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品切れ書店続出「巻くだけダイエット」 「効果は考えられない」という専門家も (J-CASTニュース)
品切れ書店続出「巻くだけダイエット」 「効果は考えられない」という専門家も (J-CASTニュース) | エキサイトニュース
なぜか「過去3時間で投票数が多い記事」に上がってきていた。
ゴムバンドのダイエット効果云々はどうでもいいが、ちょっと面白いことを思い出した。

実践!「元気禅」のすすめ (宝島社文庫)

玄侑 宗久 / 宝島社

禅というより健康法の本という感じの本だったが、そのなかの「立って中心を知る」という項に骨盤をゴムチューブで締めることで中心感覚を知るという方法が紹介されている。
まず一メートル程度のゴム紐を一本用意する。自転車のチューブでもよい。それを骨盤に強く巻いて実験するのだが、巻く位置は股関節とベルトが乗っているわき腹の骨盤の骨との間である。今でも雲水たちが托鉢に出るときは、衣の上からこの位置に一本の腰紐を締めて衣を折りこみ、余分のすそを上げてアルク。一本の腰紐によって骨盤を整えるのである。
(中略)不用意に締め続けると、身体の中心部の筋肉群が酷使されて生命力が消耗され、どうしようもない腰痛や倦怠感におそわれる。とりあえずは、一日2時間程度で様子を見る。
自転車のチューブでいいなどといわずにお洒落なチューブを付録につければ本の売り上げもぐっとアップしたのだろうが、坊さんがそんな商売っ気たっぷりでも困る。
調べてみたら雲水の腰紐は手巾(しゅきん)というらしいが、写真などを見るかぎりベルトなどと同じように骨盤の上に巻いているように見える(雲水姿ではないがこの本の表紙の玄侑 宗久氏の写真もそのように見える)のはどういうことなのだろう。そんな不安もあったが、手近にちょうどいいチューブがあったので試してみたが、なるほどと思った。チューブで締めて直立するだけでも「中心感覚」なるものは分かるのだが、その状態で階段を登ると重心のブレが非常に少なくなっているのが良く分かる。ひざに痛みがあったのもあまり感じなくなっていた。
骨盤にゴムバンドを巻いてダイエット効果があるかどうかは分からないし、幅の広いバンドで骨盤全体を巻くのと細いチューブなどで締めるのとで違いがあるかもしれないが、そういう意味では体に良い効果をもたらすかもしれない、と思う。

『実践!「元気禅」のすすめ』でもうひとつ面白かったのが呼吸法である。
しかしいろいろやってみて、今いちばんよさそうだと思うのが「全身呼吸」あるいは「全体呼吸」と呼んでいるもので、イメージとしては頭のてっぺんから脚の先まで喫水線をイメージしながら吸ったり吐いたりします。
自分の体を空の容器に見立て、息を吸うと下から水が溜まっていき、吐くと出て行って水面が下がっていく。非常に単純な方法だが、息を吐ききる(深い呼吸をする)のに非常に効果的だ。試しにこのイメージで普通に息を吐いてみるとおなかのあたりまでしか喫水線は下がらないのだが、そこから足先まできっちり下げようとすると、かなり長く徹底的に吐くことができる。下手にあれこれ工夫を凝らした呼吸法よりずっといいかもしれない。
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by tyogonou | 2009-12-24 23:27 | Trackback | Comments(0)
スーザン・ボイルさん紅白に出演 英国のテレビ番組で話題 (共同通信) | エキサイトニュース
スーザン・ボイルさん紅白に出演 英国のテレビ番組で話題 (共同通信) | エキサイトニュース
ちょっとびっくりした。NHKもなかなかやるもんだが、緊張しやすい性質の彼女に生で歌わせて大丈夫なのだろうか。
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by tyogonou | 2009-12-24 20:31 | Trackback | Comments(0)
消費社会の神話と構造より その8
消費に社会的事実としての性格を与えるのは、消費が見かけの上で自然から受けつぎ保存しているかにみえるもの(充足と享受)ではなくて、消費が自然から訣別する本質的な手続きである(この手続きが消費をコード・制度・組織のシステムとして規定する)。親族体系が最終的には血縁関係や家系つまり自然的条件ではなく、任意の分類規則にもとづくのと同様に、消費の体系は最終的には欲求と享受にもとづくのではなくて、記号(記号としてのモノ)と差異のコードに基づいている。(97ページ)

システムがシステムとして成り立つのは、それが各個人の必然的に相違する固有の内容と存在を取り除き、差異表示記号として産業化と商業化が可能な示差的形態を対置するからに他ならない。システムは一切の独特な性質を除去して、差別的図式とこの図式の体系的生産だけを残しておく。この段階で差異はもはや排除的ではない。もろもろの差異は、違う色が互いに「戯れる」ように流行(モード)の組み合わせの中で論理的に互いに包摂しあうだけではない。社会学的には、ここにあるのは集団の統合を固めるもろもろの差異の交換なのである。このようにコード化された差異は諸個人を分割するどころか、反対に交換用具になる。(120)

この精神分析はもちろん、真の分析的実践ではなく、教養化、マス・メディア化された精神分析の機能=記号なのだ。(220)

性器つき人形(性器が玩具化され、子供が操作できるようになっている)の場合、全体的(トータル)交換という象徴的機能を持つ全体性(トータリテ)としての性がまず解体され、性的記号(生殖器、ヌード、第二次性徴、そしてすべてのものに一般化されたエロティックな意味作用)のなかに閉じこめられた上で、私有物あるいは属性として個人に割り当てられている。
「伝統的なタイプの」人形でさえ、それなりに象徴機能(つまり性的機能でもある)を十分果たしていたわけだが、この新種の人形のように人形に特定の性的記号を付与することは、この象徴機能を阻害し、人形に見世物としての機能だけを担わせることにほかならない。もっとも、性器つき人形は特殊な例ではない。二次的属性、性的寓意、象徴機能の検閲として人形に付け加えられたこの性器は、子どものレベルでの裸体主義とエロティシズムの寓話化であり、いたるところでわれわれを取り巻いている肉体の記号の礼賛でもある。
本来、性は全体的かつ象徴的交換の構造なのである。ところが人びとは、(1)、性を性器のリアルで露骨で見世物的な意味作用と「性的欲求」で置き換えることによって、性から象徴性を奪い取る。(二)、エロスをバラバラに切り離し、セックスを個人に、また個人をセックスに割り当てることによって、性から交換性を奪いとる(これは本質的なことだ)。こうした事態は技術的・社会的分業の帰結であり、セックスが(全体的ではなく)部分的機能となって私有財産としてひとりひとりに割り当てられている。先に述べた無意識の場合と同じことだ。
結局ここではただひとつのことが問題になっていることがわかる。それは、象徴的交換としての性、つまり機能的分割を超越した全体的過程としての(いわば壊乱的な)性の否定である。
性の全体的で象徴的な交換機能が破壊され失われてしまうと、性は使用価値と交換価値(いずれもモノの概念の特性だ)の二重の図式に組み込まれ、次のような切り離された機能として客観化される。
一、個人にとっての使用価値(自分自身の性器や性的テクニックを通じて表れる使用価値―なぜならここでは欲望(デジール)ではなく、技術と欲求(ブズワン)が問題になっているからだ)
二、交換価値(やはり象徴的価値ではなく、あらゆる形態の売春のような経済的、商業的交換価値、またわ今日ではそれよりずっと重要になっている見せびらかし的記号としての価値、つまり「性に対する生活態度」)(223-224)

要するに存在の本質とその外観のむきだしの倫理的弁証法から完全に開放され、関係のシステムの機能性だけを担わされた人間関係が出現しているのである。(248)
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by tyogonou | 2009-12-22 21:52 | 消費社会 | Trackback | Comments(0)
普段あまり夢を見ないし、見ても何かに追いかけられるようなものばかりなのだが、ここのところ続けて妙な夢を見た。
一つが人を殺す夢。といっても実際に手を下す場面ではなく、杉下右京になら見破られる程度の些細なへまをやって捕まり、下手に言い逃れようとするより証拠は弱いのだから黙秘の一点張りだ・・と、伊丹巡査部長ばりの強圧的な取調べに耐える場面。
もう1つは、家族の一人の引越しを手伝ったら、最後に改まって別れの挨拶をされたという夢。確実に声も聞いたし、嫌にリアルだったのを覚えている。
人を殺す夢とは穏やかでないし、調べてみたら「目前の問題点が解決し、自分の世界が広がり飛躍する兆候」という解釈があるようで、もう1つの夢も同様に解釈すればこれから何か大きな変化を遂げることになるのだろうか。
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by tyogonou | 2009-12-18 00:17 | Trackback | Comments(0)
小沢幹事長が鳩山首相を「激しい言葉で罵倒」 天皇陛下の"政治利用"問題
小沢幹事長が鳩山首相を「激しい言葉で罵倒」 天皇陛下の"政治利用"問題
ある意味では、天皇を政治利用しているのは批判しているほうだと思う。
鳩山政権は、今回が特例であることをわざわざ喧伝しているわけではない。宮内庁長官が批判しなければ、一部の事情通を除いては、そんな内規が存在していたことすら知らない国民は皆いつもどおりの会見としか見なかっただろう。内閣は会見に特別の意味を付与したわけではない。むしろ、そんな意味が生じすることに築かない浅はかさと独善的なところが問題だとは思う。
宮内庁に対する杓子定規という非難は明らかに不当なものだ。あえて通例に反する指示をだす充分な理由を説明したのにも関わらず、内規を立てにダメの一点張りだったのなら杓子定規ともいえるだろう。しかし、中国が重要だからというのは理由としては弱い。むしろ、公になった時に他の国々に与える悪印象を考えたら理由としてはむしろ不適切だ。しかも、それに対して宮内庁側は、どのような国にたいしても平等に対したいというもっともな理由を挙げて反論している。対する再反論が、役人は黙って言うことを聞けだの、やめろだとか言う恫喝では、政府の側にまともな理由がないことを白状しているようなものだ。
どんな国に対しても、たっての希望とあれば、調整しないこともないが準備等の都合上一ヶ月前を期限として引き続きお願いしていく、もちろん中国政府にもその旨理解していただく、そんな答え方をしていたら、中国だけを特別扱いするわけではないことを確認することになり、こんなごちゃごちゃすることもなかっただろう。
それにしても民主党の悪いところがもろに出てきてしまっている。
「最終的には私が決める」が口癖の最高責任者は自分の下したこの決定の意義を説明しようともせず、自民党の元首相から要請があったなどと責任感のないことを言う閣僚もいれば、党の幹事長が内閣を飛び越して官僚に辞任まで迫る。
公開裁判だなどと批判されながらも事業仕分けが国民に評価されたのは、ここの判定はどうあれ、国民の目の届かないところでひそかに決められていたことが、公開の場で明示的にそして論理的に行った(行おうとした)ところにあるだろうが、民主党内から出てくる重要な政策などの決定過程はしばしば不透明で論理の見えないものだ。
特にいけないのが小沢幹事長だ。永住外国人の地方参政権の問題にしてもそうだが、政策内容を議論しようとする考えが全く無いようだ。理性に基づく議論と、その結果としての民意こそ民主主義の基本だ。最終的に合意に至らないときは、多数派の意見を政策とし、内閣の決定に役人が従い、党の決定に当初族議員が従わなければならないとしても、その過程を見ている国民の理解を得るためにも、論理に訴え説得に努めるのが民主主義社会の政治家のあるべき姿ではないか。
小沢幹事長には選挙対策の職人としての面と、政治制度の理論家としての面とがあって、それぞれにおいて優秀であっても、それらを包含する「政治家(statesman)」という存在にはなっていないといえるのかもしれない。自分は正解を知っていて、そしてそれ以外に正解は存在しない、異論のある奴は馬鹿か敵だ。幹事長の「剛椀」は、人をたらしこむ技術のなさだけでなく、他者を容認できない狭量さにも由来しているのだろう。
橋下大阪府知事が小沢幹事長を絶賛したというのも分かる気がする。
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by tyogonou | 2009-12-17 21:39 | 国内政治 | Trackback | Comments(0)
へうげもの

へうげもの―TEA FOR UNIVERSE,TEA FOR LIFE (1服) (モーニングKC (1487))

山田 芳裕 / 講談社


画に少々クセがあるのと時におふざけがすぎるきらいがあるので、それほど好きではなかったが、まとめて読んでみたらなかなか面白かった。
堅苦しい茶の世界が、身近でくだけたものとして描かれているよさもある。主人公古田織部の感情と表情の多彩さもいい。
だが私が面白いと思ったのは、千利休や徳川家康といった登場人物が、古田織部を補助線としてみると、今までと異なる個性として浮かび上がってくるところだ。この漫画が何か普通と異なるキャラクターとして彼らを描いているわけではない。わびさびの美をストイックに求めつつ、それを世に広めるために非情なまでの実行力を発揮する利休、質実剛健で民百姓を思い遣る家康、私たちが通常抱く「偉人」としてのイメージからは遠くない。対する古田織部は軽薄な「へうげもの(ひょうきんもの)」で、現代の(ひょとしたら一昔前の)オタクにも通じた心性をもつ親しみやすいキャラクターで、どう見ても尊敬の対象ではない。利休も織部もともに茶の湯の美に強い執着心を持つが、利休のそれは「業」というにふさわしい重みを持つが、織部のは「煩悩」といったほうがいい俗な雰囲気を持っている。
そうなると、私たちの抱く印象は利休、家康>織部という図式になるはずなのだが、そうはならないのが面白いところだ。
もうひとつ面白いのは両者は時に対立もするが断絶はせず互いに理解しようとし続けるところだが、その交流を通じて明らかになってくるのは、私たちのありがたがる利休や家康の偉大さが必ずしも絶対ではないということである。それは単に反権威主義的な価値観ではない。利休や家康の価値が下がるというのとは違う。利休など、死ぬまで織部の一枚上をいっているのは間違いない。
だが一方で、優劣は別にして織部の軽さ「面白さ」は、彼らの偉大さにひけをとらない輝きを放っている。利休が家康を招き豊臣後を語った茶席の重暗さと比べて、禁教令を受けて棄教を勧めにいった織部と高山右近の茶席のなんとさわやかなことか。信長に仕えた黒人弥助を招き、理想の「黒」のわび茶が完成したと喜ぶ利休の厳かな世界も確かにすばらしいが、童子に下手な絵を描かせた茶碗を本阿弥光悦に見せて喜ぶ織部の拈華微笑の境地もまたすばらしい。
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by tyogonou | 2009-12-17 21:17 | Trackback | Comments(0)
ワールドカップ招致
招致成功に意欲 ワールドカップで平野官房長官 (エコノミックニュース) | エキサイトニュース
こっちに金を使うなら、仕分けの対象になったJOCへの国庫補助金などにまわせばいいのに。
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by tyogonou | 2009-12-09 23:45 | 社会 | Trackback | Comments(0)
刑務所の食事で健康増進 麦飯、糖尿病に効果 医師が分析
刑務所の食事で健康増進 麦飯、糖尿病に効果 医師が分析
 福島刑務所も含め刑務所のご飯は、コメとオオムギの比率が7対3。さらに福島刑務所では海藻類やキノコ類などの高食物繊維食も多く出され、受刑者は日本人男性の約2倍の食物繊維、5倍の水溶性食物繊維を摂取しているという。
 一方で、当時は服役中の運動が週2、3回、各30分程度と決して多くはなく、1日の平均摂取カロリーは日本人男性の平均値より高かった。
刑務所の中は、いろいろな作業があるとはいえ自由に動き回れるわけではないし、週2、3回、各30分程度の運動とは多くはないというより、少ないくらいだろう。それでこういった顕著な差が出たということは、恐るべし食物繊維。
学会では、「難治性の糖尿病患者みんなに刑務所に入ってもらうわけにもいかない」というジョークも出たという。刑務所にできて病院の入院病棟で出来ないわけもないと思うが。
参考までにどの程度の食物繊維をとれば塀の中同様の理想的な食事になるのか調べてみた。50歳代の日本人の摂取量は男性で一日平均14.7g女性で15.2g。その二倍というとおよそ30gになる。摂取基準は目安量が男性24g女性19g、実態とかけ離れているのでとりあえずの目標量が20gと18gだそうだ。
必要な食物繊維摂取量はどのくらい?
食物繊維の多い食物ベスト10
もともと自分は比較的野菜は多く食べているほうだと思っているが、これからは屁を屁とも思わずごぼうやサツマイモを食らっていこうかと思う。
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by tyogonou | 2009-12-04 21:35 | 社会 | Trackback | Comments(0)
<事業仕分け>強化費縮減…「切り捨てに憤り」太田ら会見
<事業仕分け>強化費縮減…「切り捨てに憤り」太田ら会見(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
 08年度決算によると、JOCの総収入のうち、国庫補助金は27億3199万円で全体の30.9%を占め、主に合宿費や遠征費などの強化事業費に充当されている。上村春樹・JOC選手強化本部長は「27億円は諸外国と比べてむしろ少ない。死活問題」と語った。
どちらかというと、先日のノーベル賞学者たちよりこちらの選手達のほうが切々として素直に聞ける。補助金の必要性についても切実な分説得力があるように思われる。
それにしても、オリンピック招致にかかった150億(もちろんあれは東京都の金だが)を、こういった目的のために使っていたら多くの夢を育むのに役立ったはずなのだが。
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by tyogonou | 2009-12-01 23:46 | スポーツ | Trackback | Comments(0)