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民主政権は「頭脳なき航海」 日経が異例のモーレツ批判
民主政権は「頭脳なき航海」 日経が異例のモーレツ批判「前原国交相が直面しているような『自民党政権が食い散らかしたものを何とかしないといけない』という段階なので、今の民主党にそこまで(経済対策を)求めるのは『無いものねだり』。」という意見は基本的には正しいと思う。
ただし、日経が批判しているような状況「『脱官僚依存』の自縄自縛で官僚機構をシンクタンクとして使えず、政府の外にいる『知』を生かした形跡も表には見えない」ことについて、民主党内に問題意識がないように見受けられるのが気がかりだ。頭脳なき航海というより、それぞれプライドの高い船長が数人と、船長といえども船員の采配には口出しを許さない船員頭がひとり、それなのに航海士も海図もなしで航海に出ているような状況といえる。今航海しているのは未知の海域だから今までの海図(知識)が役に立たないともいえるのだが、だからこそ余計に状況の把握が重要であると考えるべきだ。
民主党には『脱官僚依存』だけでなく、自民党政権からの「チェンジ」という自縄自縛もあって、行動の方向性をまず自民党政権とは逆にとらなければというようなプレッシャーゆえに、方向を決める際に重要となる情報を見逃してしまうのではないかという不安もある。今すぐではなくても、「政府の外にいる『知』」を活かすことを検討すべきだと思う。
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by tyogonou | 2009-10-30 23:47 | 国内政治 | Trackback | Comments(0)
「原理主義者」岡田外相 「週刊新潮」にも2ちゃんにも「反撃」
「原理主義者」岡田外相 「週刊新潮」にも2ちゃんにも「反撃」
書き込み内容は玉石混淆だと言われる掲示板なだけに、一国の大臣が、その内容を真面目に問題視して削除要求までするのは異例だ。
2ちゃんねるごときに大人気ないというような意見もあるようだが、賛成できない。
記者会見が記者クラブ加盟社以外のメディアにも開放され、情報公開が進みつつある今、その流れを守るためにもこういった愚かな行動にはきちんと対応したほうがいい。今回のケースではたいした騒ぎにはならなかったが、こういったことを放置しておいて、なにか大きな問題が起きてしまったら、国民に正しい情報を伝えるためにも制限を設けようという話になりかねない。政権交代で即記者会見のオープン化とならなかったことに大きな非難の声があがったが、そんななかでいち早く開放した外相に対して、こういった形で悪用した人物にも非難の声が挙がるのかと思っていたが、情報公開とはその程度の重要性しかないものなのだろうか。
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by tyogonou | 2009-10-29 00:40 | 社会 | Trackback | Comments(0)
押尾被告の初公判、証拠メールに苦しい弁明
押尾被告の初公判、証拠メールに苦しい弁明
 検察官「『来たらすぐいる?』ですね」

 この「いる?」の意味をめぐる検察Vs押尾の攻防戦が展開していく。

 被告「『僕自身をいるか?』という意味で、『薬がいるか?』と聞いたのではありません」

 検察官「『僕自身』とは陰茎のことですか?」

 被告「……はい」

 検察官「セックスは『いる』ではなく、『する』とか『やる』とかいうのではないか?」
押尾被告は、そもそもなぜ「要るか要らないか」を尋ねたのだろうか?
普通、人がそういった質問をするのは、その答えによって自分のとる行動が異なるからであろう。
もし「来たらすぐいるもの」が合成麻薬であれば、いるなら部屋に行く前に入手して持っていくが、とりあえずすぐにはいらないならわざわざ持って行かないから尋ねたのだろうと推測できる。しかし、それが「陰茎」のことであるなら、押尾被告のそれが取り外し可能で普段は持ち歩いていないというのでもないかぎり、あえているかいらないかを訊く必要があるのだろうか? 
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by tyogonou | 2009-10-24 23:02 | 社会 | Trackback | Comments(0)
<加藤和彦さん自殺>軽井沢のホテルで首つる 部屋に遺書
<加藤和彦さん自殺>軽井沢のホテルで首つる 部屋に遺書
たまたま、一番早くこの情報を扱っていそうなニュース番組を見ようと思ってTBSの情報7daysニュースキャスターを見たら、楽天の野村監督の去就など、一週間のニュースを簡単に紹介したVTRに渡辺えり子らがコメントをつけるなか、ビートたけしが真面目な、というかちょっと表現しづらい、あまりほかでしたことのない表情をしていた。このニュースの話になると、自分(たけし)たちの年代は危ない、突然ふっと自分はこれから何をすればいいんだろうかと考えてしまう、TVに出ている自分はスタッフたちの存在もあるけれど、ひとりで音楽などをやっていてふとそういう気持ちになったらこういうことになってしまうのかもしれないといった話をしていて、身につまされているような深い気持ちが伺える表情は非常に印象的だった。
まだ情報が乏しいけれども、遺書を用意するなどある程度前から自殺の意志はあったようだが、近しかった人たちのコメントを見る限り精神的な不安定さなどを見せていたようでもなく、外的にも自殺に結びつくような理由はないようで、その(日常的で正気な)普通さと自殺という行為の異常さの結びつきが、今の世の中を象徴するようにも思われる。たけしによるとその危うさは、「燃え尽き」というのともちょっと違うような感じだというが、もうすこし彼の考えるところを聞いてみたいと思う。
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by tyogonou | 2009-10-17 23:43 | 社会 | Trackback | Comments(0)
ソシュール
心理的にいうと、われわれの思想は、語によるその表現を無視するときは、無定形の不分明なかたまりにすぎない。記号の助けがなくては、われわれは二つの観念を明瞭に、いつもおなじに区別できそうもないことは、哲学者も言語学者もつねに一致して認めてきた。思想は、それだけ取ってみると、星雲のようなものであって、そのなかでは必然的に区切られているものは一つもない。予定観念などというものはなく、言語が現れないうちは、なに一つ分明なものはない。

次のようなものは存在しない。
(a)他の諸観念に対して、あらかじめ出来上がっていて、まったく別物であるかのような観念
(b)このような観念に対する記号(シーニュ)。
そうではなくて、言語記号が登場する以前の志向には、何一つとして明瞭に識別されるものはない。これが重要な点である。

文字法においても、我々はラングと同じような記号の体系の中にいる。その主な性質は次の通りである。
(1) 記号の恣意的性格(記号とそれが指示する事物の間には関係がない)
(2) 記号の純粋に否定的(ネガティヴ)で示差的な価値。(記号はその価値を差異のみに求める。たとえばtは、同一人物が書く場合でもさまざまで、t T  のようになるが、必要なのは、それがlとかnと全く同一であってはならないということだけである。)
(3) 文字法の価値は、一定の体系内で対立関係におかれた大きさでしかない。その価値は対立的であり、対立によってしか価値とならない。
 これは(2)に述べたことと全く同じことではないにしても、結局は否定的(ネガティヴ)な価値という意味に帰着する。
 例えば、ロシア人にとってのPは、ギリシア人にとってはRである。等々。(2)も(3)も、(1)の必然的帰結なのである。
(4) 記号の生産手段は全く非関与的であること(これもまた(1)の帰結なのだ)。

人間が樹立する事物の絆は、事物に先立って存在し、事物を決定する働きをなす。他の場所においては事物すなわち、与えられた対象が存在し、ついでそれをさまざまな視点から観察することができる。此処においては、それが正しいにせよ誤っているにせよ、まず在るものは視点だけであって、人間はこの視点によって二次的に事物を創造する。(・・・・・・)いかなる事物も、いかなる対象も、一瞬たりとも即自的には与えられていない。

価値という語をめぐって我々が述べたことは、次の原理を措定することによっても言い換えることができる。すなわち、言語の中には(つまり一言語状態の中には)差異しかない。差異というと、我々は差異がその間に樹立される実定的(ポジティヴ)な辞項を想起しがちである。しかし、言語の中には実定的な辞項をもたない差異しかないという逆説である。そこにこそ、逆説的真理があるのだ。
厳密に言うと、シーニュがあるのではなくて、シーニュ間の差異があるだけである。

ここに至って、記号学の地平がよりよく定義される。われわれは、社会的産物としての性格をもつ現象しか記号学的なものとしては認めない。そしてこの社会的産物をより厳密に定めなければならない。いかなる記号学的産物を考察するときも、これが多くの単位から構成されることが見てとられるが、これらの単位の性質、つまり他の事物との間に一線を画すその本質は、それらが価値であるということである。記号体系であるところのこれらの単位の体系は、価値体系なのである。(・・・・・・)そして、この価値はそれが相互性を無視しては語ることができないという意味で複合性を有する。いかなる価値といえど単独には存在しない。またこの価値は、これを容認する集団の力によってのみ与えられる。
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by tyogonou | 2009-10-17 20:07 | 消費社会 | Trackback | Comments(0)
<20年五輪>広島と長崎の名乗り、「政治利用」に抵抗感も(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
<20年五輪>広島と長崎の名乗り、「政治利用」に抵抗感も(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
東京で開催するより意義があるのは確かだが、疑問はある。
平和とはいえ、オリンピックの政治利用となりかねないのは、それをIOCがどう捉えるかという問題を抜きにしても、好ましいことではない。ノーベル平和賞はオリンピックに比べればはるかに「政治的」な性格をもっていて、オバマ大統領の受賞もそれによって核廃絶を進めようというメッセージとしては意義のあることかもしれないが、だからといってまだ実績のない人物をそういった形で利用すれば批判を浴びることになる。
また「政治利用」に関しては、オリンピックを利用して核廃棄を要求するというのとは逆の見方、即ち、被爆という事実を利用してオリンピックを招致するという見方もできる。当事者である被爆者たちがそういった見方をしないなら、外野がとやかく言うことでもないが。

一番問題なのは、オリンピックというものの性格が祝祭的なポジティブなものであることで、それが、核のない世界を祈念するという心とうまく調和するだろうかということだ。
たとえばイランのアフマディーネジャード大統領のような人物がひねた見方をすれば、ヒロシマ・ナガサキでのオリンピック開催は「核兵器が使用されても一世紀も経たないうちにオリンピックを開催できるほど繁栄できる」ことを示すものだ、と言うこともできる。もちろん、そんな見方に与するつもりはないが、誰にもそんなことを言わせないようなかたちのオリンピックは実現可能なのだろうか。
極端な話、この地球から核兵器が無くなり、「ヒロシマ・ナガサキ」という言葉が一つの役割を終えることになったとき、それを祝うという意味でオリンピックを開催するのなら、それは文句無く素晴らしいことだと思う。
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by tyogonou | 2009-10-12 23:18 | スポーツ | Trackback | Comments(0)
東京五輪招致失敗 巨額の税金をせしめたテレビ局
東京五輪招致失敗 巨額の税金をせしめたテレビ局
私も東京での開催には反対だったし、多額の税金は他に使ったほうがよかったという意見にも賛成だが、この記事の論点はちょっとおかしい。
 しかし、招致失敗で税金はすべてパーに。
これでは重要なのは招致が失敗したという一点になってしまう。見通しが甘くなかったかという問題はあるが、たとえ結果として失敗したとしても挑戦する価値のあることはあるものだ。かつて1960年大会の招致に失敗したのは非難されるようなことではなかっただろう。
他にいろいろ税金を使ってしなければならないことがある中、都民国民の関心の薄いことに、その関心を引くだけの意義も示せず、(定かではないが)不純な動機をもって臨んだことは確かに怪しからんことだが、それはたとえ招致に成功していたとしても問われなければならないことだ。
テレビ局が五輪招致を盛り上げ(ようとし)たことも、そこに税金が使われたことも、決しておかしな話ではない。北方領土問題などに関して政府もCMを打っていたはずだし、人びとの意識を高めるためにTVCMなどによって啓蒙活動をすることも、TV局が金をもらってそういったCMを放映することも、別に問題はないはずだ。
「異様なまでに」盛り上げていたというけれども、そしてある種の奇怪さは私も感じたが、総会の数日前までそういった動きがなかったこととの対比がそう感じさせたのではないか。それまでの報道などでは、反対運動についても伝えていたし、それほど積極的な姿勢を見せていたわけでもないように思う。
私の個人的な印象に過ぎないが、招致本部などは、黙っていてもマスコミは盛り上げてくれると思っていたのが、なかなかそういう雰囲気にならず慌てて最後に梃入れをしたとかいうことではなかったかと思う。それほど唐突な盛り上がり方だった。
重要なのは、大金が費やされたことよりも、それが「どのように」使われたのかということだが、記事はそこへの意識が薄い。

パンダのレンタル料
どうせどちらも写真やTVでもみることができ、現地に行って実物を見ることも可能なら、雄雌二頭で一年一億のパンダをレンタルするほうが余程有意義な金の使い道ではなかったかと思う。
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by tyogonou | 2009-10-09 21:26 | Trackback | Comments(0)
TBS青木裕子アナ大失言! 中川元大臣死去のニュースに「注目しないで!」
TBS青木裕子アナ大失言! 中川元大臣死去のニュースに「注目しないで!」
映像を見たが、ちょっと青木アナに同情の余地はあるかなと思う。
たまたまこの速報が流れたのが、田中裕二の離婚問題を自身がはじめて語るという、世間的にも注目度が高く、番組としても力を入れて放送しようとする話題の入りばなだったため、おそらくプレッシャーもかかって余裕がなかった青木アナは速報の中身を把握せずに問題の台詞を発したように見える。
ただ、見てて思ったのは、爆笑問題の二人にも少し責任があるのではないかということだ。あの時点でそのニュースの重大さには気がついたのだから、青木アナを制して、速報の内容を口頭でも伝えたうえで「詳しいことは続報が入り次第お伝えします」というようなことを、アナウンサー上がりの司会者なら言ったはずだろう。それがあれば、青木アナも冷静になって状況を把握し、謝罪して離婚問題の話題を再開でき、失言の影響も最小限に留まっただろう。田中も話題が自分のことでなければ、そういった対処ができたかもしれないが。
もっとも、いろいろ間が悪かったとしてもそこをきちんとするのがプロだと言えばそれはその通り。
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by tyogonou | 2009-10-06 22:58 | 社会 | Trackback | Comments(0)
リオが“石原発言”に抗議 「ブラジルを侮辱」
リオが“石原発言”に抗議 「ブラジルを侮辱」石原慎太郎都知事「初めて泣いたよ」
「政治的な動きがあった」「昔の自民党の総裁選みたい」程度ならどのようにも解釈はできるからまだなんとかなりそうだが、「ブラジルの大統領が思い切った約束をアフリカの諸氏にしたようだし、サルコジ大統領は『戦闘機を買ってくれたらブラジルを支援する』と言ったという」となるとちょっとまずいのではないだろうか。
日ごろの都知事を知っている我々にしてみれば、この程度の発言など侮辱のうちにも入らない感じだが、念願のオリンピック開催が決まった喜びに水を差されたリオの関係者や、リオ開催を決定したIOCの関係者が、好意的に解釈してくれるわけはあるまい。
それにしても愚かだ。都知事は、自分の発言がIOCの委員達にどんな影響を及ぼすのか考えてみなかったのだろうか。この発言を聞いた委員達は、東京(あるいは日本の他の都市)が将来開催に名乗りを上げたとき、味方しようと思うだろうか。「政治的」というのは確かに正しいだろうが、そう分かったなら政治的に洗練された振る舞いをするようちょっとは心がけたらいいではないか。落選が決まった瞬間から次への政治的な動きは始まるのだから。
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by tyogonou | 2009-10-06 22:29 | スポーツ | Trackback | Comments(0)