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英歌手ボイルさん、チャート1位 デビュー作、販売記録更新 (共同通信)
英歌手ボイルさん、チャート1位 デビュー作、販売記録更新 (共同通信) | エキサイトニュース
以前、例のオーディション番組BGTでのパフォーマンスが話題になった時、私はそれほどの感動は受けなかった。
あれだけ話題になった人だから売れるのは予想できたことだが、それでもかなりの勢いのようなので、アマゾンで試聴してみた。
その印象は、なんだか上手すぎる感じがする。英語の発音にしろ、メロディーの細かい表情のつけ方にしろ、you tube上で見ることができる彼女の映像のそれとは大分違って聞こえる。
本人は物凄く緊張しやすい人のようだから、大勢の人の前で歌うのと、リラックスできる環境でレコーディングするのとでパフォーマンスが違うのかもしれないし、レコーディングにあたってトレーニングもし、曲の解釈についての打ち合わせも重ねたのだろう。だが、印象が違う最大の原因は、彼女の歌声をいじってしまっているところにある。
BGTでのスーザンの歌声は年齢なりに濁った声なのだが、CDの歌声は透明感を出すためか、高音で歌う歌は低音を、きよしこの夜などのような低音で歌う曲は高音をカットしている。そうして出来上がった、たとえば「翼をください」などには澄み切った美しさがあって確かに聞いていて心地いいのだが、その透明度はエンヤを越えてウィーン少年合唱団の領域にまでいってしまっている。言い換えるともはや女声では無くなってしまっている。ここまでいじってしまっていいものだろうか。
BGTでの「夢破れて」で左手を大きく広げて"as they turn your dream to shame"と歌うところを見ていると、もともとの曲想と合うかは別として、年齢を重ねてきた人間の貫禄と歌うことの素直な喜びとに満ちている点で会場が沸くのも良く分かる、スーザンの歌の素晴らしいところであると思うが、CDの歌声にはそういった要素が全く感じられない。スーザンの良さを活かそうとかそういった意識が全くなく、ただ今のマーケットに受ける商品を作っただけではないか、そんな怒りさえ沸きあがってくる。スーザンのファンは今のところCDを歓迎しているようだけれども、後になってBGTのパフォーマンスの方が良かったという人も出てくるのではないだろうか。
久しぶりにBGTの映像を見ていて、「翼をください」ではなく彼女に合う日本の歌はなんだろうと考えてみたら、「地上の星」などあっているのではないかと思った。
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by tyogonou | 2009-11-30 23:10 | 国際 | Trackback | Comments(0)
ノーベル賞受賞者らが仕分け批判で集結 「世界一目指さないと2位にもなれない」
ノーベル賞受賞者らが仕分け批判で集結 「世界一目指さないと2位にもなれない」
 理化学研究所が開発を進める次世代スーパーコンピュータについて、事業仕分けの際に「本当に世界一になる必要があるのか、2位ではだめなのか」という意見が出たことに対し、利根川氏は皮肉を交えて反論。「世界一を目指してもなれないもの。世界一を目指す意気込みでやらないと、2位にも3位にもなれないことを理解すべきだ」
科学技術立国を目指すなら科学技術関連に予算を多く割くべきだというのは正しいが、どうも先生方の主張はいまひとつ説得力を欠いているように思う。この発言も、2位ではだめなのかというキャッチーな発言につい乗ってしまって(乗せられて)予算の必要性についてもっと重要な議論をする機会を逃しているように思われる。もっと悪くとれば、考えてすらいないのかもしれないが。
財政的に厳しいのは日本に限ったことではない。仮に2位でかまわないという仕分け人側の意見がすべて通って予算が切り詰められたとしても、他国のスパコン開発の資金状況が同様に悪化することによって、結果として世界一になったとしたら、先生方は満足なのだろうか。スパコンの開発は、他国との相対的な優劣を競うためのものではあるまい。予算は多ければいいのが当たり前だが、懐事情の厳しい中でできるだけ活きた金の使い方をしようというのが仕分けの趣旨なのだから、開発されるスパコンによってどんなことが可能になるのかといったことをもっと語るべきではなかったか。
「仕分け作業で日本の科学技術を支える若い人に『科学者はやっかい者』という負のメッセージが進行している」果たして、そんなメッセージとして受け取った人々がどのくらいいるのだろうか? 被害妄想が先行していて、科学技術立国としての日本の将来をどう築いていくかという問題意識がどこかにいってしまっているようにも見える。先生方の話を聞いていると、科学にたくさん予算をつければ、金に不自由しないという理由で若い人たちが科学を志すようになる程度のロジックしか見えてこない。「もう少し見識ある議論」を先生方の口から聞きたかった。
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by tyogonou | 2009-11-29 19:42 | 社会 | Trackback | Comments(0)
松本零士さんと槇原さんが和解=「歌詞盗用」名誉棄損訴訟-東京高裁(時事通信) - Yahoo!ニュース
松本零士さんと槇原さんが和解=「歌詞盗用」名誉棄損訴訟-東京高裁(時事通信) - Yahoo!ニュース
ベートーヴェンに交響曲第三番「エロイカ(英雄)」という有名な作品がある。曲自体は聴いたことがなくても、ベートーヴェンがナポレオンを称えるために作曲し、それを明記するつもりでいたが、ナポレオンが皇帝になったことに激怒してそれをやめたというエピソードを聞いたことがあるという人は少なくないだろう。だが、この曲の第一楽章の第一主題がモーツァルトがわずか12歳で書いたオペラの序曲の主題の「盗用」であることを知っている人はそれほど多くないかもしれない。





もちろん、楽聖ベートーヴェンが盗作したなどと非難されることはない。
共通するのはごく短いシンプルなメロディーで、それをいかに展開するかにモーツァルトとベートーベンの個性の大きな差が出ているわけだし(12歳にして既にモーツァルトらしさが発揮されていることにも驚く)、英雄を称える大交響曲の主題を、幼い恋人二人が喧嘩して仲直りするだけというたわいのない筋の、子どもが学芸会のような形で演奏するような小歌劇の序曲からもってくるというのもちょっと妙な話だということもあるだろう。
だが、素直に(そして好意的に)解釈すれば、ベートーヴェンは幼少期にこの歌劇に接していたが、その事実を覚えていないままこのメロディーが頭の中に刷り込まれていたのではないかと推測できるわけで、それは意識的な「盗作」ではないだろうと考えるべきなのだろう。

裁判所が盗用ではないと判断を下したものをあれこれ言うのも穏当ではないが、この999訴訟もそういうことなのではないかと私は思った。
『999』はマンガというよりアニメや映画で広く親しまれたもので、私も、大体のストーリーやスリーナインが地球を離れるシーンなどは確かに鮮明な記憶があるが、すべてを覚えているとはとてもいえない。私がなにかSF小説のようなものを書いた時、それが999が立ち寄った星の設定と同じものになる可能性はやはりあると思う。「時間は夢を裏切らない。夢も時間を裏切ってはならない」という台詞は、『999』についての私の記憶にも全くないが、時間と夢という組み合わせ、そして互いに「裏切る(裏切らない)」という関係にありながら片方が人間ではないというのもありそうであまり無い思考だから、やはり映像化された作品の中にもちゃんと出てきていて、それが無意識のうちに槇原敬之氏の頭の中にも入り込んでいたのではないかとも思われるのだ。

少し前に、古書店で『999』のマンガを見つけて立ち読みしてみたのだが、読んでみると松本零士氏の怒りも確かに分かる。この台詞が非常に重要でメーテルと鉄郎との関係にも重なってくるものだと知って正直驚いたし、この作品の設定や世界観を大人になった今きちんと把握して読んでみようかという気にもなった。
もっとも、その世界観が論理的に完結した完成度の高いものであるかどうか疑問を感じたのも事実で、そのあたりが、少年が機械の体を求めて謎の美女と銀河鉄道に乗って旅をするいう設定以上のものを子供達の心に残さなかった理由であるかもしれない。
松本零士氏が理解すべきなのはこの作品がいかに大きな影響力をもっていたか、ということではないかと思う。作者が作品にどういったものを詰め込んだにせよ、読者がそれを全く意識することのないまま血肉としてしまうことは幼い子供たちを対象とした作品には良くあることではないか。まして大変な人気を得た作品であれば、深く理解しようというつもりはなく、気軽に楽しむカジュアルなファン層が膨大になる。そういった人びとが、『999』の中の台詞をそれと意識して記憶しているということはあまりないだろう。
あるいは、ガンダム以降のアニメであれば、オタクたちがその世界観を再発見し、再構築し、発信するということもあったかもしれないのだが。

ニュースを横目で眺めているかぎり、どうも両者共に損したような騒動のようだったが、もっと良い形で終われたのではないかと思うと少し残念だ。
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by tyogonou | 2009-11-28 23:27 | 社会 | Trackback | Comments(2)
テレ朝のコメンテーターの発言にネットは騒然!
テレ朝のコメンテーター「我々も(民主党)の支持率を下げないでね、辛抱して支えてるのに・・・」発言にネットは騒然! (ロケットニュース24) | エキサイトニュース
問題の発言は、「一生懸命、我々も支持率を下げないでね、辛抱して支えてるのに、何なんだよと。」という部分。あたかも、テレビ朝日が民主党の支持率を下げないように、今まで支えてきたかを明らかにしてしまった発言で、さらには、「テレビ朝日が今まで民主よりの偏見報道をしてきた裏付けだ」といった憶測もされている。
全体的に解釈がいろいろできそうなあいまいなコメントであるが、私も「我々」というのは国民を指しているのだと思う。
支持率を上げ下げできるのは世論調査などの対象になった国民だけだし、もし「我々」が「テレ朝」を指すなら、ここは「支持率が下がらないように辛抱して支えているのに」となったはずだ。また、鳩山政権の支持率は朝日系列の調査だけが突出して高いということもない。
結論についても同様のことがいえる。「なんなんだよと」なった結果、テレ朝(あるいは吉永氏個人)が鳩山政権を支えるのを止めるかもしれないとかいった話であれば、「ボディーブローのようにきいてくる」という表現はちょっとあわない。国民の支持を失うという話と考えれば、それだけですぐさま大きな変化がおきるわけではないが、何か別の問題が起きた時に好意的に解釈してくれる人も少なくなり、支持率低下の歯止めが利きにくくなるという意味合いで「ボディーブロー」という表現が使われたのだと解釈できる。

「テレビ朝日が今まで民主よりの偏見報道をしてきた裏付けだ」
個人的な印象としてはどの局も政権との距離感といったものをどうとったらいいかまだ苦労している部分があるように見受けられる。公平であろうとする意識、過去の自社の自民党政権に対する態度との整合性、決して手放しで称賛できるものではない鳩山政権の状況、ネットをはじめとした他のメディアの言論との関係、そういった様々な条件の中で、自らの立ち位置を定めようと苦労を続けているような感じだ。
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by tyogonou | 2009-11-28 22:38 | 社会 | Trackback | Comments(0)
【音楽の政治学】ヒトラーの偽善 「劣等」と呼んだ人種のレコードを隠し持つ
【音楽の政治学】ヒトラーの偽善 「劣等」と呼んだ人種のレコードを隠し持つ (1/2ページ) - MSN産経ニュース
このタイトル、ヒトラーの「偽善」というのはおかしい。
ヒトラーが個人的にユダヤ人を憎み、それが理由で彼らの演奏したレコードも所持せず、それでいながら公式には人種差別主義を非難するようなことを言っていたなら、「偽善」という非難も分からないではないが、これは話が反対だ。
一方で憎み、もう一方で(周囲に隠してまでも)愛する、それはヒトラーという屈折した複雑な心情を示すものだ。事実のもつ意味を探ろうともしないで、ヒトラー=悪人=偽善者というような短絡的な図式で語るのはどうかと思う。
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by tyogonou | 2009-11-25 23:37 | Trackback | Comments(0)
事業仕分け評価9割 内閣支持率もアップ
事業仕分け評価9割 内閣支持率もアップ
昔、消費税が導入されるときだったか税率が上がるときだったか、担当した役人がニュース番組のインタビューに答えていて、一部に問題視する意見もあった。
本来役人は匿名の存在で責任を取るものではない。責任を取らなくていいから、さまざまな政策案を大胆に作成し、それを政治家が取捨選択し政治家の責任において実行していく、そういう考え方だ。官僚に責任を取らせるとなると、政策案は無難なものしか作らないということにもなるし、責任相応の力も与えなければならなくなる。
もっとも、長く続いた自民党支配体制にこういったモデルが当てはまっていたわけでもない。自民党で閣僚を経験した民主党議員が「政治主導」を打ち出したのも、官僚が政治家を自分たちの思うとおりにコントロールする現場を見てきたからだ。その真偽はともかくとしても、与党政治家と官僚との間で政策案が形成される過程が、政権交代が行われない中、長い間不透明で外部からの検証を受けずにきたことは確かである。
「裁判のよう」と反発の声が上がるのも、単に利権を守りたいだけという以上の理由があるだろうと理解できるし、これを毎年の通例とすべきかどうかは疑問だが、こういうアイデアは評価したいと思う。キャラが立った某女性議員の剣幕に野次馬的な視線が集中している感もあるが、ああいった民主党側議員らの姿勢も、ずっとなじんできた野党議員としてのやり方をうまく政策の向上(無駄の洗い出し)に結び付けようとしているという意味では評価できる。政権をとったからといって変に与党の大物議員先生然としてしまうのが最悪の道だから、初心から離れていないということで国民の評価も(思ったより)高いのではないだろうか。
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by tyogonou | 2009-11-23 17:52 | 国内政治 | Trackback(1) | Comments(0)
ムラヴィンスキー そしてショスタコーヴィッチ


私が始めてムラヴィンスキーに接したのはNHKで「ムラヴィンスキー幻の記録」と題されて放送されたまさにこの映像だった。
あれから様々な音源を聴き、様々な映像を見た今になっても、この4楽章冒頭の映像を見ると胸を締め付けられるような気持ちになる。
聴き手をのけぞらせるフルトヴェングラーや心地よいドライブ感に浸らせてくれるカラヤンなどと違って、ムラヴィンスキーの加速感は聴く者を音楽の核へと引き込んでいくような力を持っている。透明感のあるサウンド、速度、強弱の爆発的な変化とその完全なコントロールなどムラヴィンスキーの凄さはいくつもあげられるだろうが、この晩年の崩した指揮ぶりを映像で見ていると、全体の構成というものを強く意識した音楽家だと改めて思う。草書になっても、楷書のポイントから決して離れることがない。

ムラヴィンスキーといえばショスタコーヴィチである。『ショスタコーヴィチの証言』でこき下ろされてからムラヴィンスキーはショスタコーヴィチを理解していないのではないかというような疑いの目で見られたり、『証言』の方の真偽が怪しくなったりしてなかなかこの二人の関係を語るのは難しい。
ただ、交響曲第13番第一楽章の金管の爆発や、第9番のめまぐるしく変わる曲想と癖の強いリズムは、ムラヴィンスキーの指揮でこそ活きる感じがして、彼のこういった曲の演奏を聴くことが出来ないのはまことに残念でならない。互いになくてはならない存在だったというのはリヒテルあたりの言葉だったと思うが、そのとおりだと思う。

ショスタコーヴィッチとムラヴィンスキーの関係は、常にスターリン、あるいは社会主義との距離で語られることが多いが、これには注意が必要だ。
若くしてソ連を代表する作曲家となったショスタコーヴィチはどうしてもイデオロギー的なメッセージの発信者として受け取られがちだ。これはもちろん当初の御用作曲家というイメージだけでなく、後年のアンチ社会主義の作曲家というイメージも同じことだ。しかし、ショスタコーヴィッチは何よりもまず純粋な音の美しさを追求する「音楽家」であったと思う。(逆説的な意味で、そんな彼を「芸術家」にしたのは紛れもなくスターリンとその政府である。)芸術家というより音楽家というのはあまりよいイメージではないかもしれないが、そうではない。芥川也寸志氏がショスタコーヴィッチにインタビューしたとき、作曲するときにピアノを使うか訊かれて、前は使っていたが今は使っていない、その方が音楽を深く考えられる気がする、そんなことを言っていた。彼のシンプルかつ豊かな室内楽の数々を聴くと、彼が頭の中で深く追求した「音楽」というもの、思想や感情の表現などではない純粋な音の世界というものの価値は明らかである。

それから、スターリン=社会主義というのも必ずしも正しくはない。
ショスタコーヴィッチは、子供のころレーニンが亡命先から帰国するのをサンクトペテルブルクの駅で迎えた群衆の中にいたという。レーニンの到着は夜だったため、権威付けの嘘ではないかという話もあったようだが、彼の学校の同級生の親たちにはヴォルシェヴィキのメンバーが少なからずいたから(ショスタコーヴィッチ自身の祖父の兄弟もヴォルシェヴィキだったはずだ)、友達皆で連れ立って見に行ったのは本当だという。そういった世代に属するショスタコーヴィッチが、仲のよかったトハチェフスキーらを粛清したスターリンを、レーニンの社会主義を裏切ったというニュアンスで憎んだ可能性はあると思う。彼が反スターリンであった可能性は少なくないが、それが即反社会主義と一致するとは限らない。
そういう目で見ると、旧ソ連系の指揮者の遅いテンポで演奏される5番のフィナーレは、「強制された歓喜」というよりも、歓喜あふれる革命の未来を信じて死んでいった人々の慟哭のようにも聞こえる。

ムラヴィンスキーについてはひとつの客観的事実を指摘しておきたい。それは彼が熱心なロシア正教徒であったということだ。(『証言』のなかでも「狂信者」と表現されているのは興味深い。)
これは、実は結構重い意味を持っている。旧ソ連では信教の自由は認められも否定されもしなかったが、「宗教破壊活動の自由」がスターリンの制定した憲法に明記されていた。また、レニングラード近郊の大きな教会も破壊され、エリツィン政権になるまで再建されなかったが、これもスターリンのしたことだ。そんなスターリンを熱心なロシア正教徒がどう見ていたかは想像に難くない。もともと慎重で政治とは(俗世とも?)距離を置いていた人だから、アンチ・スターリンの感情をもって指揮台に立ったという訳でもないと思うが。

最後にムラヴィンスキーの名盤について
私にとってのベストは、おそらく今入手は不可能だろうから挙げるのは気が引けるが、83年のショスタコーヴィッチの6番だ。これはムラヴィンスキーらしさを100%備えた完璧な演奏だ。ほかのディスクに物足りなさや欠点があるというわけではないが、たとえば有名な「ルスランとリュドミラ」などラストがムラヴィンスキーにしてはちょっとゆったりめだったりする。意図して設定したテンポだからだれているような印象はないが、ここを突進したらどんな演奏になったのかと少し想像してしまうこともある。この6番はそういったところがまったくない。よく使われる表現で、オーケストラをピアノのように弾きこなしているというのがあるが、まさにそれが当てはまる名演だ。
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by tyogonou | 2009-11-23 17:08 | Trackback | Comments(0)
【from Editor】「新フル」はOK?
【from Editor】「新フル」はOK?
となると、「新フル」。乱暴な略語で、明日の紙面には使わないと断言できる。が、この先、世間でどう呼ばれて何が起きるのか分からない。
お年寄りまでを考えたら、この略語を使うのはまだ早いのかもしれない。
しかし、「新フル」なる略語を見て最初に思ったのは、英語を知っている人が作ったのだろうかということだった。記憶はあいまいだが"flu" という単語は、高校か、ひょっとしたら中学あたりの学校教育で習ったような気もするから、「乱暴」というほどでもないような。
同じ単語を略すのでも日本語と英語では別の箇所を取り出すために、あちらでは通じないカタカナ英語というのもあるから、そういう意味では「新フル」→ "new flu" というのはいいのではないかと思う。
略すこと自体を乱暴とか、あまり好ましいことではないという意見もわからなくはない。私自身、一般的な略語をあえて使わないこともある。しかし、田楽をおでんと略したりし始めたのは古の高貴な人々であることを思い起こせば、うるさく言う方が不粋といわれても仕方ない。
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by tyogonou | 2009-11-20 21:08 | 社会 | Trackback | Comments(0)
高齢ドライバーマーク募集します 不評の「もみじ」降板も
高齢ドライバーマーク募集します 不評の「もみじ」降板も

問題は「高齢者」を特別扱いにするところにあるので、マークのデザインを変えても意味がないのではないかと思う。
解決策は、高齢者、身体障害者、聴覚障害者、そして初心者のマークを統一してしまうことではないか。他のドライバーにとってはどれも配慮を必要とするという意味では同じで、四者をあえて区別しなければならない理由はあまりない。第一、無理な追い越しをしたりすれば問われるのは全く同じ「初心運転者等保護義務違反」だ。
若葉と初心者のイメージの結びつきがあまりにも強すぎるので分けたのも理解できるが、これを機に新しい統一のマークを作ったらいいのではないだろうか。
と思ったが、良く考えたら今の若葉に統一してしまえば金がかからなくていい。公式名称は要配慮運転者標識とでも変えればいいだろう。
爺様婆様が若葉をつけているのは妙な感じだろうがすぐ慣れるだろう。
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by tyogonou | 2009-11-19 21:05 | 社会 | Trackback | Comments(0)
気象庁 台風の温帯低気圧化、遅らせて発表 「防災への喚起」「正しい情報を」
気象庁 台風の温帯低気圧化、遅らせて発表 「防災への喚起」「正しい情報を」
気象情報会社「ウェザーマップ」(東京)の社長でTBSでも気象解説を行う森田正光さんは、「気象庁はあくまでも精度の高い正しい情報を発するべきだ。その上で、さまざまな気象上の危険性をわれわれが訴え、一般的な国民の知識レベルを増加させるというのが本来の姿では」と指摘する。
まったくそのとおりだと思う。
もともと気象庁は政治的なものとあまり縁がないために、このような「政治的配慮」の危険性に鈍感なのだろう。また、強力なライバルもいないので、こういったことをしても権威が損なわれるという危機感もないのだろう。
しかし、防災のための非常に重要な情報であるからこそ正確であることは命となる。正確な情報を伝えたうえで、警戒を呼びかけるのがやはりあるべき姿だ。
あっさり認めたあたり、やはりそういう問題意識が薄かったのだろうと思われるが、こういった提言をした有識者たちにそもそもそれが欠如していたのがことのはじめであるし、こういった場でちゃんと議論になったということを評価すべきなのだろうと思う。
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by tyogonou | 2009-11-19 19:38 | 社会 | Trackback | Comments(0)