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北野誠 謝罪会見で号泣…問題内容明かさず
北野誠 謝罪会見で号泣…問題内容明かさず
記者会見なんて必要あったのだろうか?
一部で報じられた宗教団体や芸能プロダクション社長への誹謗(ひぼう)中傷については否定した。
これは正しくない。少なくとも後者については音源がyoutubeなどに出ている。(もっとも、その情報を「〇〇から聞いた」といって出しているのは、北野氏というよりパートナーの方だし、それが誹謗中傷にあたるかどうかという問題もあるが。)北野氏が言いたかったのは、芸能プロ社長についての問題発言はあったが、そのことで圧力をかけられたということは「ありませんでした」ということなのだろう。訊く方もそれほど細かいことを注意して訊いた訳でもなかったようだが、そんなやり取りの中にも、具体的なことは一切話さず、外部からの圧力についてはとにかく否定し、あとは「すみませんでした」でやり過ごせというような方針が伺えるようで、誠意のない会見だと思った。それなら最初から問題発言が理由だということすら明らかにせず「一身上の都合」で押し通せばよかっただろうにと思う。あるいは、こういった記者会見をすることで、圧力をかけたのではないかと言われている人たちに対する疑惑を煽るのが目的だったのだろうか? 「先月末に謹慎の処分が決まり、嫁にも、息子にも、娘にも、そして高齢の母にも“しばらく収入が途絶えることになった。」わざわざ「高齢の」母とつけるあたり、視聴者の同情を買おうという下心が丸見えだ。
 「言わなくてもいいことを言ってしまった」言わなくてもいいことではなく、言ってはならないことを言ったということではないのか。
私はこの問題に関しては全くの門外漢だから、情報が全くでてこない現状でははっきりとした意見を持ちようもないが、北野氏に対する印象だけは悪くなった。
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by tyogonou | 2009-04-29 22:40 | 社会 | Trackback | Comments(0)
【舞鶴・少女殺害事件】立証可能性、専門家間で意見分かれる
【舞鶴・少女殺害事件】立証可能性、専門家間で意見分かれる
【舞鶴・少女殺害事件】中容疑者、事件後は府道通らず
実際にどのような証拠が出されることになるのかは分からないが、万が一二つ目の記事にあるような容疑者の行動までも証拠に加えられるならとんでもないことだ。
安倍公房の『無関係な死』は主人公が帰宅し玄関先に全く見覚えのない男の死体を発見するところから始まる。常識で考えればすぐ110番すればいいのだが、主人公は自分の平穏な日常に飛び込んできたこの死体を消そうとしてあれこれと姑息な真似をし、結局どう見ても自分が犯人であるかのような状況へと自分を追い込んでしまう。
この容疑者の行動は、後ろめたい犯人の行動ともとれるが、自分が疑われるかもしれないという不安にかられた無関係の人間のそれともとれないことはない。彼が犯人だとしたらこういった目立つ行動は自分への注目を集めるという意味でむしろ逆効果でさえある。
犯行時に着ていた服などを証拠が残っていたら困るので処分するというのは合理的だが、服装の趣味を変えるというのは証拠の隠滅という意味ではなんの役にも立たないわけで、それをもって有罪の証拠とするのは無理がある。(ただし、こういった行動の中に、犯人のみが知りうる事実をうかがわせるものがあれば、それは証拠として意味を持つ。)もちろん、実際に犯罪を犯した人間もまた不合理な行動をとる可能性はあるわけで、それをもって無罪を推定するのも無理はある。そういった不合理な行動をとる気の弱い犯人が、自白もせず他になんの証拠も残さずにいられるのかという疑問もあるが。
結局、この行動が意味するところは、容疑者が自分が疑われているのではないかと考えていたということだけで、彼が犯人であるか否かという点に関しては何も意味しない。検察もさすがに分かっているとは思うが・・・。
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by tyogonou | 2009-04-28 23:53 | 社会 | Trackback | Comments(0)
タスポが“失敗”した理由 普及進まず
タスポが“失敗”した理由 普及進まず
私は煙草を吸わないが、一部の煙草飲みが禁煙運動に抱く苛立ちや憎悪にちょっとだけ同情できる。
それは自分の好きなものを否定される感情についてのみであって、彼らの禁煙運動に対する反撃が理屈にかなっていると思うからではない。
喫煙者が振り回す理屈の多くは私には身勝手に思われる。例えば、物議をかもした某サイトのコラムで「煙草の『煙』は嫌がられるが『香り』の良さは吸わない人にも分かるはず」といったようなことを書いている人がいたが、認識が甘いと思う。

タスポをめぐる状況を見ていても、喫煙者は身勝手だなと思う。タスポが失敗した理由は、喫煙者の協力が得られなかったからということ以外にあるまい。
それほど煙草を愛しているなら、禁煙運動を攻撃するより、タスポの普及とそれによって「街のたばこ屋さん」の経営を守ることを喫煙者に対して呼びかけるのが先ではないのか。今まで世話になった恩義などどうでもいい、コンビニで買うほうがコストがかからない合理的な行動だとしても、そうして「町のたばこ屋さん」が消えてしまえば、長期的には喫煙者の不利益になる可能性はあるだろう。そうして自分自身の首をしめることになるのが平気でいるなら、禁煙運動をどうこう言う資格などないのではないか。
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by tyogonou | 2009-04-27 22:54 | 社会 | Trackback | Comments(0)
眞鍋かをり 「カラオケでカーペンターズ、ちょっと」
眞鍋かをり 「カラオケでカーペンターズ、ちょっと」

カラオケなんてもうずいぶん長い間歌ってないが、洋楽を歌いたい人間としては世間様のハードルはまだまだこんなに高いのかとちょっと残念だ。

私の個人的な事情かもしれないが、洋楽に親しんだ時期があったというだけでなく、息を抜く日本語より響かせる英語のほうが歌いやすいとか、酔っているときには日本語にない音列に舌がもつれるのがなんか楽しくなるとか、日本語で「愛してる」などと歌うのはこっぱずかしくってケツのアナがむずむずするけど、英語で「あいら~びゅ~べいび~」と歌うのはそれほどでもないとか、CMで流れていたとか、洋楽なら他の人と上手い下手を比較されにくいとか、洋楽のいいところはいくらでもある。どうか白い目で見ないで欲しい・・といいたいところだが、特にお近づきになりたくない人から距離を置けるのもいいところ、というのはやはり私だけか。

そんなわけで、もし万が一にも眞鍋かをりさんとカラオケに行くようなことがあったら、"I dreamed a dream"を涙と鼻水垂れ流しで歌い上げることにします。
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by tyogonou | 2009-04-26 00:32 | 社会 | Trackback | Comments(0)
本音話せたのか…草なぎ謝罪会見、沈黙20秒の真相
本音話せたのか…草なぎ謝罪会見、沈黙20秒の真相
この日の夜、都内で行われた謝罪会見で「大人として恥ずかしいことをした」と何度も頭を下げ、反省の言葉を繰り返した草なぎが会見中、質問に20秒間何も答えられない場面があった。沈黙が意味するものは、いったい何だったのか。
草なぎが語気を強めたのは「ストレスのせいか」「プレッシャーか」と聞かれたとき。間髪入れず「ありません!」と即答したが、続いて「どんなとき酒を飲みたくなるのか」と問われると絶句。約20秒間、何も話せなくなった。
実際の映像はこれから先も見る機会はありそうだからそれぞれ判断すればいいことだが、これは深読みのしすぎだ。正月だろうが節分だろうが、理由がつけば飲みたがるのが酒飲みというもので、どんなときに飲みたくなるのかという質問がそもそも愚問だろう。
 「酔って記憶を無くしたことはあるか」と問われ「外で裸になったことは今までなかった。けれど、(香取)慎吾と(自分の家で)飲んだときにパンツ1枚になったことはあった」と脱ぎグセがあったことを認めた。
脱いだことがあった=脱ぎグセがあったということでもない。(「脱ぐことも滅多になくて、はじめてだったので」とも言っている)実際はどうだったのかは分からないが、記者達があちこち取材して、彼が酔っていたときの話などを集めてきても、脱いだという話はないようだから、脱ぎグセがあったというわけでもないのではないか。

総じて好意的に評価できる記者会見だったと思う。少なくとも千葉県知事よりはずっといい。
今後の飲酒についての応答なども、「もう二度と飲まない」というような極端な模範解答をするでもなく、言い訳しすぎるわけでもなく、気を遣いながらも素直に話しているという印象を受けた。
一般の人たちにどう受け止められるかは分からないが、すくなくともファンの好感度は意外に落ちなかったのではないかと思う。
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by tyogonou | 2009-04-25 23:29 | 社会 | Trackback | Comments(0)
草なぎ剛逮捕
「ワンクールのレギュラーより一回の伝説」常々そういっていた江頭2:50を飛び越えてしまったか。

Excite エキサイト : 社会ニュース
最初公然わいせつで逮捕と聞いたときには、てっきり裸にコートだけ着て女性の前で開いて見せるようなやつか、あるいはどこか屋外で女性とコトにおよんでいたのかと思ったのだが、深夜の公園で酔っ払って脱いでいたのが理由だと知って驚いた。それで逮捕までされるのものなのか。
もちろんちゃんとした法律があってそれに則っているのだから文句は言えないが、酔うと脱ぐ脱ぎ上戸なんて良く聞く話だから、ここまでの「事件」となるのは驚きだ。警官に対して余程ひどく抵抗して暴れたとかいうことかと思ったが、出てくる情報では絵に描いたような酔っ払いの言動で、頭が冷えるまでトラ箱に入っていてもらって、素面に戻ったらこってりお説教で終わってもおかしくはない話ではないのかと思った。公園も自宅のそばということだし、脱いだ服などはまとめておいてあったというから、下手をすると本人は自宅で風呂にでも入っているつもりであったのかもしれない。
ところが、家宅捜索ということになって、なるほど警察の目当てはそこにあったのかと納得した。警察は目的を「背景を探るため」と説明しているが、酒を飲んで脱ぐことを奨励するカルト教団の刊行物でも探していたわけではあるまい。探していたのは薬物で、最初からそれを見込んで逮捕したのではないか、というのは下衆の勘ぐりだろうか。
酔っていたとはいえ意味不明の言動をしていたのだから、尿検査をするのは妥当といえるかもしれない。だが、それでシロという結果がでて、それでもなお家宅捜査までするとなると、酔って人気のない深夜の公園で服を脱いでいたという事件の捜査としては、行き過ぎではないのか。
今話題のくわばたりえはかつて準レギュラーだったラジオ番組の打ち上げで、男性芸人たちが次々と下半身を露出して馬鹿な芸を披露するなか、女性芸人の側も誰か脱がなきゃならないと考えたのか上半身を脱いだはいいものの、どうもそれは笑いに結びつかなくて場をしらけさせてしまったという。後にジャネット・ジャクソンの事件があって、おっぱい出して怒られたのはジャネットとくわばたくらいなものだとネタにされていた。
草なぎ容疑者のしたことは確かに公然わいせつ罪にあたるのかもしれないが、それならこういった輩にも同様の姿勢で臨むべきだ。すくなくとも彼には人に「見せよう」という強い意図があったとは推定し難く、悪質性は盛り上がって脱ぐ愚かな連中よりは低いはずだ。
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by tyogonou | 2009-04-23 23:13 | 社会 | Trackback | Comments(0)
安楽公

意外に思われるかもしれないが、これは三国志のなかで私が最も好きな場面のひとつだ。
字幕もないので知らない人のために大雑把に説明すると、
これは蜀の滅亡後、司馬昭が安楽公劉禅(劉備の息子)を招いて開いた宴会の場面。
ピンクの衣装を着た女性たちが蜀の舞いを踊り始めると、左側に座る蜀の旧臣たちは哀しみに沈む。ただひとりへらへら笑っているのが劉禅で、司馬昭が「安楽公、蜀が懐かしくはありませんか?」と聞くと、「楽しいのでそんなことはありません」と答える。司馬昭は、「なんと人情の薄いことだ。主君がこんなでは孔明が生きていたとしても蜀は長くは持たなかっただろう。まして姜維ごときではどうにもならなかったわけだ。」と思う。劉禅の隣にいた家臣は、「陛下、また聞かれたら、泣きながら、蜀には父の墓がありますので懐かしく思わない日はありません、と答えれば蜀に帰してくれるかもしれません」と入れ知恵する。司馬昭が、再び同じ質問をすると劉禅はその通りに答えるが、司馬昭「郤正どのがそう言えと教えてくださったのかな?」「そうそうそう、その通りでございます」魏の一同は爆笑し、司馬昭は安心して気が緩んだのか口がきけなくなり、司馬炎を(後継者として)指差し、死んでしまう。

どうみてもさえないこんな場面の何がいいのか。
後漢の末、圧制に苦しむ民の怨嗟の声が大地に満ちて以来、兵馬のあげる土煙、焼かれる兵器や建物を包む炎、殺される兵や民衆の上げる血飛沫、ことならずに散っていった英雄達の涙、そういったものが劉禅を通じて今は昔の夢物語へと昇華して行くのがこの場面なのだ。
司馬昭から司馬炎へのバトンタッチも象徴的で、この時点で既に天下は事実上司馬氏のものであるが、魏の皇帝を退位させ、呉を併合して名実ともに天下を統一するのは司馬炎である。つまり、魏朝から晋朝への転換がここで行われているのだといえる。
三国時代に別れを告げ、英雄達を現世から神話の世界へと送りだす、三国演義の実質的な終点はまさにここだ。

ワーグナーの「ニーベルングの指輪」もそうだが、大作の結末は難しい。単純な善悪の物語であれば、最後に強大な悪を倒すことで大団円にできるが、複雑な人間関係が織り成す物語をまとめるのはなかなか難しい。卑近なところでは『二十世紀少年』しかり、『北斗の拳』しかり。その点、荒々しい戦乱の物語をペーソスで包みこんで高い芸術性を与える三国演義のこの一話は他のそのエピソードにも負けない価値を持っていると思う。
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by tyogonou | 2009-04-20 23:34 | Trackback | Comments(0)
英国発“美声のおばさん”にYouTube熱狂、3000万再生 日本語字幕版も
英国発“美声のおばさん”にYouTube熱狂、3000万再生 日本語字幕版も
you tubeのトップページの「ただいま再生中・・・」のリストにいくつもこの動画が出ているので驚いた。
ただ、病み上がりの高見盛のような外見と声のギャップの大きさには驚くものの(上唇を上げたあの口の形であの音が出せるというのにも驚く)、私はあまり感動を受けなかった、むしろ不満だった。
響きはするもののやはりちょっとアマチュアっぽい発声とか、低音("but the tigers come at night"の"night"のところ)が出ていないとかいったこともあるが、いちばん不満に思うのは、嫌な言い方をすれば歌に知性がないところだ。歌詞を全く考えていない一本調子な歌いかたで、それぞれのフレーズの最後の伸ばすところが気持ちいいというだけしか考えていないようにしか聞こえず、この曲に対する思いというものが感じられない。それは、商売として歌うプロの歌手にアマチュアが勝りうるものであるだけに、余計に残念である。
とはいえ、「年は?」「47よ」「・・・」「でもそれは私の一面にすぎないわ」といったやり取り、仕草は田舎臭いが間奏の時ににこっと微笑んでみせる余裕などチャーミングところはいい。

この番組から出たPaul Pottsにはそういった長所があって、予選での「誰も寝てはならぬ」には特に、諦観によって雑念が消された静寂の中から曲に対する愛情だけが伝わってくる感動があった。だから、最後の「私は勝った」のところで声が割れていてもそれほど気にはならない。下の動画の一曲目(2分頃から)のネラ・ファンタジアも、感情に乏しい(上手く表出できていない)嫌いはあるが、きちんと構成を考えた歌になっている。


Paul Pottsの時にも、オペラが分かっていないとか、パバロッティとは比べ物にならないとかいった否定的な反応があって、私はイギリス人とイタリア人の好みの違いを知っていたし、またパバロッティがあまり好きでないとかいう理由もあって、それにはあまり賛成できなかったけれども、Susanの場合、下の人と比べるとどうしても見劣りしてしまう。"but he was gone when automn came"のところなどは少しだけ行き過ぎてあざとくなった印象も受けるが、その後の堂々とした力強い歌唱によって下品なものにはしていない。字幕も出ているが、歌詞を理解したうえで聴くと本当に感動的だ。

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by tyogonou | 2009-04-20 23:26 | 国際 | Trackback | Comments(0)
レッドクリフ
今更だがTVで『レッドクリフ』パート1を見た。
感想は・・・今ひとつぱっとしない。個人的には中国中央電視台制作のドラマの印象が強すぎるということも影響しているのだろうと思うが。

キャストはやはりドラマ版に適わない。関羽はおっさんだし、張飛は小悪党顔だし、後の孫夫人に馬をひっくり返されたのはあれ劉備?というくらい劉備に存在感ないし、曹操はなかなかの俳優と見たが曹操にしてはいい人そうだし、周瑜はときどきガレッジセールのゴリに見えるし、孔明はまぁまぁだけどちょっとお人よしそうだし、孫権はむしろ秦の始皇帝の方があってそう・・・。もっともドラマ版の方は、同じ俳優が複数の役をやってたり、ひとりの人物を複数の俳優が演じてたりとかなりのカオスだったのだが。

作品としては、戦闘シーンの美しさは見ごたえがあったし、陣形についての斬新な解釈も素晴らしいし、関羽もおっさんらしからぬキレのよい動きをしていたが、全体に「赤壁の戦い」と関係ない冗長なシーンばかりという印象を受けた。人気の高い関羽、張飛の見せ場を作ったり、むさ苦しくならないように女性を活躍させたりといった意図もあったのだろうが、やはり三国志のファンにとっては「違う」という感じがしてならない。

赤壁の戦いの戦闘といっても、もともと何かのCM風にまとめれば「船がボーボー燃えました」で終わってしまう話で、武将が獅子奮迅の活躍をするというようなものでもない。赤壁の戦いの面白さはむしろ、孔明と周瑜、呉軍と曹操の間の心理戦にあるのだが、そういった要素が全くないのは残念だ。



ここで孔明を演じているのは、中国では名優というより「スター」だという人で、日本で言えば田村正和あたりのような感じなのだろうか。笑顔の裏に刀を隠し、呉の高官たちを舌先三寸で手玉に取る孔明の凄さを見事に演じている。
この動画で最初に孔明に論難を吹っかける細面の人物は陸績。孔明はすぐに答えず、なんだか意味ありげに彼を見回し、次の台詞で陸績をちょっと困らせる。陸績は幼いとき袁術のもとにいて、食事のとき蜜柑を懐に入れたのを袁術に見咎められ、そこにいない母親のために持ってかえろうと思ったと答えて親孝行を誉められたということがあり、孔明は「袁術のところで蜜柑を懐にしまった陸ぼっちゃんとは貴方でしたか」と笑い、心理的に優位に立ってしまうのだ。
そういう「戦い」こそが魅力なのだが、『レッドクリフ』の孔明は周瑜ともいとも簡単に仲良しになってしまうし、金城武も線が細く見える。
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by tyogonou | 2009-04-17 00:15 | Trackback | Comments(2)
「無所属」法律上問題ないと反論 森田千葉県知事
「無所属」法律上問題ないと反論 森田千葉県知事
知事の説明は、無所属の説明にはなっても「完全」無所属の説明にはなってない。知事が「完全無所属」とうたったのは、それが「単なる無所属」と異なるものだと主張したのだと考えるのが当然で、自分は「単なる無所属」の条件に当てはまっているから問題ないというのでは説明として不十分だ。
これが法律上問題となるかどうかはこの二つの概念を法律が区別しているわけではないから、微妙なところかもしれないが、知事の誠実さを疑わざるをえない言動であることは間違いない。
もうひとつのドンキホーテの献金問題は、もともと適法の範囲内だったのが越えてしまったという事情を考えれば即アウトというのは酷ではあるが、「返した」という程度のことしか言えないなら、小沢民主党代表同様、人びとの理解は得られないだろう。
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by tyogonou | 2009-04-16 23:30 | 国内政治 | Trackback | Comments(0)