関係を明確にする枠組みがないために、力士達に行動の指針を示せないのが根本的な原因だと思われる。
大麻騒動にしても同じことで、きちんとルールを作ることなくいきなり検査をして、陽性という結果がでてしまったら、大麻の使用は「悪いこと」だから処分するというような粗雑な論理で対応する。Jリーグは相撲協会よりはそのあたりちゃんとしていそうだが、それでも我那覇問題では同様のお粗末な対応をして醜態を晒したばかりだ。
とにかく、行動のよりどころとなる一般的な原理原則がないために力士の行動も、それにたいするメディアからの批判も、協会の対応も全てがその時々の雰囲気で変わってしまっている。それが根本的な問題だと思う。
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by tyogonou | 2009-02-06 23:43 | スポーツ | Trackback | Comments(0)
飯島愛さんのこと
飯島愛さんの死因は肺炎(産経新聞) - Yahoo!ニュース
昔、ある情報バラエティー番組で、筆跡によって人の性格を判断するグラフォロジーを紹介したことがあった。梨花らが「素直」大竹まことらが「だまされやすい」などと評される中、ただひとり「天性の嘘つき」と言える才能の持ち主がいる、ということで紹介されたのが飯島愛さんだった。大竹が「そういえば、お前と飯食いに行くといっつも『お財布忘れちゃったぁ』っていうよな!」などと攻撃、スタジオは大いに盛り上がったものだった。
私がこれを覚えているのは他でもない。飯島愛さんの書いた字が私の字とよく似ていたからだ。
字の特徴として指摘されたのは、思考に柔軟性と相手の心を読む鋭さを備えていて、嘘をつくのも見破るのも上手いということだった。
私が嘘つきかどうかは読者の判断にお任せするが、飯島愛さんに関してはなるほどと思えなくもない。鋭いといっても快刀乱麻を断つのではなく、何気ないやり取りを続けながらも相手の急所を正確に見抜くような鋭さで、実際にそこをついてくることは必ずしも多くなかったが、そこまでしなくても、相手が勝ち目のなさを悟ってあきらめてしまうような、鞘の内に勝負を決してしまうようなところがあった。
だが、一方でそういった鋭さは彼女の人生のどこか不幸な影の原因でもあったように思う。嘘を見抜くからこそ真実(のように見えるもの)を信用できない逆説。『プラトニック・セックス』について本当のことを隠さず書いたと言ったときの暗い表情は、意図せずして嘘をついてしまっているのではないかという不安、真実というものとそれを本当のことと思う自分自身を信頼できない苦しみを現していたのではないかと思う。
また、頑丈そうな石橋を叩けば叩くほど不安が募り、むしろ脆いと分かっているボロ橋を渡ることに安心感を覚える、そんなところもあったのではないか。
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by tyogonou | 2009-02-06 01:05 | Trackback | Comments(0)